李相軒先生の霊界メッセージ
今回は、「 真の愛と発光体」と「本然の愛と本然の夫婦の姿」です。
☆
真の愛の姿は発光体
真の愛の姿が霊界では、
完全な一つの体として調和をなします。
それは大変な光体です。
この時に現れる光体の光は、
子女の姿としても見え、
夫婦の姿としても見えるようになります。
ここで根本となる光の発光体が、
本当の真の愛の化身体であり、
神様が我々に下さった真の愛です。
もし夫婦が一つになれず、
子女が一つになれないときは、
完全な真の愛の光を発せられないのです。
☆
我々が一般的に考えるとき、真の愛は、
無限に与えて受けるアガペー的な愛を連想します。
ですが、真の愛は、神様を中心として、
夫婦が完全一体となり、
四位(よんい)基台*が成された愛をいうのです。
それゆえ、祝福を受けることができずに
重生しなかった者は、
真の愛の隊列に同参することができません。
また、天国に来ることができる
チケットもありません。
皆が祝福の隊列に参与するよう
努力しなければなりません。
☆
神様の前に出る本然の夫婦の姿
本然の真の愛を成した者が天国に来るときは、
どのような姿で神様に会うのでしょうか。
地上で新郎新婦が美しいドレスを着て
結婚式場に入っていくように、
この国、霊界に来るのです。
神様が迎える新郎新婦は、あまりにも美しく、
我々が地上でよく考えるように、
天から天使が降りてくるような幻想に浸りながら、
善男善女が、美しいメロディーの中で
きらびやかな光を受け、神様の前に進んでいき、
敬礼を捧げます。
そして、燦爛(さんらん)たる光彩の中で、
夫婦二人が愛するのです。
二人が愛する姿は、光の世界で一つになり、
目がまぶしいほどです。
その光の中で神様は、一筋の光のような
愛でお包みになり、喜ばれるのです。
☆
夫婦が一緒に霊界に来るのでなければ、
どのように愛するのか分かりません。
そこで先に霊界に来ていた妻が
夫を迎えて神様の前に出ていきます。
これは、李相軒が神様の前に出ていった
姿を紹介したのです。
「エデンの園で成したかった神様の本然の愛が
これだったな」という思いがしました。
(1997年8月7日)
(光言社刊『霊界の実相と地上生活』より)
第一部 霊界の実相と地上生活
第三章 原理から見た霊界の暮らし
十 真の愛と発光体 十一 本然の愛と本然の夫婦の姿
霊界の実相と地上生活(27、28)
真の愛の姿は発光体
神様の前に出る本然の夫婦の姿
(Blessed Lifeより)
第一部 霊界の実相と地上生活
第三章 原理から見た霊界の暮らし
十 真の愛と発光体 十一 本然の愛と本然の夫婦の姿
霊界の実相と地上生活(27、28)
真の愛の姿は発光体
神様の前に出る本然の夫婦の姿
(Blessed Lifeより)
☆
*四位基台(よんいきだい/よんみきだい):神様を中心として主体と対象が一つになって
夫婦一体をなし、さらに、
その基盤の上で子供を繁殖する基盤
霊界の実相と地上生活(23)より
再編集 文責:ten1ko2
夫婦一体をなし、さらに、
その基盤の上で子供を繁殖する基盤
霊界の実相と地上生活(23)より
再編集 文責:ten1ko2
燦爛(さんらん)たる光彩の中で、
夫婦が愛する・・・
なるほど、そうなんですね。。。
要するに霊人体同士が一つに交わるということになるわけです。
夫婦が愛で一つになることは、
神様がもともと構想理想を持たれて
アダムとエバを通して、実現されたかったのですが、
結局、堕落によって、実現できませんでした。。
どれだけ神様は待たれたでしょうか。、
真の父母様は父母として勝利されましたが、
実際、霊界におられるのは、お父様であり、
お母様はまだ地上におられます。
ということは、父母様が一つになって、
神様の前に登場されるのは、
まだ先のことになるのでしょうか。。。
私達も夫婦が愛で一つになるために、
本当に心情を分かち合わないといけないと思います。
また、夫婦が向かい合うだけではなく、
万民を愛する、愛の人格を磨いていく、
そのような必要があると思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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