朴普熙先生の「青年よ行け、そして世界を救え」
今回は、『再臨の救世主はだれか』です。
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三、神の創造と堕落と復帰
再臨の救世主はだれか
再臨の救世主はだれか
では、その再臨の救世主は、どなたでしょうか?
もし、紀元2000年が新時代の出発であるならば、
その救世主は既に、この地上に
いらっしゃらなければなりません。
今生まれては、もう遅いのです。
まさしくそうでございます。
その再臨の主は、既にこの世に来ておられます。
私はこの救世主に38年間、侍って(仕えて)いる者でございます。
私にはあまりにも幸福なことであります。
ところが、初めての皆様には、
衝撃であるかもしれません。
けれども、何を恐れましょうか。
これは福音でございます。
その方はまさしく、『ついに解明された1999年』
(高坂満津留著、光言社刊)の本が証している、
東洋が生んだ偉大なる世界的宗教指導者、
REV. SUN MYUNG MOON、すなわち文鮮明先生、
その人でございます。
☆
皆様。この救世主は同時にまた、
人類の真の父母でございます。
本当は、神が創造された最初の人間、
アダムとエバと呼ばれる人間の先祖が、
堕落せず、完成していたならば、
彼らが人類の永遠なる真の父母になったはずであります。
ところが、彼らの堕落により、
二番目のアダムとして、この世に遣わされた方が、
イエス・キリストであったのです。
先にも申し上げたように、選民の不信仰により、
十字架にかけられたがために、
イエス様は真の父母にはなれませんでした。
それで、再臨のメシヤは第三のアダムであり、
ここで初めて人類の真の父母が、成就されたのであります。
これは人類にとって、最大の福音であります。
☆
この救世主、真の父母は、すべての宗教の完成であります。
キリスト教では再臨のイエスであり、
仏教では弥勒仏であり、儒教では真人であります。
最も重大なことは、これがみな、
同一人物だということでございます。
一つの神は、この地上に一双の真の父母を成就し、
宗教はこの方によって統合、そして
人類の救援が完成されるのでございます。
長い間、待ちに待った地上天国の理想は、
今やこの真の父母によって、実現されるのでございます。
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この救世主、真の父母は、
すべての宗教の完成であります。
キリスト教では再臨のイエスであり、
仏教では弥勒仏であり、儒教では真人であります。
最も重大なことは、これがみな、
同一人物だということでございます。
一つの神は、この地上に
一双(組・ペア)の真の父母を成就し、
宗教はこの方によって統合、そして
人類の救援が完成されるのでございます。
長い間、待ちに待った地上天国の理想は、
今やこの真の父母によって、実現されるのでございます。
1995年講演
(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)
青年よ行け、そして世界を救え 7
再臨の救世主はだれか
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19467
(Blessed Lifeより)
(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)
青年よ行け、そして世界を救え 7
再臨の救世主はだれか
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19467
(Blessed Lifeより)
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再編集 文責:ten1ko2
朴先生は、文鮮明先生が救世主であり、
真の父母様であることを堂々と証ししています。
実際には、『真の父母』なので、お母様、
すなわち韓鶴子総裁も真の父母様であります。
私たちは、このことをはっきりと知らなければならないと思います。
お父様は、霊界におられ、
おそらく、地獄を解放するために、
安穏として過ごしてはいないでしょう。
そして、地上の今の状況に対して、
決して、楽観視されているとは思いません。
霊界から必死に協助してくださっていると思います。
霊界からの援助を受けられるような、
地上の精誠が必要である、と感じるのです。
朴普熙(パク・ポーヒ)先生(1930〜2019):36家庭
1957年入教後、1961年に駐米韓国大使館の
陸軍武官補佐官として米国に赴任。
1972年以降、38年間にわたり文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁の
特別補佐官を務め、「ワシントン・タイムズ」社の
初代社長をはじめ統一運動の重職を歴任されました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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