鄭元周(チョン・ウォンヂュ)秘書室長の証し
前回の続きになります。
☆
12月5日、咸鏡南道(ハㇺギョンナㇺド)の咸興(ハㇺフン)招待所に行きました。
咸興は、お父様が興南(フンナㇺ)に行く前におられた所でもあります。
闇が深くなり始める頃、咸興招待所に到着し、旅の荷をほどきました。
翌6日、いよいよ金日成主席に会うために、
麻田(マジョン)にある主席公館に向かいました。
公館は白い石造りの館で、四角形に造られていました。
金日成主席が立って父母様を待っていました。
その瞬間、「赤い魁首(かいしゅ)、金日成を打倒しよう」
と叫んだ学生時代の雄弁大会の光景が思い浮かびました。
会うや否や、お二人は互いに抱き合われました。
挨拶を交わし、写真撮影を終えてから、
晩餐(ばんさん)会場に向かわれました。
☆
メニューは非常に豪華でした。
食事は一人分ずつ用意されました。
北朝鮮では7日間で21回食事をしたのですが、
一度も同じものを食べることはありませんでした。
毎回、違う食事が出てきたのです。
まず、ご飯の種類が多彩でした。
21食のうち、同じご飯が出てきたことは一度もありませんでした。
お父様に、「どうしてこんなにいろいろなご飯があるのでしょう」
とお尋ねしたところ、
お父様は「北朝鮮には300種類を超えるご飯がある」と語られました。
王宮法によれば、ご飯の種類だけでも
332種類になるというみ言が改めて思い出されました。
餅(もち)も毎食、違う種類が出されたのですが、
中でも、見た目がカステラのようなかぼちゃの餅が非常においしくて、
その味は今も忘れることができません。
☆
金日成主席との会食は、とても和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気でした。
金日成主席はお父様を非常によくもてなし、心から尊敬の意を表しました。
金日成主席は凍ったジャガイモで作った荏胡麻(えごま)そばについて、
「文総裁ご夫妻のために特別に注文しました」と説明しました。
金日成主席が「5月に妙香山(ミョヒャンサン)へ遊びに行き、
そこで狩りを一緒にしましょう」と誘うと、
お父様は「アラスカで釣りを一緒にしましょう」と招待されました。
☆
お二人はジュースの味がするクロマメノキ酒で乾杯をなさいました。
その杯は小さなものですが、
それを持っていれば、金日成主席と乾杯したという証しとして、
死刑に値するような罪も赦(ゆる)されるほどの権威があるのだそうです。
お父様と金日成主席はお互いに、
自然な形でメニュー表にサインをなさいました。
お父様は金日成主席に、金日成主席はお父様にサインをしました。
お二人は、随行員にも一緒にサインをしてくださいました。
メニューが書いてある面には金日成主席が、
その裏面の白紙にはお父様がサインをなさったのです。
☆
お母様はこの期間も終始、優雅で堂々としていらっしゃいました。
北朝鮮では、夫人は家にいるだけの存在であり、
外部の行事には現れないのが原則のようでした。
夫人は絶対に夫と並んで歩くことはできず、
常に夫の何歩か後ろを歩かなければならないのです。
そのため、いつも案内員がお母様を制して、お父様との間に立つのでした。
それでもお父様は、常にお母様の手を握って歩かれました。
お母様に対するお父様の配慮は素晴らしいものでした。
鄭元周(チョン・ウォンヂュ)総裁秘書室長
「韓鶴子総裁還暦記念文集」第2巻に掲載(2003年)
(『TODAY'S WORLD JAPAN』2013年12月号
「証し お父様、子女様、統一家食口のために
歩んでこられたお母様の人生〈前編〉」より)
真のお母様の人生 5
お父様、子女様、統一家食口のために歩んでこられたお母様の人生
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19307
(Blessed Lifeより)
「韓鶴子総裁還暦記念文集」第2巻に掲載(2003年)
(『TODAY'S WORLD JAPAN』2013年12月号
「証し お父様、子女様、統一家食口のために
歩んでこられたお母様の人生〈前編〉」より)
真のお母様の人生 5
お父様、子女様、統一家食口のために歩んでこられたお母様の人生
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19307
(Blessed Lifeより)
☆
お互い笑顔で抱き合った、とか、
狩りや釣りを誘い合ったことなど、
大体聞いたことはあります。
それでも、お母さまと手を繋がれて歩かれた」
この件は、お母さまを心から愛し、
天の基準を絶対的に立てられる、
お父様の愛の姿を感じることができます。
また、「7日間で21回食事に毎回、違う食事が出てきた」
というのも、初めて聞きました。
本当に金日成主席が
真のお父様を心からもてなした。
という表れなのだと思います。
このような食事を召し上がられながら、
真の父母様は、貧しい北朝鮮の人たちに
「開放していかなければならない」
という思いを一層強くされていかれたに違いない、
そのように感じるのです。
秘書室長、貴重な証しありがとうございました。
狩りや釣りを誘い合ったことなど、
大体聞いたことはあります。
それでも、お母さまと手を繋がれて歩かれた」
この件は、お母さまを心から愛し、
天の基準を絶対的に立てられる、
お父様の愛の姿を感じることができます。
また、「7日間で21回食事に毎回、違う食事が出てきた」
というのも、初めて聞きました。
本当に金日成主席が
真のお父様を心からもてなした。
という表れなのだと思います。
このような食事を召し上がられながら、
真の父母様は、貧しい北朝鮮の人たちに
「開放していかなければならない」
という思いを一層強くされていかれたに違いない、
そのように感じるのです。
秘書室長、貴重な証しありがとうございました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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