2023年08月22日

自分の病を治すための信仰ではダメ イエスの時と現代 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「イエス様の内的生活」より、
『天を中心として信仰する時』を紹介します。


今は結実期として、私たちが天を信じる時ではなく、
天が私たちを信じようとなさる時です。

またこの時を転換期として過去の時代は過ぎ去りましたから、
サタンを前にして戦う時ではありません。

このような時であればあるほど、私たちはまず、
勝利した先祖たちのいろいろな心情を
よく知らなければならないようです。

そこでイエス様がどのように勝利され、
文先生がどのように勝利されたのかを考えてみましょう。

天を中心として信仰する時

今まで私たちは、イエス様や(文)先生は、
特殊だと考えてきました。

イエス様は神の息子であり、私は罪人である
と、このように考えてきました。
しかし、それは、誤った考えです。

イエス様や先生は、事実上私たちと同じ人間です。
異なることがあるとするならば、
その方たちは、生命をささげながら
天の人のふるまいをされたということです。

そこが私たちと異なるということができます。

 
事実、私たちは、環境に主管される
生活をしてきました。

対象が私をべっ視するならば私も気持ちを悪くし、
対象が私をよく思うならば
私もよくなるというように、
環境の支配を受けてきました。

しかし、先生は、絶対的なみ言を基準として、
どのような死の環境にあっても、
それに関係なく天の身代わりだけをされた方です。

実に一つの心だけをもたれたので
苦労の道だったのです。

もちろん、世の中の人も苦労します。
しかし、先生は苦労の種類が違います。
心変わりしながら苦労する人と、
一度決めた心を変えずに苦労する人は、
同じであるはずがありません。

一つの心をもって苦労する人は、
ほかの人が信じようが信じまいが発展します。
失敗を繰り返しながらも、一度心に決めたならば
根気よく続けていく人が大きい事業を成功させます。


イエス様当時の人々の信仰は、
イエス様に対する信仰ではなく、
自分の病気を治そうという信仰でした。

イエス様のために生き、その事情を
分かち合おうとするのではなく、
イエス様が能力ある方だと聞いて、
イエス様を訪ねていって、その能力で
自分の面倒を見てくれという信仰でした。

ですから、イエス様とは通じない信仰でした。
事情が違うのに、どうして天に向かった
信仰だと見ることができますか?

「あなたの信仰が病気を治した」というみ言は、
そのように冷遇しても、治すという心が
変わらなかったので、神が願いを
成就してくださったというのです。


ルカによる福音書第一八章にある、
やもめと裁判官の話も同じ意味を帯びた比喩です。

やもめが毎日、裁判官を追いかけて行って
かたきを討ってくれとせがみますから、
裁判官が「私がわずらわされないためにも、
あなたの願いを聞いてやらなければならない」
と言いながら、やもめを送り返したのです。

聖書に、その裁判官は神もおそれず、
人を人とも思わない人だと書いています。
そのような人にも変わることなく
切に願い求めるならば、み旨を成すことができるのです。


ましてや今は「私の信仰とあなたの信仰が同じですから、
あなたは私の子女です」と、このように
認めようとしてくださる時ではありませんか? 

あなたの信仰があなたを救う
という時代ではないというのです。

イエス様の時には、すべての人が
イエス様に相対すまいとする時代でしたから、
各自が自分の願いだけを中心としてやって来ても
受けてくれました。

たとえ病人であっても、すべての人が
そっぽを向く中にご自身を訪ねてきて、
自分の願いがかなうと信じてくれたので、
うれしくて「あなたの信仰があなたを救った」
と語られたのです。

けれども、今はそのようにしては
天と関係を結ぶことができません。
むしろ、自分を中心として自分の信仰で
自分のことだけを探し求めようとする人は、
天の怨讐になる時です。

あなたの事情とあなたの願いのゆえに
「主よ、主よ」と言う者は怨讐であるというのです。
自分を中心とした信仰は、分別のつかない時の信仰です。

今、私たちには、どのようにすれば
皆が共に信仰の勝利者になり、
心霊が結実されるのかということが問題になります。

イエス様の内的生活 

諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教 
一九七七年十月二日 韓国中央修練所
再編集 文責:ten1ko2


イエス様、真の父母様は
特殊である、と思ってきました。

しかし、真の父母様は
私達を『真の息子・娘」として
対してくださっています。

このことはどれほど感謝でしょうか。
そして、素直に受け入れなければならないと思うのです。

今日は、第27回七・八節です。
「天地父母天宙安息圏宣布」の貴い一日。。。
天地父母が立たれ、勝利されましたが、
本当の意味では安息されていないのかもしれません。

私は、神様、父母様に愛されている子女である、
そのことを堂々と宣布していける者になっていきたいと思います。


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posted by ten1ko2 at 11:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月21日

(証し)今、伝道の運勢が来ているのを信じますか 《方相逸総会長》



230821.jpg


方相逸・総会長のメッセージ
「伝道こそ、私たちが生きる道」より、
天心苑徹夜祈祷会の証しの部分を
抜き取って、ご紹介します。


天心苑祈祷の恩恵、霊界の協助によって
礼拝の参加者が増加する

今後、地区会長、教区長という立場はなくなります。
真のお母様は、実力のある者こそ、
現場で伝道に励むべきだと考えておられます。

牧会者たちは皆、一斉にスタートラインに並び、
ヨーイドンで走り出すのです。
その参考となる証しをいくつか紹介します。

天心苑の李基誠苑長が、今、修錬苑の近くにある
加平家庭教会で教会長を務めています。

真のお母様が李基誠苑長に、
「あなたは祈りを通して天の役事を
受けることができるので、現場で
その手本を示してあげてください」
とおっしゃり、教会長に任命されたそうです。

新型コロナのため、この教会では三年間、
礼拝参加者が十人前後だったそうですが、
就任後三か月で百三十人になりました。
十三倍です。


また、私が徹夜祈祷会に参加したとき、
清平家庭教会の韓ヂヨル教会長が
証しをし(ておられ)ました。

彼は日本人でしたが、韓国に帰化し、
韓氏を名乗っています。

赴任当時、教会の食口は約五十人だったそうです。
食口たちを復興させるため、天心苑の
徹夜祈祷会への参加を呼びかけると、
五人が参加しました。

参加すると恵みを受けるので、五人が六人、
六人が七人、七人が十人、十人が二十人、
二十人が三十人、三十人が四十人というように
参加者は増えていったそうです。

そして一年後、礼拝の参加者は二百人になりました。
田舎の教会です。
それでも、それだけの規模の礼拝を行っているのです。

教会長は、今も毎日、希望者と共に
徹夜祈祷会に参加しています。


キリスト教会の元牧師、チェ・チョンパルさんの
証しも徹夜祈祷会で聞きました。
彼は、加平家庭教会の所属です。

彼が牧師だったときのことです。
ある日、眠っていると、
「金ソクチンを探しなさい」と啓示が降りたそうです。

朝、目が覚めるとすぐに、その人物が誰なのか
コンピューターで検索し、鮮文大学教授と出てきました。

これは、異端の統一教会だ!≠ニ、
緊張が走ったそうです。

しかし、霊界からの啓示を無視することはできません。
彼は鮮文大学に電話し、教授との面会を申し出ました。

面会の日、教授が家庭連合の教会長も
兼ねていることを聞いて、さらに警戒心が高まります。

それでも、啓示には何か深い意味があるに
違いないと思い、青坡洞にある天苑社(書店)に寄って、
店員に家庭連合のメインの書籍が何かを尋ね、
『原理講論』を買いました。

毎日、真剣に読み進め、深く感動した彼は、
天一国経典『天聖経』、『平和経』などを
次々に購入して読破。

キリスト教会から家庭連合に移る
覚悟を決めたのです。

私は、彼の証しを聞きながら涙が流れました。
真のお父様が興南の収容所にいらっしゃるとき、
霊界からの啓示によって十二人が伝道されました。

そのような時代が、確かに
到来しているのだと思ったのです。

方相逸・神日本大陸総会長メッセージ
「神日本家庭連合全国責任者特別集会」
6月1日一心特別教育院(千葉・浦安)

再編集 文責:ten1ko2


今は、直接伝道をすることが難しいと思います。
街頭に出て、あるいは訪問伝道に出て活動することも
とても大切だとは思いますが、それよりも、
氏族圏・友人知人・地域の人たちを伝道することが
何よりも重要な時を迎えています。

今は、天心苑祈禱会で懇切なる祈りを捧げていけば、
その精誠に応じて、天は恩恵を与えてくださる、
そのことを感じるのです。


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2023年08月20日

マインドコントロールよりすごい?!  原理は、人を作り変える *『原理講論』のできるまで 《生活伝道》



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篠崎先生の氏族伝道講座「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『原理講論』のできるまで です。


『原理講論』は劉孝元(36家庭・韓国初代協会長)先生が、
真のお父様のご指導を受け、
全身全霊を懸けてまとめたものです。

約3年間、朝から晩まで、自分の部屋もなく、
ご飯もろくに食べられない貧しく苦しい環境で
耐え忍びながらまとめられました。

正に血を絞るごとく、
自分の頭脳を完全に燃やして生まれたのです。

そして劉孝元先生は3年8か月間、
1日18時間、原理講義をされたのです。


「原理」の力による蘇生

『原理講論』の冒頭に、

「人間は何人(なんぴと)といえども、
 不幸を退けて幸福を追い求め、
 それを得ようともがいている。

 個人のささいな出来事から、
 歴史を左右する重大な問題に至るまで、
 すべては結局のところ、等しく、
 幸福になろうとする生(せい)の表現に
 ほかならないのである」

とあります。
さらに総序の最後には、

「暗い道をさまよい歩いてきた数多くの生命が、
 世界の至る所でこの真理の光を浴び、
 蘇生していく姿を見るたびごとに、
 感激の涙を禁ずることができない。

 いちはやくこの光が、全世界に満ちあふれんことを
 祈ってやまないものである」
とあります。

このように、原理のみ言によって
人は生まれ変わり、幸福になることができるのです。


「原理」の力について、
真のお父様は次のように語っておられます。

 
「原理には、神の直接の啓示にはるかに勝って、
 人間を指導し、つくり変える
 偉大な力があるので、原理を知ること自体が、
 啓示や高い良心基準の役割を果たしたのです。

 ……とにかく何のゆえにか、幸運にも、
 たまたま(文)先生と巡り会ったことによって、
 あなた方の上に大きな変化が起こり、
 あなた方は急に献身的な信仰生活を
 送るようになったのですが、それも
 原理の力によって、あなた方の心の中に
 何か奇跡的な内的変化がもたらされたからこそ、
 喜んで献身生活のできる人間に
 変えられたのだといえます」
(『祝福家庭と理想天国(U)』608ページ)



伝道は人の心に変化をもたらす奇跡です。
それは「原理」の力によってのみ可能なのです。

氏族伝道講座
喜びと幸せの生活伝道〜み言の原点に立ち返る(5)
篠崎 幸郎・著

第一章 原理のみ言があなたに届くまで
二、『原理講論』のできるまで


「劉孝元先生は3年8か月間、
1日18時間、原理講義をされた」
これはどれほどの基準でしょうか。

劉先生は、脊椎カリエス、という病気にかかっておられました。
講義は杖をついてされ、
ある時は椅子に座って講義をされ、
さらに横になって講義をされた、と聞いています。

お父様の原理原本を読まれて
伝道された劉孝元先生。
1ページ1ページ、涙なくして、
読むことが出来なかった、と言います。

「骨を削って、粉にしてさらして得た結晶」
お父様が血と汗と涙を流して、解明した貴いみ言
その原理原本を劉先生は、
「原理講論」という形で体系化してくださいました。

そのような精誠が積まれているみ言なので、
力が働かないはずがありません。

そのような貴いみ言を与えられていることに
心からの感謝を捧げ、
私たちも精誠をもって、訓読し、
講義をしていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 09:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 統一原理・統一思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする