2023年08月31日

電気がつく電球と、点かない電球の違い 永遠の命を得るには・・ 《朴普熙先生*青年よ世界を救え》



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朴普熙(パク・ポーヒ)先生による講演
「青年よ行け、そして世界を救え」より
今回は、『天上天国ではいつも青春』を紹介します。


天国はいつも春! いつも青春だということを、
聞いたことがあるでしょうか?

皆さんが天寿を全うした時、100歳になったとしましょう。
そこで天上天国に入ったとしましょう。

では、天国はみな、100歳の老人が集まる養老院なのでしょうか?
それは違います。



▲真の愛を実践すれば天国では若いまま永生する

天上天国では、100歳のおじいさんも、
この写真のような百歳のおばあさんも、
地上で最も若い盛りの年、
20歳前後の新郎新婦の青春に戻るのです。

冗談のように聞こえるかもしれませんが、
これは真実でございます。

杖もいりません。
腰も曲がりません。
そして霊界では、年を取りません。
だから永遠なのです。

また天国には、身体障害者もあり得ません。
肉体の欠陥は、霊人体には何の影響も及ぼしません。


ところが、これは神を信じた時のことであります。

反対に、神を知らず、救世主を知らず、
地上で真の愛を実践せずに、
肉体の生命が終われば、すなわち死ねば、
その人の霊人体は一つも地上で育っていないので、
天国に行くことができないのです。

それで、このように真っ黒になって、
霊界のくず箱に入るのです。
それが天上地獄であります。

ですから今、この世で神を知り、
再臨の救世主につながることは、
永遠の生命を得ることになるのです。

そうすれば、皆様の霊人体は、地上で完全に育ち、
皆様は天上天国に入って、
こんなに若く、美しく、永遠に生きるのです。
希望ではありませんか!!

二つの電球の例

皆様。ここに二つの電球があります。
見れば全く同じです。

こちらには電気が入ります。
この電球は生きています。
光と熱を放ちます。
光は真理であり、熱は愛であります。


▲霊的死と霊的生命の概念
ここに同じもう一つの電球があります。
これはいくらひねっても電気が入りません。
なぜでしょうか?

それはこのように、……。
電源に差し込まれていないからであります。
発電所、すなわち生命につながっていないので、
こちらは死んでいます。
人間でいえば、発電所は神様であり、救世主でございます。

こちらは肉体と霊人体、
両方とも生きている人間のことであり、
こちらは肉体は生きていても、
霊的に死んでいる人間のことであります。

では皆様は今、どちらの電球に属するのでしょうか?
「しまった!
私はまだ神様を知らない!
救世主の話も今日初めて聞いた。
私はどうしたらよいのか?」
と思う方がいらっしゃるでしょうか?
少しも心配はございません。

これを見てください!

今、このように生命の根源に差し込めばよいのです。
皆様はこの瞬間から、永遠の死から生命へ移るのです。

私は皆様に今日、神様と救世主を明らかにしましたから、
ただ、皆様は差し込めばよいのです。
信ずればよいのでございます。

あの絵をもう一回見てください!

これは、救世主に差し込まれていない時!
これは、救世主に差し込まれている時!
皆様がどちらを選ぶべきかは、
余りにも明らかではありませんか?!

朴普熙(パク・ポーヒ(1930〜2019))
(光言社・刊『青年よ行け、そして世界を救え』より)
四、人類の終末
天上天国ではいつも青春

青年よ行け、そして世界を救え 10
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=19733
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


朴先生の電球の話し。
とても懐かしいです。

上は絵となっていますが、
私の記憶違いかもしれませんが、
二つの電球の写真だったような気がします。

一つの電球は電源が
コンセントに差し込まれていて、
明るく光っているもの。

もう一つの電球は、コンセントに差し込まれて
いないので、明かりが点かないのです。

まぁ、当たり前といえば、当たり前なのですが、
神様、真の父母様に繋がっているか、否か、
本当に大きな違いがあるんですね。。。


女性部長のご家庭の証しを紹介します。
先日、教会長が訪問をされたときに、
女性部長のお母さんにこのように話されました。

「(霊界におられる)ご主人と夜、
一緒に休まれたらいいですね。
ご主人のために布団を準備してください」

お母さんが、その通りにされたら、
翌日、ご主人が現れたというのです。
40代のとても若い恰好だったということです。

そして、次に、女性部長の娘さんが、
千葉の21修に参加した時のこと。
1年近く、やっていなかった路傍伝道をすることになり、
娘さんは葛藤した、と言います。

女性部長にそのことをラインで送ったところ
「お祖父ちゃんに協助してもらえるように、
天心苑祈祷室でお祈りしてるから」と励ましたら、
路傍伝道の当日、ほんとうに祖父さんがいることを
感じたそうです。
しかも若い姿だったそうです。

さらに、先日、女性部長がベランダで
お花に水をあげていたときのこと。

後ろに人影を感じたので、お母さんだと思って
話しかけていたら、何の返事もなく、
おかしいな、と思ったら、
お母さんは別の部屋にいたのでした。

よくよく考えたら、お母さんよりも大柄で、
「お父さんだ!」と思ったというのです。
やはり、お若いお父さんの姿でした。

親子孫三代で霊界におられる
女性部長のお父さんを感じたのです。

お母さんは、今も、お父さんを傍に
感じながら、休んでいらっしゃるそうです。


この講演をされた当時は、
朴普熙先生は、日本の総会長として来られて、
若者たちを始めとして、全ての人の心をつかむような
お話をされていました。

あれから、数十年が経ちました。
おそらく、朴先生も霊界で、お若い姿で
お父様の補佐官として、活躍されているんでしょうね。。。




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2023年08月30日

私の愛に「世界の愛」をプラスさせて愛したら・・・ 《金元弼先生・理想的な出会い》



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金元弼先生のみ言。
今回は、「世界的な出会い」です。


私たちは、個人、家庭、氏族、民族、国家、
世界、天宙、そして神を通じて、
自分の相対者やメンバー、あるいは子供や
リーダーに出会うことができるというのです。

私たちが個人的な立場で相対者に対したり、
メンバーに会うとするならば、この出会いは個人的な出会いであり、
また家庭的立場で会えば家庭的な出会いであり、
氏族的なものを愛して後の出会いであれば、
これは氏族的な出会いになるわけです。
出会いがこのようになるわけです。

ですから私たちは出会う時には
世界的な出会いでなければいけないというのです。

私たちが相手を愛するにしても、
世界を愛する世界的な愛と、個人的な愛、
国家的な愛とでは、これは違うわけです。

 
私たちが子供を愛するにしても、
世界を愛して後に子供を愛するとするならば、
その子供に対する愛は、
親個人の子供に対する愛ではなく、
世界の愛であるということになるのです。

親だけの愛ではなくて、
世界の愛を与えることになるわけです。

子供が親から愛されるにしても、
親の愛だけでは限界があるのです。
また夫婦の愛にしても、
夫婦のお互いの愛だけでは限界があるというのです。

ですから子供が親から愛される時、
親の愛に世界の愛をプラスして受けるとするならば、
これは親の子供に対する理想的な愛ということになります。

夫婦の間にしても、その夫婦の愛だけでは満足できません。
それにプラスして世界の愛を与えることができるならば、
それが夫婦の間においての理想的な愛だというのです。

 
皆さん、例を挙げましょう。
子供の誕生日があるとしましょう。
親は子供を愛しています。

ですから親は子供に、
誕生日を祝福するための贈り物を与えるでしょう。

ところで、もし親が自分の子供を愛するよりも、
まず世界の人々を愛してきたとするならば、
この人によって愛された世界の人々が、
この人の子供の誕生日には贈り物を上げるでしょう。

親のプレゼントばかりでなく、世界の人々が
贈り物をその子供に上げるだろうというのです。

子供として、親からだけの贈り物を
受けることが一番喜ばしいでしょうか、
世界の人々からの贈り物をも共に受けることが
一番喜ばしいでしょうか。

それが、親が子供に対する真の愛、理想の愛、
理想の出会いだというのです。

夫婦の間も同じです。
奥さんの誕生日には夫と子供が贈り物を上げるでしょう。

ところが夫婦が世界の人を愛してきたとするならば、
その誕生日には、愛された世界の人が
奥さんのために贈り物を上げるでしょう。

 
先生のことを考えてみてもそうです。

先生は夫人を愛するにしても、
お子様に対する出会いにしても、
世界を愛する道を通していかれるために、
お子様の誕生日や夫人の誕生日には、
先生の贈り物ばかりでなく、
世界の人々の贈り物が届けられます。

また反対に、病気でもされたりすると、
世界の人々が助けようとお祈りをするのです。

ですから私たちの出会いというものは、
このように世界の道を通して
出会わなくてはいけないというのです。

U 先生の道は我々の伝統
第九章 理想的な出会い
「世界的な出会い」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

再編集 文責:ten1ko2


家族との出会い。

いつも当たり前のように接していますが、
ただ妻、子供だけを見つめるのではなく、
世界を愛する道を行った土台で愛する、
そのことが重要だというのです。

世界を愛する、と言ってもピンときませんが、
神様を愛した土台で、家族を愛する、
その方が素直に納得がいくような気がします。

毎日、当たり前のことを価値視していく、
そのような意識を持っていきたいと思うのです。





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2023年08月29日

誰よりも早く起き、遅く寝る・・ 開拓伝道で胸に抱いたみ言 《私と真の父母の出会い・梅本夫妻》



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先日掲載した、梅本先生の証しの続き、
世界家庭のシリーズ「慕わしき わが主、わが父母」
より、今日はご夫妻それぞれの
1967年夏に真の父母様(文鮮明先生ご夫妻)が
来日された時の証しの部分を紹介します。

“貴く畏れ多い” お父様との出会い

勝子さん:私が、初めて真のお父様にお会いしたのは、
一九六七年七月十二日、福岡巡回に来られたときです。

それは、ちょうど私が伝道師として最初の任地、
鹿児島に赴任して十か月たった頃のことです。

鹿児島駅から兄弟姉妹と共に夜行列車に乗り、
翌朝早く博多駅に着きました。

真のお父様を お迎えした場所は、
日本庭園付きのりっぱな邸宅風の社宅でした。
大先輩が精誠を尽くして伝道した方の
ご厚意により、お借りすることができたそうです。

三十畳もある大広間には、 九大生を中心に
全九州から集まってきた兄弟姉妹百人ぐらいが集いました。
ほとんどのメンバーが、真のお父様と
お会いするのは初めてでした。

お父様は、みんなの緊張した心情を
解きほぐすかのように、何度も聖歌三十九番
「園の歌」を歌わせ、 時には速く、
時にはゆっくりと歌うようにリードされました。

どれぐらい歌い続けたでしょうか。
皆の心情が解放されて一つになったとき、
お父様はみ言を語り出されました。

ところが、私は真のお父様の日本語が
ほとんど聞き取れず、自分自身の心霊と
知能の低さを 痛感しました。

そのときの私は、お父様を再臨のキリストと
意識するあまり、ただただ貴く畏れ多いお方だ
という思いが強く、身近なお父様という
イメージを持つことができませんでした。

ですから、夫のように真のお父様に質問するなど、
考えられませんでしたね。

真のお父様にお会いしてから一週間後、
七月二十日から四十日夏期開拓伝道が始まりまし た。

任地はくじ引きで決めるのですが、
私は福岡県の飯塚市になりました。

たった一人で開拓伝道に行くのは不安だな
と思ったとき、次のようなお父様のみ言を思い出しました。

「ある町に伝道に行ったら、
 その町の誰よりも早く起き、
 誰よりも遅く寝るような心情で、
 その町の人のために祈り、
 尽くしていけば伝道される人が出てくるよ」



私は、このみ言を胸に秘めて飯塚開拓に出発し、
また開拓中もこのみ言に励まされて
四十日間を歩むことができました。

その結果、一人の姉妹が伝道され、
やがてその家族も復帰されたことによって、
飯塚の伝道所は継続することになり、
その後、公認教会となりました。

しかし十数年前、飯塚教会は
他の教会に吸収されてしまいました。

それでも、あのときは、
真のお父様のみ言と祈りに支えられて
伝道できたと、今でも、感謝しています。


憲二さん:六七年六月十二日、真のお父様は、
真のお母様、ご子女様と共に来日し、
八月十日まで滞在して、全国を巡回されました。

このとき、私は四国教区本部
(高知教会)の総務部長をしていました。

真のお父様は、七月十日午後、
大阪から飛行機で高知に到着されました。
高知教会では四国全体から四十人近い食口が集まり、
お父様をお迎えしました。

お父様は連日の巡回でお疲れだったと思います。
それでも夕食を挟んで深夜十二時近くまで、
心情を注いでお話ししてくださいました。


翌朝(11日)は、聖地のある
城山の山頂で和動会が行われました。

そこでは、真のお父様を囲んで
食口たちがフルートやギターの演奏、
また歌を歌うなど、楽しいひとときを過ごしました。

ところが一人の浮浪者らしい人が現れ、
後ろの方に立ってみていて、
その場を離れないのです。

私たちはせっかく、真のお父様との楽しいひとときなのにと、
内心困っていました。

すると、お父様は彼にも食べ物(和動会のお菓子)を
持っていってあげなさい、
という身振りをされたのです。

そのとき、それまで抱いていた
自分の心の狭さにハッとさせられ、
お父様の心の広さ、愛の深さに心打たれました。

真のお父様は、まさしく全人類の真の父母様でした。

「慕わしき わが主、わが父母」
世界家庭8月号

再編集 文責:ten1ko2


草創期の先輩の証しは、本当に貴重です。
私たちもその場にいたなら、
同じようにお父様の一挙手一投足、
そして、その行動に注目したでしょう。。。

浮浪者らしき人に対されたお父様、
まさに人類の父母たる歩みをされました。
そんな父母様が、私たちの
真の父母であることに感謝します。



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