2023年07月01日

神から見て、私は生きている? 私がメシヤに出会ったのは 《朴普熙先生*青年よ世界を救え》



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朴普熙(パク・ポーヒ)先生の「青年よ世界を救え」
今回は、朴先生が、再臨主である
文鮮明先生に出会った証しと、
生死、霊的な命についてのお話しです。

私と救世主の出会い

私は1950年の韓国動乱の時、陸軍士官学校の生徒でありました。
戦争が起こったその日から前線に出て、
生々しい地上地獄を体験いたしました。

毎日毎日、同僚が死に、部下が死んでいきます。
私もいつ死ぬか分からない。
あの時、私は21歳の青年でありました。

いったい、「死とは何か。
死後に何があるのか。
私を助ける神様はいるのか」。
毎日、このような質問をせざるを得ませんでした。

私は宗教を求めました。
お寺にも行きました。
教会にも行きました。
哲人にも会いました。

けれども私の胸に、救援の火を付けてくれる
真理は、どこにも見つかりませんでした。


死ぬほど苦しい五年の修行の末、
1957年、ついに私はレバレンド・ムーンの
「統一原理」に接したのでございます。

驚くべきかな! 私の人生は一遍に光に照らされました。
疑いの雲、不安の雲が一遍に消えました。

死とは何か、生命とは何か、
神はいるのか、
歴史はどこに行くのか、
どんな生き方が本当の生き方なのかという、
人生の根本問題に対して、
私ははっきりと解答を得たのでございます。

深い霧のごとき疑いは、日本晴れに晴れ、
私はまさしく偉大な真理に出会うばかりか、
人類の救世主に出会ったのでございます。

本当の生命と死

私はここで、私たちの人生において、
最も重大な本当の生命とは何か、
死とは何かに対して一言申し上げたいと思います。

今、私たちは生きております。
日本に1億2000万人が生き、
世界に50億の人間が生きております。

少なくとも私たちは、生きていると思っております。

問題は、神様の目から見て、
私たちは本当に生きているかであります。

不幸にも神様の目から見て、この世は、
この世界は死んでいるのであります。

それは何も私たちが、
悪いことをしたからではありません。

人間先祖の堕落の結果であり、
神から離れた結果でございます。


神の目から見て、死んでいるということは、
どういう意味なのでしょうか?

それはもちろん、この肉体が
死んだというわけではありません。

死んだのは、霊的生命であります。
神は人間にだけ、肉体のほかに、
もう一つの生命、霊的生命を下さいました。

動物には、霊的生命というものはありません。
神は人間を二重につくられました。
一つはこの肉体的生命であり、
もう一つは霊的生命であります。

 
その霊的生命を霊人体と申します。
新しい言葉ですので、もう一回申し上げます。
霊人体!

私たちは大体、死んだら何か魂とか、
幽霊のような物が残ると思っております。
それは間違った考えでございます。

霊人体は、単なる魂ではなく、幽霊でもなく、
もう一つの完璧な、霊的な心と体でございます。

本当は、この肉体よりも
完璧な体が霊人体であります。

 
皆様は今、私の肉体を見ておられます。
ところが、皆様が肉眼で見ることのできない、
もう一つの私、霊的な私がまた、
ここに今立っているのでございます。

二重の私が一つになって、ここに立っているのです。
私の霊人体は、私の中にいわば
「はめこまれて」おります。

皆様の霊人体も今、皆様の中にはめこまれているのです。

見えないというのは、この肉眼だけであって、
私たちの霊眼が開けば、明らかに見える体です。

私が永生するのは、この肉体ではありません。
私の霊人体であります。
それが本当の私であり、永遠に生きる私です。

 
このように、人間が永生するのは、
その霊人体であるのに、
それが人間の堕落により死んだのです。
これは永遠の死でございます。

私たちの肉体の死は
神様の目からは死ではありません。

それは神の目からは「家移し」にすぎないのです。
地上世界から天上世界へ家を移すのです。

その天国には霊人体だけで入りますから
この肉体はいりません。
それで着物を脱ぐように
肉体をこの世で脱いでいくのです。


創造本然の人間は霊眼を持って
あらかじめ霊界をみんな見て行くのですから、
そこには「死の恐怖」がありません。

皆様はっきりと申し上げたいことは、
人間の堕落により人は霊眼がくらみ
死後が見えなくなったので、
「死の恐怖」が現れたのです。

それが今、この世で死を恐れる理由でございます。
天国人には「死の恐怖」はございません。


神様から見る本当の人間の死は霊的な死であります。

この宇宙に、生命の根源はただ一つ、神様でございます。
この世のあらゆる生命は
すべて神から来るものであります。

それが一つの草であろうと、虫であろうと、
このような花であろうと、
現代の科学では生命をつくることができません。

偽物はよくつくられますが、
生命は吹き込めません。

死というのは、その生命の根源、
神から離れた結果を申します。

枝が幹から離れたら、
枯れて死んでしまうのは当然であります。


神様はこの地上世界のほかに、
私たちの霊人体が生きる、
もう一つの世界をつくられました。
それを霊界と申します。

言い換えれば、神は地上に天国一つ、
天上に天国一つ、二つの天国をおつくりになりました。

そして人間は、この地上天国では、
肉体と霊人体で共に生き、
地上の肉体の生命が終わると同時に、
それを私たちは、「死ぬ」と言うのですが、
本当に死ぬのではなく、
我々の霊人体は天上天国に昇り、
神と共に永遠に生きる構造になっているのであります。

朴普熙(光言社・刊
『青年よ行け、そして世界を救え』より)

青年よ行け、そして世界を救え 8
人類の終末
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19552
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


朴先生を伝道された信仰の親(霊の親)は、
アメリカ開拓をされた金永雲先生です。

陸軍将校というとても優秀な方を伝道されたわけですから、
金永雲先生は、相当な精誠を尽くされたのだと思います。

そして、朴先生ご自身も求めに求めていたので、
み言にスパークされたのでしょう。

私たちも神様に出会い、
霊的な生命を与えられているのです。

そのことを知的に理解するだけでなく、
心から実感していかなければ、と思うのです。




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posted by ten1ko2 at 07:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 統一原理・統一思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする