2023年08月04日

将来、2世は、好きな道を行けるのですか? 続・45年前の中高生とアボジとの一問一答 《中高生のためのWeb礼拝 本山局長A》



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本山局長のWeb礼拝
「真の父母様と成和学生をつなぐ夢」
続きを紹介します。


さてもう一つ続いて質問が投げかけられます。

質問
『私たちが大きくなれば、将来することがたくさんあります。
私たちの将来に対して少しお話をしてください。

私たちが完全に大きくなってもこの世の人々が
復帰されていなければ、私たちの父母たちのように
私たちも公的路程を歩まなければならないのですか。

またその時になれば皆復帰されていて、
私たちは芸術活動とか、自分がしたい特技活動を
することができるのですか。
具体的なお話をしてください』

成和学生から真のお父様への質問
『真なる子女の道』p147

真のお父様によくこんな質問ができるなあ、
と思いながら、読んだことを思い起こします。

しかし、このことは、皆さんにとっても
関心のあることではないですか。
さて、お父様は、こんな世話学生の問いかけに
どう答えられたんでしょう。


復帰歴史がいつ終わるのかという問題は
単純な内容ではなく膨大な内容です。

復帰歴史はこれからも長い期間続くでしょう。
世界の人々40億人類が、全部
み旨の中で一つになって、立ち返らなければ
復帰歴史は終わらないのです。

ですから、復帰歴史は、今日、明日に
終わるものではありません。

これは先生が始めたのですが、皆さんの
お父さんお母さんを中心として続いており、
皆さんの代にも
その歴史は続いていくでしょう。


真のお父様のみ言
『真なる子女の道』p147


真の父母様が始められ
そして皆さんのお父さんお母さんが
共に歩んできたこの道は、まだまだ続くんだよ
と語りかけられながら、お父様は、そこに集まった
中高生たち、成和学生たちに期待を込めながら
このように続けて語りかけられます。

あなたたちによって、この期間を短縮することが
できるんだ、それは中高生である成和学生の皆さんを
子ども扱いするのではなく、ともに同じ目的を持った
同じ志を持った、同志のような気持ちで
お父様が期待を込めて、中高生のみんなに
語りかけていらっしゃるんです。

お父様の成和学生のみんなに語りかけたみ言を
改めて訓読します。


復帰歴史を短縮させることができたならば、
どのような世界になるでしょうか。

この世には平和が訪れ、愛の世界となり、
神様のみ旨が成し遂げられた世界となるのです。
人間が希望する、理想世界が実現するのです。

そして、戦いのない世界となり、
国境のない世界となり、
すべての偉業を相続する世界となるのです。
そのような世界を人類は追求してきたのです。

しかし、そのような世界が実現できなかったので、
必ずそのような世界を、
成し遂げなければなりません。

ですから、すべての問題を解決するために
皆さんはこれから努力をして、
「私は世界を救おう。
よい世界をつくることに責任を持とう」と
言えるようでなければなりません。

そのような夢を持って、
果てしなく努力しなければならないのです。
努力をしなければならず、
時間を投入しなければならず
精誠を尽くさなければなりません。

その量が多ければ多いほど、皆さんは
立派な人になり、この世界に
影響を及ぼすような、主体的な人になって
外的世界は相対的立場に立つことにより、
神様の歴史が、摂理が短縮されるのです。

そのような結論になるのです。
ですから今、皆さんは、
「私が全世界を救うのだ」と
考えることはよいことなのです。


真のお父様のみ言
『真なる子女の道』p149〜150


中高生のためのWeb礼拝 第157回
「真の父母様と成和学生をつなぐ夢」
U-ONE TV
再編集 文責:ten1ko2




この時の映像が残っていれば、
このやり取りを視聴してみたいですね。

お父様は二世たちに本当に期待を込めて、
み言をかたっておられると感じます。


先日、「信者の人権を守る二世の会」の
公開シンポジウムが開かれました。

本部が指導されたものではなく、
あくまでも二世たちで、主体的、自発的に
行われたものです。

第3回目の主題は、
「国民7割が願う“解散請求”について」
有識者の方たちを集め、
メディアの人たちの前で、
とても活発な議論がありました。

いずれ、ダイジェスト版ができるらしいですが、
当日の映像はこちらです。↓



二世たちは本当に逞しいな、と感じます。
弁護士、ジャーナリスト、教授の先生たちも
彼らを擁護し、応援してくださっていて、
本当に心強いです。

教会の信者でもない、先生たちは、
おそらく、彼らの行動、またその内面に触れ、
とても感化されてるのだろうと思います。

さらには、ここ最近、二世の牧会者も増えて、
そこの教会は本当に復興している、といいます。

今は、一世だけでなく、二世も、三世も含めて、
全体で一つとなって、今この時、
み旨を成していく時であることを切に感じます。

(このWeb説教の続きは、もう1回ありますので、
お楽しみに。)



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2023年08月03日

どうして教会を離れる人がいるのですか 《金元弼先生Q&A》



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金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
『何よりも神のものを愛す』から
今回は、「どのように導くか」です

どのように導くか


センター(教会の施設)にものすごく難しく、弱い
一人のメンバーがいると、その人によって
全体の動きが妨げられてしまう場合が多いのです。

そういった場合、どんな形で導いたらいいでしょうか。
具体的にどれだけの時間を割いて
面倒を見てあげたらいいのですか。

金元弼先生

その人が良くなるまで面倒を見るのです。
ところが、そういう人をほかの強い人のように、
どんどん引っ張っていったのでは、
ちょっと困ります。

その弱い人のことを、よく理解して
あげるように努めることも大事です。
この人はこういう所が欠点ですから、
よく理解してあげましょうと。

皆さん、例えば十人の子供をもっている
親がいるとしましょう。

ところが、九人の子供は話もよく聞くし、
なかなか元気なのに、一人だけは
いつもピリピリしていて病気になりやすいとします。

そしたら親の心はどこへいくでしょうか。
その一人に親の心は向かい、
それは元気になるまで続きます。

そして九人の兄弟は、「お前は弱いから、
だめ、だめ」と言ってはいけないのです。
全員が助けてあげれば、
その人は良くなることができます。


問 
わたしには霊の子女が何人かいたんですが、
離れてしまいました。
どうしてそういうことが起こるのでしょうか。


金元弼先生

霊の子女になった時に、どれくらい面倒を見たのですか。

例えば人が子供を生んだのに、
世話をしなければ病気になってしまいます。
霊の子女もようく見てあげると、落ちないんです。

生む時も重要ですけれども、生んでから
自分一人で歩き、自立できるまで育てることは、
もっと大事なことです。

そうしないと子供は
親からどんどん離れていくのです。

子供をたくさん生んだのだから、
面倒をみる時間がなかった、
一人ぐらいだったらよくできたのに、
というのは言い訳です。
要するに面倒をみてあげればそうは落ちません。

自分が十分にできない時には、
人の手を借りてでも面倒を見なさい。

一般の人も子供を自分で面倒みきれない時には、
託児所に預けてほかの人に面倒をみてもらうでしょう。
そうしてあげないと、その子供はどうなるのですか。

犬も世話をしてあげると、よく家を守ります。
放ったらかしておいたら家を守りません。
動物もそうならば、人間はなおさらです。

再編集 文責:ten1ko2


元弼先生がみ言を語られている際に、
参加している食口たちから、質問を受けた
質疑応答の場面となっています。

基本的な回答は、
その通りだな、と思うようなものですが、
やはり、元弼先生からの回答だと
説得力があるのかな、と思います。

先日の礼拝での教会長の説教は、
「家庭教会は天国の始まり」という題目でした。

私たちは神氏族メシヤの立場にあり、
夫婦で教会長・サモニムとして、
教会員(子供・地域の人)を愛をもって
導く立場にある、というみ言でした。

愛は、知識で教えるのではなく、
実体をもって示すのだ、というのです。

お母様と一つになり、
同じ方向に向かって、
歩む一日となりますように。。。




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posted by ten1ko2 at 07:46 | Comment(2) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月02日

神の創造は出産と同じ?! 私は、今も成長できる 《信仰生活up↑講座》



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かつて、本部で伝道教育部長をされていた
多田先生の信仰生活講座を紹介します。
第1回目は、「信仰の成長は子女の愛の成長」です。

信仰の成長は子女の愛の成長
〜神の子女としての時間を大切に

父子の因縁が生活上最重要

み言に出合って信仰生活を出発するとは、
新しい親である神様に対して新しく子供の立場に立って、
私たちの人生が始まるということです。

ですから、何事においても子供のように
信仰や神様について知りたいと感じるところから、
神様中心の価値観を基にした生活が
子女として始まるのです。

それが信仰生活の始まりとなります。

動物も誕生して最初にすることは、
自分の親が誰かを確認することです。

(まこと)のお父様は「天宙の根本原理は、
父子の因縁である」と言われます。

「父子の因縁」こそ、私たちの
信仰生活の中で最も大切にすべきことなのです。

「私は神の子であり、信仰とは
神様の子女になっていくことである。
そして、どれだけ神の子女として成長したか」

確認しながら日々を送る生活が信仰生活なのです。

一方的に流れ続ける神の愛

神様や真の父母様に対して子女としての心情の基準を
しっかりと自分の中に確立してこそ、
私たちは多くの摂理に責任を持つことができるのです。

責任を持って神様の摂理を進めていくときに、
その毎日が神様と親子であることを確認していくことになります。


私たちは、子女としての自覚が明確になる前に
責任だけがあると、正しい子女としての
信仰を確立すること以上に
別の価値観が身についてしまいます。

ですから、責任ある立場に立つときには、
まず私は神様の子女であり、それゆえに、
神様の願いを「果たしてさしあげたい」という
子女としての心情を確認してから始めるべきです。

背負っている重荷があれば、
一度それを横に置いて、まず私は
神様の子供であるということを心情的に確認して、
その上でもう一度責任感を正して前進するのです。

それを繰り返すことにより
子女としての心情が成長するのです。

 
神様の創造は「出産」であり、「投入」であり、
「自己否定」でもあるのです。

私たちに対する神様の完全投入は、
伝道されたときだけではなく、
その後もずっと続いているのです。
そして、今も続いています。

神の愛は私たちの内容にかかわらず
一方的に流れ続けているのです。

私たちが心を開いて素直な心で
神様の前に子女であると自覚して立ち、
歩むなら、必ず行くべき道が開かれていきます。

1日の中でわずかでも神の子女としての時間を
大切にすることで、心情は成長していきます。
私たちは、親の心情を尋ね求める
神様の子女としての時間を、
どれくらい大切にしてきたでしょうか。

四大心情圏の基礎は「子女の愛」

もしそのような時間を大切にしないとするなら、
1日の内でいつ神様との因縁を結ぶのでしょうか。

「神様の子女」としての時間を一番大切にすることで、
全ての生活が導かれていくようになるのです。
ですから、1日の中で必ず神様の子女として
過ごす時間をつくり出しましょう。

四大心情圏の基礎は「子女の愛」です。
子女の愛の特徴は親の心を尋ね求め共に共有したい、
喜ばせてさしあげたい、親の心情に
包まれたいと願うことです。

神様に対する父母様の心情もそうですし、
父母様に対する子女様の心情もそうです。
また、神様や父母様に対するお孫様の心情もそうです。

子女の愛が確立されてくると、
兄弟姉妹同士の関係も正しく成長することでしょう。
夫婦の関係は子女の愛や兄弟姉妹の愛が
充満しているところに、正しく成長していくのです。

また父母の愛も同じように
正しく成長していくことができるのです。

多田聰夫 本部伝道教育部長(当時)
中和新聞(2008~2009)

信仰生活講座 1
信仰の成長は子女の愛の成長
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=20491
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


コメントなど書かずに
一方的に、記事だけを紹介すれば、
どれだけ楽でしょうか。

また、妻は写真を挿入して、
表題も考えて書き込んでいます。

夫婦で些細なことですが、精誠の一つだと思っています。
大したことではありませんが、
創造の投入、創造する、ということの大変さを感じます。

神様は無限投入です。
今も私達を愛し、導いてくださっています。

そんな神様の心情に触れ、親子の交わりを
意識して生活することを多田先生は話されています。
それが親なる神様の願いであるとも思います。






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