2023年07月10日

自己牧会プログラムで知った「愛のツボ」 返事が帰って来なくてもOK



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天正宮の花☆


自己牧会プログラム
今回は、「愛するということ」です。

(男性 50代)

家庭を持って30年近くになります。
その間に、4人の子女に恵まれました。

子供たちは思春期真っ盛りで、
何を言ってもあまり返事をしてくれません。

「ただいま」と言っても、スマホをずっと見ているだけ。
何度も「ただいま」と言って、
ようやく1回だけ「お帰り」と返ってくるという状況です。


「自己牧会プログラム」を始めてからは、
毎日、職場からの帰り道に、
そんな子供たちの良心に
感謝の言葉を投げかけるようになりました。

「愛しているよ。
生まれてきてくれてありがとう」
といった感じです。

妻に対しても、「愛しているよ。
いつも感謝しているよ。
私の奥さんになってくれてありがとう」
という思いを送っています。

もちろん、妻や子供たちから何か返事や
リアクションがあるわけではありません。

子供たちがそっけないのも同じで、
状況は全く変わっていないのですが、
これで良いのだと思えるようになりました。

いつも思いを投げかけているので、
「通じている」という感覚があるからだと思います。


自己牧会プログラムのもう一つの恩恵として、
最近ようやく愛するという意味が分かってきたような気がします。

私は以前から妻を愛しているつもりでしたし、
いろいろと努力もしていました。

「疲れたから食器を洗ってくれない?」
と言われれば食器洗いをしたし、
食事中に「おいしい?」と聞かれたら、
「おいしい」と答えるといった具合です。

そして、それが愛だと思っていました。

そんな私が、今は自分から進んで手伝うようになり、
聞かれなくても「おいしいね」と言うようになったのです。

それは無理にやっているのではなく、
そのように心が変化したからだと思います。

妻からは、「パパ、最近、私のツボが
分かるようになってきたね」と言われるようになりました。

愛は相手が喜んでいて初めて愛と言える
ということを、ようやく実感できるよう
になりました。

私の心の中にいる神様 181
愛するということ
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


「愛は相手が喜んでいて初めて愛と言える」
これは素晴らしい悟りなのではないか、と思います。

その人のため、と思っても
返って迷惑になることも、
あるいは、心情蹂躙になることもあります。

子供といろいろ話しても
結局は要求というか、願望というか、
そういう話をしてしまったりします。

やはり、相手の良心に祈りを捧げ、
愛を投げかけていく、
心の準備が必要なのだな、と思います。


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posted by ten1ko2 at 08:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする