2023年05月06日

「あの人がこんなで困ります」──世界で起こるすべての問題は、それを気づいた人の責任 《金元弼先生》



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(世界平和ファーストレディ協会*PEACE SUMMIT 2023)


金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「すべてを自分の責任とする」です。


もう一つ考えてみたいことは、
世の中に起こる様々な悩み、不幸を見て、
先生はその人たちの責任と見ないで、
全部御自身の責任として見るということです。

これを私がしなければいけない
と感じ取られるのです。

私の記憶では、先生が四回目の世界一周旅行(巡回)をされ、
ヨーロッパを中心として回られた時に、
世界はもう滅びる段階にまで傾いている
と直感されました。

そこでこういう世界をどうしたらいいのか、
と大変心配されたのでした。

その時、神は「それを感ずる人が
やるべきである」と先生に教えたそうです。


往々にして教会の中や社会で、いろいろと
心配なことが起こると思います。

あるいは、「あの人がこんなで困ります」とか
「このリーダーは本当に困ります」
と心配することがあります。

それをどうとらえるかも、先生が歩いて来られた道を
考えてみると、それを感じているその人自身が
責任を取らなければいけないという結論に至るのです。

私たちは人の心配をする時、ただいたずらに、
「この人はこうで、こうです」と言っていたのですが、
これからはそのようにできないと思います。

その人がそうならないように、私が
教えてやらなければいけないという
責任を感じなければいけません。


そういう心をもてば、人の悪口は
なかなか言えないようになるのです。
たとえ言うにしても、まず自分の責任を
果たしてから教えなければいけません。

私たちは将来、たくさんの人たちに
間違っているところを正しく教えてあげなければなりません。

それゆえ、先生が御自身の行かれた道を
教えてくださるのは、私たちが
同じ難しい道を行って勝利すれば、それが
将来人々を教える際の教科書になるからです。

だから、人を裁くということは、
私がその人よりももっとやることによって、
自然になされていくのです。

私が人よりよくできない時には、
かえって裁かれるのです。

先生が人に弁明するよりも、実績のために
死に物狂いで苦労された理由が
どこにあるかがお分かりになったと思います。

先生はたまたま(時々)、
こうお話ししてくださいました。


今はよくスリの話をされます。

今までの世では、人の物を分からないうちに
自分の物にしてきたのです。

しかし、理想世界では、それと
全く反対のことが起こるというのです。

どんなことでしょうか。
反対に分からないように人に与えるのです。

先生はこういった話を大勢の人の前よりも、
わずかな人の集まりの中でよくしてくださいました。


そのように人に会ったり、メンバーに会う時には、
常に人にプラスになる言葉を考えてほしいのです。

私の今の考えが、神にプラスになるのか、
マイナスになるのかを考えなければいけません。
先生は本当に細かいところまで考えておられました。

また逆に、反対する牧師のお祈りを聞いても、
それによってもっと神に近寄るならば、
どんどん反対しなさいと考えます。

先生の考えは大きすぎるのです。
先生には、敵を討つという
恐ろしいほどに強い心があるのです。

ところがその方法は、
この世の中とは全然違います。

反対する牧師たちを厚く迎えて
み言を伝えていかれたと話しましたが、
先生に侍る食口たちに食べさせることが
できないとしても、勝利しさえすれば、
反対した人たちという敵を討ったことになるわけです。

U 先生の道は我々の伝統
第七章 何よりも神のものを愛す
「すべてを自分の責任とする」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
わかりやすく読んでいただくため、
行区切りや段落等の区切りを再編集し
括弧書きで注釈を加えることがあります
文責:ten1ko2


以前掲載した蝶野部長の記事で、
このみ言の前半が解説されています。

親は子供が何か問題を犯した時、
たとえ子供が成人であり、
子供自体が罪を犯したとしても、
「私の問題だ」と捉えるでしょう。

ある芸能人の二世が不祥事を犯した時、
「ただただ申し訳ありません。
私の責任です」と謝罪会見をしていました。

このように、自分の責任、と捉える心情を持つためには、
家族意識、主人意識をもつことが重要であると思います。
それが真の父母様の姿です。

間違っていると、誰かを非難することはできても、
それを気づいている私自身が、
そのことを自分の問題だと思って責任をもつ・・・

そのような思いを持つ、というのは、
なかなか重たい決意だな、と思います。

それが、自分の子供であれ、
上司や親であれ、たまたま目撃したことであれ、
その間違いをおかしている人は気づかなかったりするので
その人のために祈ることから
始めていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 08:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする