2023年08月10日

「わかってくれない」と思っていた私が、神様を慰めたいと思った瞬間に・・ 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラムの体験談。
今回は、「夫を喜ばせることが…」です。

(女性・祝福二世 20代)

最近、家庭を出発したのですが、
夫となかなか一体化できないという悩みがありました。

今までたくさん愛する訓練をしてきたつもりだったのに、
なんでこんなに葛藤が出てくるのかと、
嘆きたくなる場面がたくさんあります。

自己牧会プログラムを学んで、
「神様の立場に立って、心の目で見つめる
ということを意識したらいい」とアドバイスを受けました。

なかなかその感覚が分からず、
「私に良心ってあるのかな」と疑問に思う状況でした。

「私は本当に神の子ですか?」
と祈る時すらありました。

そんなある日、訓読会で、

「『誰が、私が神を愛したほどに
神を愛してくれるだろうか、
私が死んだのちに誰が私の神を見てくれるだろうか。
親孝行してくれるだろうか』とそれだけが心配なのです」

(『祝福家庭と理想天国U』628ページ)というみ言に出合ったのです。

はっとしました。
私は神様に要求し続けていたなと気付き、
逆に神様を慰めていきたい
という心情が湧いてきました。

その時です、
「夫を喜ばせることが
神様を解放することなんだよ」
という良心の声をはっきり聞いたのです。

そうだ、私が間違っていたんだと素直に思えました。

「分かってくれない」
「私はこうしてほしいと思っているのに」

と、こうあるべき、こうあってほしいという、
み言からつくり上げた私の理想を
夫に当てはめては、嫌な気持ちに
なっていたんだなと気付いたのです。

このような良心の声を聞けたことが感謝です。
神様を解放するために、
夫と心を一つにして
伝道に取り組んでいきたいと思います。

私の心の中にいる神様 185
夫を喜ばせることが…
(Blessed Lifeより)
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=20552
再編集 文責:ten1ko2


物事に気づき改心するに、一番最適なのが、
良心の声を聴くことだと思います。

人から指摘をされて改善することもありますが、
自分に縁がない人に言われても効き目がない気がします。

私たちは良心の声を聞くことができるように、
心の扉を開く必要があります。

今回、証しをしてくださった方も、
心のワークをしながら、精誠を尽くすことで
み言を通して、良心の声を聞くことができました。

今、天心苑祈禱室での精誠祈祷も
そのうちの一つだと思います。
切なる祈りをもって、
良心に尋ねる生活をなしていきたいです。


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posted by ten1ko2 at 07:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年08月09日

私も応援してきました! 緊急シンポジウム「鈴木エイト氏“宗教ヘイト”発言を糾す」 《経緯と報告・後藤徹代表》



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全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会のHPに
代表・後藤徹さんが、先日開催されたシンポジウムの様子、
そこに至るまでの経緯と、後藤さんの心の動きがつづられています。

(シンポジウムは、YouTubeで見ることができます。
下に添付します。)




8月6日シンポジウム ドキュメント「怒涛の1週間」

8月6日のシンポジウム、「鈴木エイト氏
“宗教ヘイト”発言を糾す」は無事に終了いたしました。

ゲストスピーカーの国際弁護士の中山達樹先生、
ノンフィクション作家の福田ますみさん、
そして韓国から急遽来日していただいた拉致監禁被害者のTさん。

また、3日という準備期間で協力して下さった、
全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会および
家庭連合の信徒の皆さま、シンポジウム開催のため、
ご尽力いただいき心から感謝申し上げます。

【怒涛の一週間】

7/30からシンポジウムが行われた
8/6までの一週間は、怒涛の一週間でした。

鈴木エイト氏の「ひきこもり」
「どうでもいい」発言、
そして、その後、彼がTwitter(X)に
書き込んだ一連のツイート。

当会関係者の間で「これは放置できない」
との声が上がり始めた。

「この発言は酷いよ」
「放置できない」
「なにかやろう」

私も気持ちが高ぶり、
「みなさん、近々、家庭連合(旧統一教会)信者、
拉致監禁、脱会強要被害 決起集会?
えーい、もう何でもいいや。
とにかく何かやりましょう!
もう、黙っておれんわ!」
と8/3日の朝にtweet。


国際弁護士の中山達樹弁護士は、
エイト氏の一連の発言を知り
「何かやるべき」と瞬時に反応。

鈴木エイト氏に質問した福田ますみさんも
「やりましょう!」と即断された。

私は急遽、韓国在住の拉致監禁被害者、
女性信徒Tさんに連絡した。
Tさんは、突然の電話にはじめは驚いていた。
しかし、経緯を話すと
「私、行きます!」と決断して下さった。

彼女が被った悲惨極まりない拉致監禁被害。
あの悪夢がまた勃発するかもしれない。
誰よりも拉致監禁、強制棄教の苦しみを知る
Tさんが急遽来日することになった。

「シンポジウムをやろう」
「やるなら早い方がいいよ」

結局、次の日曜日、8/6(日)に行うことが決定。
決まったのが開催日の3日前。

テーマが決まった。
緊急特別シンポジウム 
「鈴木エイト氏“宗教ヘイト”発言を糾す」


【鈴木エイト氏・ヘイトはしない】

やるべきことはあまりにも多い。
手分けをして、方々に手配。

今回は家庭連合の協力無くしては難しい。
会場は本部2階の礼拝堂。
準備には多くの信徒の皆さんが協力して下さった。

それにしても、開催まで3日。
主催者の挨拶、プレゼン、どうするか、何を話すか…

決めたはいいが、血の気が引いた。
何せ、生配信でアーカイブも残る。

決めた日から、緊張のあまり
「おえっ、おえっ」と、えずきが止まらなくなった。

他のスピーカーの皆さんも、たいへんだったようだ。
それはそうだ。
「3日後にプレゼン、お願いします」
こんな無茶ぶりは非常識。

皆さん、それだけをやっているわけではない。
他にも仕事がある。

でも、もうやると決めた。
これは放置できない!
皆さんの思いは一つとなった。


シンポジウム開催にあたり、まず、
私が意識したのは「意趣返しになってはいけない」、ということ。

鈴木エイト氏の発言は到底許すことができない。
彼がTwitter(X)に書き込んだ、
「「拉致監禁だ!強制棄教だ!」
と被害者面でアピールしているだけ」

「『被害者アピール』は取り上げる価値もなく
『どうでもいい』こと」

その発言を放置すれば
新たな拉致監禁を誘発する恐れがある。

何よりも拉致監禁によって
深く傷ついた被害者の心を蹂躙し、
拉致監禁被害者を侮辱し愚弄する発言だ。

しかし、それに対し、憎しみで返してはいけない。
憎悪は新たな憎悪を生む。きりがない。

「鈴木エイト氏・ヘイトはしない」を
関係者の間で共有した。


【鈴木エイト氏の本性が露わに】

今回のシンポジウムで改めて拉致監禁被害の深刻さ、
悲惨さが共有できたと思います。

監禁中に自殺した若き女性信徒
脱会説得者にレイプされて
泣く泣く告訴を取り下げた女性信徒
拉致監禁の後遺症のPTSDで地獄の苦しみを味わった女性

そして、20人もの男に集団で襲撃され、
1年3か月にわたって監禁された韓国在住のTさん。

この拉致監禁、脱会強要という深刻な人権侵害に対し
「被害者面でアピールしているだけ」
「どうでもいいこと」
と言い放つ鈴木エイト氏。

いよいよ彼の本性が
露わになってきているのではないか。

多くの拉致監禁被害者のみなさんも
会場に駆けつけてくださった。

お話を聞くと、皆さん、鈴木エイト氏の
発言に対し、激しく憤りと怒りを表明されていた。

少しでも多くの方に
今回のシンポジウムの映像が届いて欲しい。

二度と悲惨な拉致監禁、
脱会強要の被害者を出ないためにも。

8月6日シンポジウム ドキュメント「怒涛の1週間」
https://kidnapping.jp/news/8%E6%9C%887%E6%97%A5.html
全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会HP
再編集 文責:ten1ko2



緊急特別シンポジウム 鈴木エイト氏「宗教ヘイト」発言を糾す
全国拉致監禁・強制改宗被害者の会


「どうでもいい」
私も拉致監禁、脱会強要の被害者として、
怒りを通り越し、到底理解することはできません。

12年5か月もの間、拉致監禁を受けていた後藤さんを
「引きこもり」と称した鈴木エイト氏。
ジャーナリストから発する言葉ではありませんね。
まぁ、あくまでも「自称」ジャーナリストですが。

私は、後藤さんの旧知の仲でもあり、
連絡をいただき、「参加してくれませんか?」
とお誘いを受けたので、当日、参加させていただきました。

質疑応答の中で、不足ながらに質問をしました。
私達を応援してくださっている
中川弁護士から回答を受けました。

結果的には、マスコミや世論の風向きが変わらない限り、
いくら犯罪にも当てはまるような異常なことをしている
反対牧師たちであったとしても、
刑罰で裁かれることはない、ということです。

ただ、そのシンポジウムに参加していたメディアの方、
その中には、この拉致監禁という事件があったということを
知らない人もいたようで、「今後も関心をもって見ていく」
と感想を述べていたそうです。

とにかく地道に活動を続けることが
重要なのだ、と思いました。

知り合いの関係者は、シンポジウムを視聴して、
当時のことがよみがえり、
もどかしい思いになったとのことです。
被害者の傷は、年月が経っても
簡単に癒えることがありません。

私たちが、活動を継続することを通して、
多くの人に共感してもらうこと、
そして、何よりも私たち自身が
幸福な家庭を築いていくことが一番だと感じます。

もともと後藤さんを応援するために始めたこのブログです。
これからも地道に続けていきたい、と思います。




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2023年08月08日

何ゆえに切ないのか? 天の口惜しさを思うと眠れない・・ 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李ヨハネ先生のみ言。
今回は、「心霊の成長と正しい信仰の基準」です。

時間になったので、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。

イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に、
あなたがたとこの過越の食事をしようと、
切に望んでいた。あなたがたに言って置くが、
神の国で過越が成就する時までは、
わたしは二度と、この過越の食事をすることはない」。

そして杯を取り、感謝して言われた、
「これを取って、互に分けて飲め。
あなたがたに言っておくが、今からのち神の国が来るまでは、
わたしはぶどうの実から造ったものを、いっさい飲まない」。
またパンを取り、感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、
「これは、あなたがたのために与えるわたしのからだである。
わたしを記念するため、このように行いなさい」。

食事ののち、杯も同じ様にして言われた、
「この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である。
しかし、そこに、わたしを裏切る者が、私と一緒に食卓に手を置いている。
人の子は定められたとおりに、去って行く。
しかし人の子を裏切るその人は、わざわいである」。
弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんな事をしようとしているのだろうと、互に論じはじめた。  
ルカによる福音書第二二章一四〜二三節

心霊の成長と正しい信仰の基準

今日、私たちは
どのような内容の心配をしていますか? 
何ゆえに忙しいですか? 
何ゆえに切なく思われますか?

主の恨(ハン)に徹して生きます。
これが永生の要素になり、
このような生活が、
天がいつも共にいてくださる生活なのです。

今日、私たちの師は、恨に徹して
生活されていることを、私ははっきりと見てきました。

疲れた時やお休みになられる時に、
その恨を考えるだけでも瞬間的に眠けと
疲れが消え去るほどに徹しておられる方です。

それゆえに神の事情が分かる者であるならば、
恨に徹して生きるようになるのです。

恨に徹している者は、他人が行き来するのを
見るときも、他人のやるせないことを見ても
天の口惜しさを体恤するようになるし、
他人を軽々しく評価できないようになるのです。

信じない者を見て、恨に徹してみなければなりません。


過越の祭を守ってきた弟子たちは、
パンとぶどう酒を一日の会食だけと思い、
主の悲壮なるみ言を聞いても理解できませんでした。

恨に徹した人であってこそ、
恨に徹したみ言を聞いて悟ることができたはずです。

その人の気掛かり、心配が何なのかに従って、
聞く耳が違ってくるし、目が違ってきます。

私たちは果たしてみ言の恨に徹しているでしょうか? 
恨の内容を知って生活しようということです。

一九七九年五月二十日 韓国本部教会
李耀翰

信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏  
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢
U 復帰摂理の恨
恨の多い主
再編集 文責:ten1ko2


イエス様は、神のもどかしい心情を
よくご存じであり、一つとなっておられました。

弟子たちにその心情を理解してもらえず、
苦難の中を歩まれ十字架に磔かれました。
その思いはいかばかりだったでしょうか。。。

話は変わりますが、先日、
中学時代の同級生と久しぶりに会いました。
以前、路傍伝道をしているときに、ばったり出会い、
それから交流しています。

彼はスピリチュアルには関心があり、
そういう話をたくさんしましたが、
家庭連合には懐疑的、批判的であり、
「関心がない」とはっきり言われました。

「私と会うのも今回限りかな・・・」
そう思っていたら、別れるとき「また会いましょう」
と彼から言ってきたのでした。

スピリチュアルのことを話せるのは、
私くらいしかいないのでしょう。
話したがっている様子でした。

イエス様の恨(ハン)の心情の基準には程遠いですが、
私からすれば、彼が真理をなぜ無視して、
回りくどいことを求めているのか、
という無念な思いにさせられました。

神様の心情を思えば眠気もさめて
疲れも消えるほどだという
真の父母様の姿勢の中に
理屈ではない、深い孝情を感じます。

人との関わりを通して、
伝道を通して
神様の心情に近づいていくことができるのだと
あらためて思うのです。



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