2023年07月16日

叱られて死ぬほど悩んだあと、私が泣き崩れたのは… 《TPとの小さな出会い*石尾局長》



230716-76moon_web.jpg


石尾局長の証し。
今回は、「食口一人一人に注がれる
真の父母様の絶対愛に感涙」です。


『原理講論』 に、
「人間は、元来、取って食べてはならない
と言われた神のみ言を、命を懸けて守るべきであった。
しかし天使長からの試練に勝つことができないで、
堕落してしまったのである。
それゆえに、『メシヤのための基台』を復帰し、
家庭的カナン復帰完成者となるためには、
サタンと命を懸けて闘う試練に
勝利しなければならなかった」(344ページ)とあります。

また、聖書には、
「自分の命を救おうとするものは、それを失い、
それを失うものは、保つのである」(ルカ1733)
と記されています。

私たちは、アダムとエバが
命を懸けてサタンと一つになり、堕落したので、
私たちが命よりも神様を愛してこそ
救われるということを知っています。

2003年の秋から2004年の春にかけて、
この内容について、
真の父母様から教えられた「出会い」があります。

その一連の出来事について、
今回と次回の2回にわたって証しします。

そして、この証しをもって、昨年から連載してきた
「真の父母様との小さな出会い」シリーズを終えようと思います。


2003年10月は、国連関連の行事がめじろ押しでした。
摂理史上、 大切な時期であったと思われます。

10月3日、午前中はニューヨークの
マンハッタンセンターで行事があり、
午後は国連前で集会がありました。

翌4日午前5時から、 イーストガーデンで
真の父母様を中心とした訓読会が行われました。

私は、訓読会が始まる前に通訳を言い渡され、
一度は断りました。

真のお父様のみ言は北朝鮮のなまりがあって、
韓国語を母国語とする韓国人でなければ、
聞き取れないからです。

しかし、成り行き上、私が通訳をすることになりました。


集会場のいちばん後ろで通訳をしていると、
案の定、通訳できない時間が生じました。

その時です。
真のお父様が、「日本のメンバー、分かりました?
日本語で同時通訳するだろう?
分かりました?
今、何を言ったか、言ってみな」とおっしゃったのです。

私が通訳をできていないのに、
日本のメンバーたちが答えられるはずはありません。

責任を重く感じた私は、勇気を出して立ち上がり、
真のお父様に向かって、大声で、
「申し訳ございません。
同時通訳が良くできませんでした」とお伝えしました。

すると、真のお父様が大声で、
「○○○○」 (私に言われたプライベートな
ことなので、 文字にするのは避けます) と
言いながら、激しく叱責されたのです。


あまりにも激しい叱責であったため、
私は何も考えられなくなり、
心も体も固まってしまいました。

その後、私は何週間も悩みました。
文字どおり、死ぬほど悩んだのです。
しかし、実際に死ぬなどということはありえません。

悩みに悩んだあげく、あの訓読会で
自分が叱られたあと、 真のお父様が
何を語られていたのかを確認するため、
録音を聞いてみようと思いました。


実は、お叱りを受けたあとのことを全く覚えていなかったのです。

真のお父様は、「○○○○」とおっしゃってから、
日本語で、大きな声で「ばかは?」と尋ねられました。
すると、日本の女性食口たちは、大声で口をそろえ、
「死ななきゃ治らない」と唱えまし た。

その後、お父様は笑いながら、「そういう場合には、
ばかは生きなければならないと言ってね。
...... ばかは生きなければならない」 と、
同じ言葉を2回重ねて話されていたのです。

そして、「教育方法、方便はいろいろあるが、
親しい関係では理解できるので、
(叱られた者は) 悟りが早くなければならない」
との趣旨で、フォローするみ言も語っていらっしゃいました。

私は、真のお父様が
「ばかは生きなければならない」と言われたことを根拠に、
恥ずかしながら、歩み続けることにしました。


約3か月後の2004年1月1日、「神の日」を迎えました。
韓国・清平の天城旺臨宮殿には、
真の父母様のみ言を受けて1年を出発しようと、
全世界から責任者や中心食口たち数千人が集まっていました。

私は通訳室で、真のお父様以外の先生方の通訳をしました。
天城旺臨宮殿は、その構造上、
真の父母様からは見えない位置に通訳室がありました。

真のお父様は、世界中の大切な責任者たちを前に
年始のみ言を語りながら、
ふいに、「きょう参加した者の中に、
先生から 『○○○○』と言われて悩んでいる者がいるだろう。
『〇〇〇〇』 と言われたことを通して、
メシヤと因縁を結べたならば、
それは、とても良いことではないか」
との趣旨で語られたのです。

それは、年始のみ言の文脈とは全く関係のないものでした。

そのとき、真のお父様がイーストガーデンで、叱責しながら、
大声で 「○○○○」とおっしゃったお姿が思い浮かび、
「これは、私に向かって語ってくださっている」と分かりました。

私は本当に驚きました。
何千人もいた参加者たちには、必要のないみ言だったからです。

また、前述のとおり、真の父母様から通訳室を見ることはできず、
私がいることなど、真のお父様に分かるはずもなかったのです。

通訳室で、私は思わず泣き崩れました。
大切な世界の責任者たちの集会で、
私のような、こんなにも小さな者のことを
心配してくださった真の父母様の愛に感動したからです。

世界家庭より
再編集 文責:ten1ko2


先日紹介した「どのようにして叱るのか」という
金元弼先生のみ言に
真のお父様の叱り方がありましたが、
激怒されているような時でも、
決して感情的に怒っているわけではない
ということでした。
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/499948194.html

石尾局長に対しても、
ただ怒りにまかせて叱られたのではなく、
何か意味があったことは確かでしょう。

それにしても、
「○○○○」とお父様が何を言われたのか、
とても気になるところですが。。。

個人的なことを言われたのに、
それを公的な場でもう一度、
お父様が語られたということは、
石尾局長に直接語られたということになりますね。

やはり、どんなことであっても、
真の父母様と因縁を結ぶ、ということは、
とても貴いことなのだな、と思わされます。

私たちは、真の父母様とお目にかかれる機会、
さらには、直接縁を結ぶ機会はありませんが、
真のお母様が、私たちを愛してくださっていることは
本当に確かであるし、感謝すべきことだと思います。

真の父母様を意識しながら
日々のみ旨をなしていきたいと改めて感じるのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


2023年07月15日

天国で、愛し合う夫婦が食事をするとどうなるか 《李相軒先生の霊界メッセージ》



230715.jpg


李相軒先生の霊界メッセージです。

相対性原理の基本

本然の愛とは、神様がエデンの園で
求めようとされた愛をいいますが、
ここで相対性原理とは、何の関係があるのでしょうか。

相対性原理の基本は、
相対のために授け受けしようとすることです。

ここで「本然の愛から見た相対性原理」とは、
天国理想郷に向かっていく
善男善女たちの姿について話そうと思います。

相対性原理から見た本然の夫婦の暮らし

相対性原理から見た本然の夫婦の暮らしとは何でしょうか。

例えば、夫婦が食卓に座って御飯を食べるとき、
妻が夫に勧めたい食べ物があれば、
妻が考えるのと同時に、
その食べ物が夫の前に置かれます。

主体である夫が対象である妻に感謝し、
返礼しようとすれば、その考えを妻が予知して笑うのです。


ところで、地獄で食べ物を分けて食べる姿を見ると、
相手の考えを互いが察しえないのです。

まるで労働現場や監獄などで見るように、
おなかが空(す)くと先にたくさん食べようと争うようです。


天国では、夫婦が考えて、言って、行動すること自体が、
互いに眺めてみて、視線さえ見ても分かるのです。

与えようとする心を、互いに察するために、
まるで磁石に羅針盤がついていくようです。
ここには、自分を中心とした利己的な心がありません。

それゆえ、いつも謙虚な姿勢であり、
互いに尊敬する姿勢によって
平穏なほほえみを浮かべて暮らしています。

本然の愛の恍惚(こうこつ)の光の中で、
楽しく踊り、互いに授け受けしようという心で
暮らしていく世界です。

地上で本然の愛の理想を夢見ながら、
熱心に暮らしていく夫婦愛の中で、
神様の前に合格する人生を生きていくことを願うところです。

(1997年8月8日)

(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第三章 原理から見た霊界の暮らし
十二 相対性原理の基本と本然の夫婦の暮らし

霊界の実相と地上生活(29)
相対性原理の基本/相対性原理から見た本然の夫婦の暮らし
再編集 文責:ten1ko2


相手の心を瞬時に読み取る。。。
天国って素晴らしい世界ですね。

そう考えると
今生きている地上世界で
訓練しなければ、と思います。

相手の心を読む、霊的な感性を
身に着けるかどうかは別として。。。

相手のために生きようとする、
愛の心を育む、しかも自然にできるような、
そういう感性を磨かなければ、と思うのです。





にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)

posted by ten1ko2 at 08:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年07月14日

このような愛を伝えよう! 草創期の証し、真の父母の前で韓国の歌を歌ったら・・・ 《飯野先生後編》



230709-1972.09.jpg
(1972年9月、韓国・雪岳山)


飯野先生の証し、先回は1971年の証しでしたが、
翌年、1972年のエピソードです。

■真の父母様との親子の情に酔いしれた体験

1972年9月、日本の責任者たちが訪韓した際、
真の父母様と一緒に雪岳山(ソラクサン 江原道)に登ったことがありました。

頂上に着き、真の父母様の周りに
みんなが座って休憩していたときのことです。
たまたま、そばにいた私にお父様が、
「飯野君、歌を歌え」とおっしゃったのです。

そこで私は、お母様もいらっしゃるので
韓国語の歌がいいかなと思い、
「オンマヤ ヌナヤ」を歌いました。

歌い始めてすぐに、お父様が
「発音が違う。カンビョンサルヂャだ」
と注意してくださいました。

私がとまどっていると、私に顔を向けて、
口元を示しながら、「カンビョンサルヂャ」
と5回ほど見本を示してくださいました。

私にはその違いが全く分からず、
口の中を変化させて発音してみても、直りません。

お父様が笑われると、今度はお母様が、
口元を示しながら発音してくださいました。
結果は同じでした。

集まっている食口たちの中から笑い声が上がり、
「飯野さん、だめだねえ」と
揶揄(やゆ)するような声も聞こえました。

確かに、恥ずかしい限りです。
しかし私は感動していたのです。
こんな不足な者のためにお父様、お母様が
直接手本を示してくださったのです。

自分は耳も聞き取れず、口も正しく発音できず、
惨めな姿でしたが、真の父母様は
このような不足な者と分かりながらも、
何とか直してあげたいと真心を尽くしてくださったのです。

私は感動と感謝で、胸が熱くなりました。

このように、いつも真の父母様は、
忍耐強く真の愛を尽くしてくださっているのです。

230709-1972.09.png
真の父母様と共に雪岳山に登山。真のお父様
の左が筆者(1972年9月、韓国)

■温かい心情関係を土台に伝道に励みましょう

このように、真の父母様は事あるごとに、
私たちと心情の因縁を結んでくださいました。

そのことを通して、「こうして互いに愛し合うんだよ」
と手本を示してくださったように思います。

私たちが兄弟姉妹の間で、氏族との間で、
このような温かい心情関係を結ぶことができたなら、
そこが、神様の臨在される
「神霊と真理にあふれた教会」になるのではないでしょうか。

そして、そのような心情関係を土台に歩めば、
今お母様が切実に願っておられる
「伝道」が爆発的に進むと確信します。

天一国特別巡回師に聞く
神霊と真理に満ちた教会を目指して第11回

互いに愛し合う手本を見せて
くださった真の父母様
天一国特別巡回師 飯野貞夫
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=9865
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


日本人が韓国語を話すとき、
当然、くせがあり、変な発音になってしまいます。

真の父母様が発音を直そうとされる姿は、
まさに親の心情の発露なのだな、と思います。

この心情関係を示していくのは、
正に今しかないでしょう。

先日、石尾局長が本部映像で紹介してくださった
「大家族礼拝」にも示されているように、
家族意識をもって、食口同士の関係を
本当に兄弟姉妹、と言えるような、
心情の絆を結んでいく時なのだと思うのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)