2023年07月07日

天国で一番美しいのは*天国では愛が見える?! 《李相軒先生の霊界メッセージ》



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李相軒先生の霊界メッセージ
今回は、「 真の愛と発光体」と「本然の愛と本然の夫婦の姿」です。

真の愛の姿は発光体

真の愛の姿が霊界では、
完全な一つの体として調和をなします。
それは大変な光体です。

この時に現れる光体の光は、
子女の姿としても見え、
夫婦の姿としても見えるようになります。

ここで根本となる光の発光体が、
本当の真の愛の化身体であり、
神様が我々に下さった真の愛です。

もし夫婦が一つになれず、
子女が一つになれないときは、
完全な真の愛の光を発せられないのです。

 
我々が一般的に考えるとき、真の愛は、
無限に与えて受けるアガペー的な愛を連想します。

ですが、真の愛は、神様を中心として、
夫婦が完全一体となり、
四位(よんい)基台*が成された愛をいうのです。

それゆえ、祝福を受けることができずに
重生しなかった者は、
真の愛の隊列に同参することができません。

また、天国に来ることができる
チケットもありません。
皆が祝福の隊列に参与するよう
努力しなければなりません。

神様の前に出る本然の夫婦の姿

本然の真の愛を成した者が天国に来るときは、
どのような姿で神様に会うのでしょうか。

地上で新郎新婦が美しいドレスを着て
結婚式場に入っていくように、
この国、霊界に来るのです。

神様が迎える新郎新婦は、あまりにも美しく、
我々が地上でよく考えるように、
天から天使が降りてくるような幻想に浸りながら、
善男善女が、美しいメロディーの中で
きらびやかな光を受け、神様の前に進んでいき、
敬礼を捧げます。

そして、燦爛(さんらん)たる光彩の中で、
夫婦二人が愛するのです。

二人が愛する姿は、光の世界で一つになり、
目がまぶしいほどです。

その光の中で神様は、一筋の光のような
愛でお包みになり、喜ばれるのです。

 
夫婦が一緒に霊界に来るのでなければ、
どのように愛するのか分かりません。
そこで先に霊界に来ていた妻が
夫を迎えて神様の前に出ていきます。

これは、李相軒が神様の前に出ていった
姿を紹介したのです。
「エデンの園で成したかった神様の本然の愛が
これだったな」という思いがしました。

(1997年8月7日)

(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第三章 原理から見た霊界の暮らし
十 真の愛と発光体 十一 本然の愛と本然の夫婦の姿

霊界の実相と地上生活(27、28)
真の愛の姿は発光体
神様の前に出る本然の夫婦の姿
(Blessed Lifeより)
*四位基台(よんいきだい/よんみきだい):神様を中心として主体と対象が一つになって
夫婦一体をなし、さらに、
その基盤の上で子供を繁殖する基盤
霊界の実相と地上生活(23)より

再編集 文責:ten1ko2


燦爛(さんらん)たる光彩の中で、
夫婦が愛する・・・
なるほど、そうなんですね。。。
要するに霊人体同士が一つに交わるということになるわけです。

夫婦が愛で一つになることは、
神様がもともと構想理想を持たれて
アダムとエバを通して、実現されたかったのですが、
結局、堕落によって、実現できませんでした。。

どれだけ神様は待たれたでしょうか。、
真の父母様は父母として勝利されましたが、
実際、霊界におられるのは、お父様であり、
お母様はまだ地上におられます。

ということは、父母様が一つになって、
神様の前に登場されるのは、
まだ先のことになるのでしょうか。。。

私達も夫婦が愛で一つになるために、
本当に心情を分かち合わないといけないと思います。

また、夫婦が向かい合うだけではなく、
万民を愛する、愛の人格を磨いていく、
そのような必要があると思うのです。

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posted by ten1ko2 at 09:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする