2023年07月04日

初めてキリストを知った人は、異邦人の女性だった! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生の
「復帰摂理の恨(ハン)」最終回になります。

解怨の三番目の段階――
神の安息の基盤をつくる

私たちが神を喜ばせようとするならば、
歴史的に抱いてこられた神の恨、
繰り返される復帰摂理で残された事件を
解きたいと思われる神の願いを知って、
み言の人にならなければなりません。

そして、一つの家庭の心情の中心になって、
その家庭に神が臨在なさることができる場所を
つくらなければなりません。

そうでなければ神がおられる所がないというのです。


イエス様がこの地に来られて愛の園を成したいと
思われましたがみ旨どおりに成されませんでしたので、
心を置く所がなく、空を飛ぶ鳥を
うらやましがられたというのです。

空を飛ぶ鳥にも休む所があるのに
ご自身には居場所がありませんでした。

イエス様に従って回った弟子たちの中に、
自分の苦痛のくびきから脱け出ようとする人は
多くいましたが、イエス様の苦痛が
何なのかを知ろうとする人はもちろんのこと、
イエス様と苦痛を共に分かち合おうとする人は
いなかったというのです。


ところが、聖書全体を見るとイエス様と
事情が通じた人が二人いました。

その一人は、イエス様が、み言が伝えられる所で
永遠に記念として語られると言われた女性、
すなわち、イエス様の足に
三百デナリの香油を注いだ女性でした。


そして、もう一人は、サマリヤの里を
通り過ぎる時に会った、水を汲みに来た
サマリヤの女性でした。

イエス様がその女性と対話するとき、
ご自分がキリストであると、初めて
比喩ではなく事実を語られました。

それは、たった一度のことでした。
「お前が待っているメシヤは私である」
というみ言を聞くとすぐに、
水桶を捨てて去ったのを見れば分かります。

その女性は、み言を与えられただけで
絶対に行うことのできる信仰の基盤が確保されていたのです。


奇跡を行われても、私がしたことを
語るなと弟子たちにまで語られていたイエス様であられたのに、
異邦の女性、すなわち、サマリヤの女性には、
私がメシヤであるという事実を語られたのです。

そうして、イエス様は嘆息なさりながら
十字架に向かって行かれたのです。

多くの群れが主に従うと言いましたが、
主の事情を知っている人はいませんでした。

このように主と事情を共にすることのできる人、
主が世の中を去るならば
一緒に死ぬことのできる人がいなかった訳は、
弟子たちが情の世界には距離を置き、
自分の問題だけを中心として主に従ったからなのです。


今日、私たちも原理を聞き、私たちの重荷は
みな下ろしてしまったと見ることができます。

統一教会の食口たちは、相当高級な霊たちが
うらやましがる人になりました。

しかし、原理によって死亡圏内から解放され、
自分の問題は解決してきましたが、
神が臨在なさり、神の願いを解いてさしあげることのできる
家庭と祭壇があるのかというのです。

原理を聞いて「ああ、私は救いを得た。
父のみ名によって救いを得た。
お父様、感謝いたします」と言って、
自分の救いを感謝する人はいても、
神を救ってさしあげますという子供たちが
どれだけいるでしょうか。

これが今日、各自がうかがい見なければならない問題なのです。


み言の生命を所有した人、神が
身代わりとして立てて働くことのできる一個体、
神が子女であると言うことのできる人、
神の悲しみを共に分かつことのできる人、
そのような実体になることが極めて難しいということを、
繰り返される復帰摂理路程や、
私たちの生活の中でたくさん感じるようになります。

怨恨をもたれ、この地に訪ねてこられた神は、
恨の息子、娘を探し求め、
先に恨みを解いてくださったのちに、
ご自身の恨を相続させて
ご自身の願いを成し遂げようとして
この地に来られた方であるということを、
繰り返してお話ししました。


今日まで私たちは、
私個人の問題でいろいろとぶつかり、
いろいろな危機に遭遇したことと思います。

ところが、結実期に入ってきた今もなお、
復活しない私の個体を見てみるとき、
むしろ危険物にならないだろうかと考えるようになります。

ですから、神の恨を知って
私たちの生活の力になるようにして、
ご父母様の前にもっと近づき、
信ずるに値する息子、娘にならなければなりません。

一九七九年八月、韓国本部教会

信仰生活シリーズ 3
聖書の中の心情圏  李耀翰
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢
U復帰の恨
復帰摂理の恨
再編集 文責:ten1ko2


『神様を解放します』と決意して、
その生涯を捧げられたのが、真の父母様です。

私たちはどれだけその心情圏と
一致して歩んでいるでしょうか。

一挙手一投足、どんな時にも
その思いを持って歩む者に
なっていきたいと思います。

しかも、いまが「黄金期」
と言われている時です。

過去を誇る者になるのではなく、
今語られるお母様の事情、心情を
悟って歩んでいく者にならなければ、
と思うのです。




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posted by ten1ko2 at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする