朴普熙(パク・ポーヒ)先生の「青年よ世界を救え」
今回は、朴先生が、再臨主である
文鮮明先生に出会った証しと、
生死、霊的な命についてのお話しです。
☆
私と救世主の出会い
私は1950年の韓国動乱の時、陸軍士官学校の生徒でありました。
戦争が起こったその日から前線に出て、
生々しい地上地獄を体験いたしました。
毎日毎日、同僚が死に、部下が死んでいきます。
私もいつ死ぬか分からない。
あの時、私は21歳の青年でありました。
いったい、「死とは何か。
死後に何があるのか。
私を助ける神様はいるのか」。
毎日、このような質問をせざるを得ませんでした。
私は宗教を求めました。
お寺にも行きました。
教会にも行きました。
哲人にも会いました。
けれども私の胸に、救援の火を付けてくれる
真理は、どこにも見つかりませんでした。
☆
死ぬほど苦しい五年の修行の末、
1957年、ついに私はレバレンド・ムーンの
「統一原理」に接したのでございます。
驚くべきかな! 私の人生は一遍に光に照らされました。
疑いの雲、不安の雲が一遍に消えました。
死とは何か、生命とは何か、
神はいるのか、
歴史はどこに行くのか、
どんな生き方が本当の生き方なのかという、
人生の根本問題に対して、
私ははっきりと解答を得たのでございます。
深い霧のごとき疑いは、日本晴れに晴れ、
私はまさしく偉大な真理に出会うばかりか、
人類の救世主に出会ったのでございます。
本当の生命と死
私はここで、私たちの人生において、
最も重大な本当の生命とは何か、
死とは何かに対して一言申し上げたいと思います。
今、私たちは生きております。
日本に1億2000万人が生き、
世界に50億の人間が生きております。
少なくとも私たちは、生きていると思っております。
問題は、神様の目から見て、
私たちは本当に生きているかであります。
不幸にも神様の目から見て、この世は、
この世界は死んでいるのであります。
それは何も私たちが、
悪いことをしたからではありません。
人間先祖の堕落の結果であり、
神から離れた結果でございます。
☆
神の目から見て、死んでいるということは、
どういう意味なのでしょうか?
それはもちろん、この肉体が
死んだというわけではありません。
死んだのは、霊的生命であります。
神は人間にだけ、肉体のほかに、
もう一つの生命、霊的生命を下さいました。
動物には、霊的生命というものはありません。
神は人間を二重につくられました。
一つはこの肉体的生命であり、
もう一つは霊的生命であります。
☆
その霊的生命を霊人体と申します。
新しい言葉ですので、もう一回申し上げます。
霊人体!
私たちは大体、死んだら何か魂とか、
幽霊のような物が残ると思っております。
それは間違った考えでございます。
霊人体は、単なる魂ではなく、幽霊でもなく、
もう一つの完璧な、霊的な心と体でございます。
本当は、この肉体よりも
完璧な体が霊人体であります。
☆
皆様は今、私の肉体を見ておられます。
ところが、皆様が肉眼で見ることのできない、
もう一つの私、霊的な私がまた、
ここに今立っているのでございます。
二重の私が一つになって、ここに立っているのです。
私の霊人体は、私の中にいわば
「はめこまれて」おります。
皆様の霊人体も今、皆様の中にはめこまれているのです。
見えないというのは、この肉眼だけであって、
私たちの霊眼が開けば、明らかに見える体です。
私が永生するのは、この肉体ではありません。
私の霊人体であります。
それが本当の私であり、永遠に生きる私です。
☆
このように、人間が永生するのは、
その霊人体であるのに、
それが人間の堕落により死んだのです。
これは永遠の死でございます。
私たちの肉体の死は
神様の目からは死ではありません。
それは神の目からは「家移し」にすぎないのです。
地上世界から天上世界へ家を移すのです。
その天国には霊人体だけで入りますから
この肉体はいりません。
それで着物を脱ぐように
肉体をこの世で脱いでいくのです。
☆
創造本然の人間は霊眼を持って
あらかじめ霊界をみんな見て行くのですから、
そこには「死の恐怖」がありません。
皆様はっきりと申し上げたいことは、
人間の堕落により人は霊眼がくらみ
死後が見えなくなったので、
「死の恐怖」が現れたのです。
それが今、この世で死を恐れる理由でございます。
天国人には「死の恐怖」はございません。
☆
神様から見る本当の人間の死は霊的な死であります。
この宇宙に、生命の根源はただ一つ、神様でございます。
この世のあらゆる生命は
すべて神から来るものであります。
それが一つの草であろうと、虫であろうと、
このような花であろうと、
現代の科学では生命をつくることができません。
偽物はよくつくられますが、
生命は吹き込めません。
死というのは、その生命の根源、
神から離れた結果を申します。
枝が幹から離れたら、
枯れて死んでしまうのは当然であります。
☆
神様はこの地上世界のほかに、
私たちの霊人体が生きる、
もう一つの世界をつくられました。
それを霊界と申します。
言い換えれば、神は地上に天国一つ、
天上に天国一つ、二つの天国をおつくりになりました。
そして人間は、この地上天国では、
肉体と霊人体で共に生き、
地上の肉体の生命が終わると同時に、
それを私たちは、「死ぬ」と言うのですが、
本当に死ぬのではなく、
我々の霊人体は天上天国に昇り、
神と共に永遠に生きる構造になっているのであります。
朴普熙(光言社・刊
『青年よ行け、そして世界を救え』より)
青年よ行け、そして世界を救え 8
人類の終末
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19552
(Blessed Lifeより)
『青年よ行け、そして世界を救え』より)
青年よ行け、そして世界を救え 8
人類の終末
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19552
(Blessed Lifeより)
☆
再編集 文責:ten1ko2
朴先生を伝道された信仰の親(霊の親)は、
アメリカ開拓をされた金永雲先生です。
陸軍将校というとても優秀な方を伝道されたわけですから、
金永雲先生は、相当な精誠を尽くされたのだと思います。
そして、朴先生ご自身も求めに求めていたので、
み言にスパークされたのでしょう。
私たちも神様に出会い、
霊的な生命を与えられているのです。
そのことを知的に理解するだけでなく、
心から実感していかなければ、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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