2023年06月26日

山や木、建物を見ても神を感じ、涙する私になったのは ──えこひいきの上司ゆえに 《UTS時代の神体験》



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真のお父様から命を受けて
UTSに赴任した神明(しんみょう)先生は、
多くの伝説を生んでいきました。

いつも、真の父母様を身近に感じておられたということですが、
そのような境地に達するのは
簡単ではなかったようです。

『UTS時代の神体験』より、
「恵みを受けた弟たちに対して
嫉妬心を抱かなかったとき」です。


私は1985年の1月からUTSで教え始めました。
そのとき、「家族をUTS内に連れてこないように」
と初めに言われていたので、
いつもタリータウンの自宅から片道1時間半、
車を運転をして通勤していました。

そのうち、私のポンコツ車は使用不能寸前になってきたので、
通勤を継続するため、どんな車でもいいから
それを買うための費用の一部でもUTSで払ってほしいと願い出ました。
子供4人を抱えた私は、UTSでの安い給料では余裕がなかったのです。

しかし、UTSにも経済事情があったせいか、
私の願いは一蹴されてしまいました。
このくらいの願いだったら受け入れてもらえるのではないかと
期待していたのですが、だめでした。

しかたなく、週末は家庭教師のアルバイトなど他の仕事をして、
自分の責任で自動車を調達しました。


さて、私が教鞭を執り始めてから3年ぐらいたって、
米国人の後輩2人 (UTS卒業生) が、私と同じように
他の大学で博士号を取得し、UTSに戻ってきて教えるようになりました。

私の専門はキリスト教神学でしたが、
彼らの専門はそれぞれキリスト教会史と世界諸宗教でした。
幸いにも彼らは自分の妻子全員を
UTS内に連れてきて住まわせてもよいということになりました。

さらに、その2人の後輩は総長に、
彼ら2家庭が共同使用する新車のワゴンを
1台買ってほしいという願いを提出しました。
私のときと違って、総長はそれを承認しました。

いよいよ、スタッフと食口の教授陣を交えた
ある日の朝食会の会合で、
その承認の発表がなされることになりました。

そして、総長は自らがそれを発表した瞬間、
私のことが気になったせいか、私の顔をちらっと見たのです。

私も人間ですから、遠い自宅から通勤のために自動車は
喉から手が出るほど欲しかったのに、私の願いは蹴られ、
2人の後輩は学内に住んでいて自動車の必要性はあまりないのに
新車を買ってもらうという現実を、
正直言って受け入れ難かったのは確かです。

なので、そのときに私は文句を言うこともできたのです。
しかし、そこは我慢して、何もなかったかのごとくふるまい、
恵みを受けた後輩である弟たちを嫉妬せずに、
彼らをかえって祝福してあげられるような心情を
どうか持たせてください、と天に祈りました。

総長は、私の顔が乱れた様子もなく平安なようだと感じて
安心したらしく、会合の議題は次に移りました。


その後のことです、
私が真のお父様により近くなったように感じたのは。

内的にお父様がそばにいらっしゃるように感じ、
人を見ては涙ぐみ、
山や木、建物を見ては涙ぐむようになりました。

この愛の力の恵みは、
自動車などの万物には代えられないものでした。

「UTS時代の神体験:ドクター神明の信仰エッセー」
『世界家庭』より
再編集 文責:ten1ko2


神明先生の証しはとても具体的でわかりやすいですよね。
愛の減少感の局地を乗り越えていかれました。

人によって次元は異なるでしょうが、
誰もが通過する愛の減少感。
嫉妬にかられないためには、
神明先生のように切実に祈っていくと、
平常心を保て、越えていけることでしょう。

先生のような父母様との心情的出会いはなかったとしても、
愛の減少感を越えることを通して、
真の父母様が乗り越えていかれた境地に
一段階近づくのかもしれません。

また、苦しい立場に置かれたとき、
感謝して乗り越えることを通して、
神様、真の父母様が、ともにおられることを
改めて感じることができると思うのです。





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