「ドクター神明の信仰エッセー」の
セレクションです。
☆
激しく泣いて、リーダーたちに不当を訴えた
激しく泣いて、リーダーたちに不当を訴えた
私は非常に難しい状況を通過した後、
やっとUTSに就職した身なので、
困難とは何かをある程度知っていました。
それで、困っている学生を見ると、
同情のあまり、すぐに飛んでいって
助けてあげるようになっていました。
私がUTSで教鞭を執り始めて
2年ぐらい経ったある日のこと、
UTS執行部の最高評議会が、
「問題児」と言われる英国出身の男子学生について
話し合いをするために、会議を開きました。
アカデミックなことを教えていさえすればよい私も、
学生の内的指導の役割を買われ始めていたためか、
その会議に特別に招待されました。
会議が始まると、議長である副総長を中心とした
数人のリーダーが、その学生が
いかにカイン的で批判的な危険分子であるか、
そしていかに彼が、UTSの他の学生たちに
悪い影響を与えているかなどを話し始めました。
そして、彼を退学させるという
結論を出そうとしていました。
☆
ところが、私の心はどうしても納得がいきません。
その権威主義的で愛のないやり方は
神様を中心とした教育の原則にもとると感じ、
後でそのリーダーたちからにらまれて
教授職をクビになるのも覚悟で、
次のように発言しました。
「彼は自分で決意して入教した大切な神様の息子です。
彼に問題があるというのなら、
私たちは一体どれだけ時間を取って
彼を個人的に面倒見たでしょうか。
彼を食事に誘ったりして、
温かい言葉をかけてあげたでしょうか。
それもせずに、どうして退学させることができるでしょうか」
そう言いながら、私は泣き出しました。
そして、さらに言葉を続けて、
「私は彼のような学生を見ると、
苦しくとも忍耐して行こうね、神様が導いてくださるからね、
と言い聞かせているのです」 と言いました。
☆
そうしたら、私の泣き声は急に、
火山が大噴火をしたように爆発したのです。
「ウォーン」という泣き声の音量が
最大限まで上昇して部屋中に響き渡り、
ガラス窓まで振動させるぐらいになりました。
この私も、そのような自分に驚きました。
リーダーたちは、目の前で
考えられないことが起きていることに
びっくり仰天し、会議は完全に中断しました。
私の激しい泣き声だけが、
とめどもなく波のように湧き起こり、
4、5分間続きました。
そして、それがやんだ後も会議は停止したまま、
全くの沈黙状態でした。
その沈黙を破ったのは、泣いた後に起こる
私のしゃっくりの音だけでした。
☆
しばらくして、ついに議長が口を開いて、
静かな声で 「今のドクター・シンミョウの
言ったことは正しい」 と宣言しました。
その結果、その学生は
退学させられずUTSにとどまることができました。
そして彼は私に何でも相談してくるようになり、
態度も変わってきました。
これは私の力ではありません。
神様の力だったと思います。
神様が号泣されたのだと思います。
私はただ神様の心情の通過体であったにすぎません。
☆
その後、何かのイベントで
イーストガーデンに行くことになりましたが、
UTS総長の計らいで、私はメーンテーブルの
お父様の真ん前に座らされました。
お父様が私の顔をじーっとごらんになって、
「UTSで今どうしてるのか」 と聞かれたので、
「UTSの学生たちを面倒見ながら
神様の愛をすごく感じて、感謝しています」 と、
実感を込めてお答えしました。
お父様はその話を満足気なお顔で
聞いていらっしゃいました。
今頃になってなぜこのような証しを持ち出すのかというと、
もう一度、教会のさまざまな問題を
神様の愛の力でもって解決できたらなあ、と思うからです。
何も私からではなく、誰にでも
神様の力が働けばいいなあ、と思うからです。
UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー
神明忠昭
神明忠昭
☆
再編集 文責:ten1ko2
神様が神明先生に働かれて、
役事を起こされたんですね。。。
私たちは完ぺきな人間ではありません。
誰にでも問題はあります。
ただその問題を指摘するだけでは、
何の解決にもなりません。
だいたい批判する人もどうなのか、
と思ってしまいますが。。。
神様は生きておられます。
神様の心情に通じる人を通して、
神様が役事されると思います。
神明先生も執行部を批判するのではなく、
神様の立場で学生のために泣きました。
お父様はそのことを感じ取られたのでしょうね。。。
私たちに対しての貴い教訓でした。
神明先生、ありがとうございました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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