2023年06月21日

異邦人の女性が、イスラエルの王の血筋を残せた理由 *ルツとナオミの物語3 《金元弼先生》



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金元弼先生のみ言。
今回は、「何よりも神と神のものを愛する」です。


ルツは一人の子供を生みました。
名をオペデといいます。
オペデはダビデ王のおじいさんに当たります。

ですから、イエス様やヨセフの血統も
ルツから出てくるのです。

こういう話をするのは、異邦人であるルツが、
いかにしてイエス様の先祖の血統、
イスラエル民族の血統を受け継ぐことのできる
祝福を受けたのかを知るためです。
(ルツとナオミの物語1より)
何よりも神と神のものを愛す

イスラエルの風俗によりますと、
お嫁に行った女が貞操を守れないときには、
石で打ち殺すという掟があります。

ところがナオミはルツに、
ボアズの寝室に入って、
足元に寝なさいと命じました(ルツ三・四)

ボアズが女好きな人であるならば、
問題はないかもしれません。
しかし彼は大変模範的な人でした。

それはイスラエル民族の有力者だ
ということからもうかがえると思います。

ですから、酒に酔っていたボアズの目が醒めて、
ルツを見付けた時に、
許さなかったならばそれでおしまいなのです。

ところがナオミには、神の恵みを必ず受けて
迎えられると分かっていました。

ナオミのこの心情とルツが一致するためには、
いくら信じ難い話であっても、
信じてそのとおりに従わなければなりませんでした。
ルツは死を決して従いました。


イエス様の時代にも、ペテロがイエス様に対して
「死の場へもあなたと一緒に行きます」
と断言したのですが、
彼はそれ以後否定したのでした。

このように言葉で言って認められることは
できるかもしれませんが、決定の段階で
つまずくことが度々あります。

信仰の基台が築かれても、
次の実体の基台で
つまずくことが往々にしてあるのです。


ナオミの三つの勧めに対して、ルツが
勝利したということは、ある面において
信仰の基台を築き上げた期間であり、
言いつけを守ることは、実体の基台を築く期間です。

その基台の上に祝福があるのです。
それによってメシヤのための基台が築かれ、
その上にメシヤが来られたのです。

言葉だけ、約束だけでは何事も成りません。
実体で勝利しなければなりません。


私たちの生活の中でも、そういうことは
たくさん繰り返されています。
生命視するものが人によって違うでしょう。

女性によっても違うし、男性の中でも違います。
生命より愛し大事にするものが、
必ず自分の一番の敵、試練になります。

それは何だというように、
ひとまとめにして言うことはできません。
私に大事なものでも
彼にはそうでないこともあるのですから。

 
今私たちは、ルツを通じて、自分も家庭も、
理想も神も信仰までも乗り越えて、
本当の神と神の民族を、神の理想、
神の家庭を大事にする心を
習わなければならないと思います。

ルツと同じように、私たちにも
この道に導かれる前の世界があります。
それを全部否定して入ってきたわけです。

しかし、入っているとしても、ここで
決定的に勝利しなければならない課題は
なお残っているのです。

そういうことを考えると、最も大切なことは、
私たちが認めたり認められたりするばかりでなく、
決定し決定されるという段階を経て、
最終的に判定されるまで
勝利しきらなければいけないということです。

何といっても人々からそうだと
認められなければいけません。

人からもサタンからも神からも、
どんどん認められなければなりません。

そういう過程がまだまだ残っていることを
考えるとき、いつもいつも自分の生活の中で
厳しく分別しながら行かなければならないと思います。

異邦の民の一人の娘でありながら、
イスラエルの尊い血統を相続しえた
ルツのことを考えてみました。

U 先生の道は我々の伝統
第七章 何よりも神のものを愛す
「何よりも神と神のものを愛す」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

再編集 文責:ten1ko2


ルツは異邦人でしたので、
当然、その民の信仰を持っていたでしょう。

しかし、姑ナオミに従って
彼女の神を自分の神としたのでした。

その土台で、ポアズと関係を持ったのです。
当然、私的感情は一切なく、
これもナオミの指示に従っただけでした。

前回もお伝えしたと思いますが、
重要なのは神様がどのように受け止めたのか、ということです。
自分の神以上にナオミが信じた神様を愛した、
その信仰を神様が受取り、
神様はナオミの血統にイエス様を誕生させたのです。

人間的な観点でなく、
神様がどう見つめるか、それが重要だというのです。


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posted by ten1ko2 at 13:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年06月20日

「あなたをどんなに愛しているか、知っているのか」イエス現る! 《UTS時代の神体験》



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神明(しんみょう)先生の信仰エッセー、
『UTS時代の神体験』より、
「イエス様も絶対にメシアだ!」を紹介します。


私は統一運動のメンバーとして、
メシアであられる真のお父様と真のお母様の路程を思うと、
大きな愛と勇気の力が与えられ、
試練のときにも
人を心から愛し忍耐することができたと思います。

と同時に、2000年前に来られたイエス様も、
たとえ十字架上の死の路程を行かれたとしても、
いや、十字架の路程を行かれたがゆえに、
メシヤとしてのすごい愛の力を持たれる、
ということを言いたいと思います。

実際、そのようなイエス様を私は肌で感じました。


UTS で教え始めてから3年経った1988年頃のことです。

UTSスタッフの中に問題児の女性(白人の米国人)がいました。
彼女は協調性がゼロで、しょっちゅう人とぶつかっていました。
また、他人から忠告されたり指図されたりすると、
直ぐに怒り出すのでした。

後で分かったことですが、彼女は幼いときに実父から虐待を受け、
それがトラウマとなっていた、かわいそうな食口だったのです。 

彼女の問題を聞いた総長は、彼女を解雇することにしました。
しかし、総長の独断ではなく、その前に一応皆の意見を聞いて、
皆のサポートのもとに公式発表をしようということになり、
UTSのトップ7、8人を集めた会合が開かれました。

彼らは皆、すでに総長の願いを知っているものですから、
「はい、解雇すべきです」と答えました。


ところが私の心の中には、それとは全く異なる思いが
フツフツと湧いてきたのです。

その思いがあまりに強くなるので偽ることもできず、
「解雇すべきではないと思います。
今まで私たちは彼女のために、
一体どのくらいの時間を割いて、
面倒見ようとしたでしょうか」
と失礼にも言ってしまいました。

総長も皆もびっくりしましたが、総長は 、
「それでは、彼女をドクター・シンミョウが責任を持って、
面倒を見てくれたまえ」 と宣告して、会合が終りました。


それからというもの、授業の合い間を縫っては、
食堂の片隅のテーブルで必死に彼女を和動し、
カウンセリングをしました。

だいぶ良くなったので、これなら大丈夫だろうと、
彼女を仕事場に送りました。しかし、しばらくすると
また人とぶつかってキックアウトされ、
私のところに連れ戻されてくるのです。

そんなことを4、5回繰り返すうちに、
“やはり無理なのかな” という悲しい思いがあふれてきました。

しかし、絶対に彼女を助けたいという決意で、
今度は彼女を私個人のオフィスに迎えて
カウンセリングをすることにしました。

“これが最後になるかも知れない” と思うと、必死でした。


あまりにも必死だったせいか、
見よ、私の頭上1メートルぐらいの少し右側に、
突然イエス様の顔がはっきりと現れたのです。

その瞬間、驚くべきことに、
そのイエス様の顔が私の体に入り込み、
私の口を通して彼女に語り始められました、
大粒の涙を流しながら。

「この私があなたをどんなに愛しているか、知っているのか。
その愛ゆえに十字架に行ったのを知っているのか」

次にイエス様は、私の体を通して両手を広げて
彼女に歩み寄り、ハグし、泣かれました。

その時の私自身の意識は、そのような超自然的現象を
止めようと思えば止めることもできるというものでした。


さすがの彼女も非常にびっくりして、
涙ぐみながら「すみません」と言い、心から悔い改めました。

彼女はそれからは二度と問題を起こさず、
UTSのスタッフとして働き続けることが許されました。
実に驚くべき奇跡が起きたのです。

この証しで、私は自分の体験を誇るつもりは毛頭ありません。
ただ「皆に仕えるために歩みたい」と言いたいだけです。

そして、「イエス様も絶対にメシアだ!」と
声を大にして言いたいのです。

UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー



素晴らしい証しですね。。。

私のように、キリスト教を知らない者からすると、
イエス様は、メシヤであることは知っていますが、
使命を果たせなかった方、
その思いがあって、申し訳ない限りです。

誰のゆえに果たせなかったかといえば、
私のような無理解な人類ゆえだったわけです。

2000年間の歴史を、イエス様は
クリスチャンたちを霊的に導いてこられました。
どれだけ愛したかったか、どれほど
天国を作ることを熱望してこられたのか。。。

クリスチャンたちは、神明先生に現れたように、
霊的な体験、恩恵を受けてきたのですね。

神明先生の、あまりに切実に愛したい、という
心情ゆえに、通過体となり
イエス様も現れることができたのだと思います。

問題児だった女性の
親に正しく愛されなかったトラウマも、
イエス様の、あまりに溢れる愛に触れて、
きっと解かされてしまったのでしょう。

勝利された、真の父母様に侍る者として、
イエス様を通して受ける恩恵以上の
霊的体験、恩恵を受けているのだから
感謝しなければならない、
そんな思いにもさせられます。

そのためにも、私が勝利したい、というよりは、
この人を愛したい、仕えたい
そのような心情が必要だと、気づかせて頂きました。







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2023年06月19日

私が苦手な伝道を克服できたのは・・・ 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラム。
今回は、「40年来の伝道への恐れがなくなった」です。

(男性、70代)

私は、信仰の初期の頃に街頭伝道をしていた時、
道行く人に「神様を信じますか?」と呼び掛けては
否定され、あるいは無視されて、
そのたびに傷ついていました。

それが嫌で嫌で、30分もすればやめたくなるのが常でした。
以来、伝道が大嫌いになり、この40年間、
まともに伝道したことがありませんでした。

ところが、今の真のお母様の祝福家庭に対する願いは、
「神氏族メシヤの勝利」です。
それはつまり「伝道せよ」ということです。

これは困ったと思いました。
お母様が“全てを下ろして伝道に突撃せよ”
とおっしゃっているのに、
一歩踏み出せない自分が歯がゆくなったのです。

 
それで思い切って、南東京教区(当時)の
伝道所を訪ねました。

初めに、「自己牧会プログラム」に基づいた
「伝道ブリーフィング」を視聴しました。

1時間ほどの映像だったのですが、最初の1分で、
自分が伝道できない原因が分かりました。
 
一つは「断られて傷つきたくない」という
過去のトラウマゆえの恐れ、
もう一つは「実績がなければ他の人に
何と思われるだろうか」という自分の位置や
信仰歴に対するプライドだというのです。

私は納得すると同時に、
「自分はこれまで、なんとつまらないことで
伝道から逃げていたんだろう」と思い、
心が軽くなりました。


しかもその映像では、
「断られたり無視されたりしても、
その人の幸せを祈って光を投げ掛けましょう」
と教えているのです。

衝撃でした。


翌日、いよいよ伝道に出ることになりました。

自分を傷つける人の幸せを祈れるのだろうか
と半信半疑ではありましたが、
いざ街頭に立ってみると、信仰歴何年とか、
年は何歳だとか、過去にどういう役職に就いてきたなど、
一切気にならないのです。

「これはいい、全てを下ろせるなあ」
という手応えがありました。

また、どんなに否定されても、
その人の幸福を祈ると、不思議と
傷つかないという驚くべき発見もありました。

否定されるたびに
グサーッときていた過去がうそのようです。

以来、1年以上たった今も週に3〜4回の割で
伝道に出ており、不思議なことに継続できています。

目に見える結果はまだなのですが、
結果にこだわることなく歩めているのが
感謝であり、奇跡です。

これからも精誠を尽くします。

(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


この証しは、3年くらい前のものです。
今、街頭伝道に向かうのは、難しい時なのかもしれませんが、
伝道に対する意識は持たないといけないと思うので、
紹介させていただきました。

今の状況だとしても、
意識は強く持たないといけないし、
何よりも伝道できる対象は、
必ずいるのだと思います。

目の前の家族もそうですね。
普段お付き合いしている近所の人もそうです。
良心の声に耳を傾けながら、
「必ず道がある。見つけ出しなさい」
この精神で頑張っていきたいです。




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posted by ten1ko2 at 09:47 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする