金元弼先生のみ言。
『何よりも神のものを愛す』から
今回は、「先生の道は我々の伝統」です。
☆
先生の道は我々の伝統
韓国には鄭鑑録(ていかんろく)といって、
今から5、600年近く前のもので、
韓国の国運を予言した予言録があります。
それは今この時に、キリスト教でいう再臨主が、
韓国に再臨すると予言しているのです。
そしてその時が終末であるというのです。
☆
ところが面白いことに、その予言録には、
最初に入った者が不運であると書いてあり、
また遅れた者も不運だと書いてあります。
一番良い時に入るのがいいという話です。
最初に先生に出会った人は開拓期ですから、
たくさんの迫害を受けました。
それが耐えきれずに途中でやめる人が出てきたのです。
ところがどんどん発展して、真の姿が
あふれるように見える時には非常に入りやすく、
出ようとしても出られないというのです。
しかし入教した人々への祝福も、
いつまでもあるわけではなく、期限があります。
それが終わった時に入ってきた人には、
祝福も何もありません。
☆
それと同じく、最初に入った人でも、
その時期は非常に厳しくてなかなかついていけず、
私たちのように献身者になれないで、
背後に立って生活をしながら先生に侍るという状態にいました。
今からもう二十八年くらい前のことです。
その人たちは、もう六十歳を過ぎています。
☆
今、献身しようとしても、子供がたくさんできて
生活が苦しいし、なかなか献身できない立場にいるのです。
自分の後輩たちはみんな教会活動をやっているのに、
自分は実績も何もないので、良心の呵責を受けながらいます。
先生のことは分かっていても、
私たちと一緒になって走れない理由はそこにあるのです。
☆
私たちはそういう人たちのお陰で、
三次七年路程*の中に入って祝福を受けたということです。
かけがえのないものです。
これが終了した時には、先生が祝福を直接なさらない
と言っておられました。
これは大変なことです。
その時になって入る人たちは、
私たちをどんなにかうらやむことでしょう。
例えていうなら、二〇〇〇年前のイエス様の
弟子になるのがいいですか、
お弟子様の弟子になるのがもっといいのですかということです。
☆
最初のころは開拓期なので、
色々手が届かなかったのですけれども、
これからはそういうことがないように、
世界の巡回師をして
先生の伝統を立たしめるようにしていきます。
先生がこの道をどのように歩まれたのかという路程が、
我々のすべての伝統になるのです。
先生は神が行かれた道をそのとおりに行かれるからです。
U 先生の道は我々の伝統
第七章 何よりも神のものを愛す
「先生の道は我々の伝統」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第七章 何よりも神のものを愛す
「先生の道は我々の伝統」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
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再編集 文責:ten1ko2
三次七年路程*
三次七年路程*
真の父母が地上におられるこの時が、
どれだけ貴重でしょうか。
お母様は、「私と共に地上にいるこの時が
黄金期です」と言われています。
また、「伝道、伝道、伝道」と
口を酸っぱくして言われるのも、
今しかない恩恵のある期間だからこそです。
今、日本は本当に大変な状況におかれていますが
しかし、こういう時であればあるほど、
み言を伝えていく。。。
悔いを残さないためにも、
今、親が願われることを果たしていく、
そのような者になっていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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