自己牧会プログラム
今回は、「愛するということ」です。
☆
(男性 50代)
家庭を持って30年近くになります。
その間に、4人の子女に恵まれました。
子供たちは思春期真っ盛りで、
何を言ってもあまり返事をしてくれません。
「ただいま」と言っても、スマホをずっと見ているだけ。
何度も「ただいま」と言って、
ようやく1回だけ「お帰り」と返ってくるという状況です。
☆
「自己牧会プログラム」を始めてからは、
毎日、職場からの帰り道に、
そんな子供たちの良心に
感謝の言葉を投げかけるようになりました。
「愛しているよ。
生まれてきてくれてありがとう」
といった感じです。
妻に対しても、「愛しているよ。
いつも感謝しているよ。
私の奥さんになってくれてありがとう」
という思いを送っています。
もちろん、妻や子供たちから何か返事や
リアクションがあるわけではありません。
子供たちがそっけないのも同じで、
状況は全く変わっていないのですが、
これで良いのだと思えるようになりました。
いつも思いを投げかけているので、
「通じている」という感覚があるからだと思います。
☆
自己牧会プログラムのもう一つの恩恵として、
最近ようやく愛するという意味が分かってきたような気がします。
私は以前から妻を愛しているつもりでしたし、
いろいろと努力もしていました。
「疲れたから食器を洗ってくれない?」
と言われれば食器洗いをしたし、
食事中に「おいしい?」と聞かれたら、
「おいしい」と答えるといった具合です。
そして、それが愛だと思っていました。
そんな私が、今は自分から進んで手伝うようになり、
聞かれなくても「おいしいね」と言うようになったのです。
それは無理にやっているのではなく、
そのように心が変化したからだと思います。
妻からは、「パパ、最近、私のツボが
分かるようになってきたね」と言われるようになりました。
愛は相手が喜んでいて初めて愛と言える
ということを、ようやく実感できるよう
になりました。
私の心の中にいる神様 181
愛するということ
(Blessed Lifeより)
愛するということ
(Blessed Lifeより)
☆
再編集 文責:ten1ko2
「愛は相手が喜んでいて初めて愛と言える」
これは素晴らしい悟りなのではないか、と思います。
その人のため、と思っても
返って迷惑になることも、
あるいは、心情蹂躙になることもあります。
子供といろいろ話しても
結局は要求というか、願望というか、
そういう話をしてしまったりします。
やはり、相手の良心に祈りを捧げ、
愛を投げかけていく、
心の準備が必要なのだな、と思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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