自己牧会プログラムの体験談。
今回は、「こんなに優しかったっけ?」です。
☆
(女性 30代)
自己牧会プログラムの実践を始めて1年半になりました。
神様の愛を光としてイメージし、
周辺に拡大することを日常的に意識しています。
良心の声を明確に感じるときもあるし、
そこまで明確ではなくても、
良心が私の心の中にいて、
見守ってくれているのを感じています。
かといって、すぐに人格が成長する
というわけではありません。
何かあれば子供に怒ってしまう、
苦手な人には苦手だと感じてしまうのは変わりません。
でも、以前であれば誰かを責めて、
責めている自分をまた責めて、
という悪循環が続いていましたが、
今は良心が私を支えてくれていて、
すぐにそこに戻れるという安心感があります。
「苦しく、つらいのがみ旨、涙の祈りなくしては
歩めないのがみ旨」というわけでは
なくなってきたのが恩恵です。
☆
私には兄がいます。
兄も祝福家庭です。
幼い頃はよく一緒に遊んでいましたが、
大人になるにつれ、兄が怖くなり、
近づかないようになりました。
ケンカをすると、兄は声も大きくなり、
言葉もきついからです。
兄は実家で両親と一緒に暮らしていて、
会う機会はなかなかないのですが、
もっと仲良くしたほうがいいなと、
ずっと気になっていました。
そこで、兄と兄の家庭に
光を送る*ことを続けてきました。
☆
最近、父に用事があって電話をかけたところ、
父の都合が悪かったらしく、すぐに兄に替わったのです。
え? ああ、何を話そう…。
しばしの沈黙の後、兄のほうから
「どうしてる? 元気か?」と言葉をかけてくれたのです。
「あれ、こんなに優しかったっけ?」
と不思議でした。
兄には子供が二人いますが、兄との関係の影響か、
その子供たちをなかなかかわいいとは思えませんでした。
今回、その子供たちとも電話で話す中で、
心からかわいいと感じることができました。
不思議でしたが、私の囚(とら)われ**の“根っこ”が
解かれてきているのだろうなと思います。
光を送り続けてよかったと感じています。
私の心の中にいる神様 171
こんなに優しかったっけ?
こんなに優しかったっけ?
☆
*光を送る:感謝と感動の思いをもち、
その人の良心に向かって、神様の愛の光を
送っていくイメージで、
祝福の祈りをしてあげること
**囚われ:自己中心的な思いや
固定概念に固執してしまうこと、
その囚われた思い
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えたり、
プライバシーに関わる部分は省略等することがあります
文責:ten1ko2
その人の良心に向かって、神様の愛の光を
送っていくイメージで、
祝福の祈りをしてあげること
**囚われ:自己中心的な思いや
固定概念に固執してしまうこと、
その囚われた思い
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えたり、
プライバシーに関わる部分は省略等することがあります
文責:ten1ko2
あまり仲の良くなかったお兄さんに
光を送り続けたことにより、
囚われの根っこが解かれてきたということです。
やはり、継続は力なり、ですね。
継続して愛の実践をすることが
何より大事だと改めて感じました。
たとえば、遠く離れていたり、疎遠になっている、
氏族、親族にのために
祈ったり、光を送ることは
さして時間もかからず、
お金がかかるわけでもありません。
私も過去のこと(拉致監禁)もあり、
親族との関係がなかなか難しいです。
あまり関わらないことが当たり前に
なっているような日々でしたが、
これを機会にちょっと
やってみようと思いました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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