2023年08月07日

逃げてもいいんだよ プレッシャーに負けそうになったとき 《橘先生》



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橘幸世さんによるエッセー
「続・夫婦愛を育む」をお届けします。
今回は、『プレッシャーから逃げたくて』です。


「監督が怒ってはいけない大会」
――いつだったか、そんな名前の大会の様子が
テレビで取り上げられていました。

正式名称は「益子直美カップ
小学生バレーボール大会」。
益子さんの知人が企画し、2015年に始まりました。

知人の申し出を受けるに際して決めた特別ルールが、
大会中、監督・コーチが選手を決して怒らないこと。

試合の現場で指導者が怒りたい衝動を抑えて、
褒めるなどのポジティブな声かけを心掛け、
叱らない指導を実践・体験してほしいとの願いからです。

その放送を見た時は、時代の変遷を感じた程度で
あまり深く考えませんでしたが、その根底には、
益子さん自身の選手時代の経験がありました。


7月25日放送のEテレ「知恵泉」では、
江戸時代の蘭学者、高野長英が取り上げられました。

そこにゲスト出演していた一人が
バレーボール元日本代表、益子直美さん。

高校生で日本代表に選ばれ、アタッカーとして活躍。
その外見からも人気を博しました。

高野長英の生きざまを切り取り番組が掲げたフレーズは、
「逃げるならたくましく逃げろ」。

番組MCが益子さんに、逃げた経験ついて尋ねると、
意外な答えが返ってきました。


現役時代、(たくましいどころか)
「こそこそ逃げてきた」というのです。
続けてこう語りました。

選手時代の自分は、人に言われたとおりに動いていた。
他人の目がすごく気になって、
自分の意見は言えない環境でやっていた。

実業団時代はバレーボールを楽しめず、
早く引退したいと思っていたが、
日本代表に選ばれるなどして、
なかなか辞めさせてもらえなかった。

エースとしてスパイクを打たないといけない。
それが怖すぎた。
「自分のせいで日本が負けたら…」と思うと
怖くなって、そのプレッシャーから逃げたくなった。

スパイクを打ちたくない、もう無理だとなって、
首を覚悟でセッターに
「自分にトスを上げないでほしい」と頼んだ。

てっきりすごく怒られると思っていたが、
セッターは「分かった」と受け入れてくれた。

それで二人だけのサイン、
「トスを上げないでサイン」を決めた。

結局、そのサインを使うことは
一度もなかった。

逃げたい気持ちを受け入れてもらったことで、
楽になった。
受け入れてくれた人がいたことで
安心して、逃げなくなった。

 
プレッシャーで押しつぶされそうになった彼女が、
勇気を出して打ち明けられたこと。

打ち明けられた側が、彼女の思いを否定せず、
受け止めたこと。
その二つが合わさって、
彼女は前に進むことができました。

人生のさまざまな局面で、私たちが
いずれの側に立ったとしても、
益子さんやセッターのかたのような
行動を取れればと願います。

現在彼女は、日本スポーツ少年団の
本部長の任にあり、自分が弱かったからこそ
務められるポジションと捉えています。

子供たちには、「逃げてもいいんだよ」
「嫌いになる前にやめなさい」
「またいつでも戻るチャンスは来る」と伝えたいそうです。

逃げなくてもいいような環境を
つくりたいと願いながら。

続・夫婦愛を育む 10
プレッシャーから逃げたくて
ナビゲーター:橘 幸世
Blessed Life
再編集 文責:ten1ko2


バレーボール元日本代表益子直美さん、
そんなプレッシャーがあったんですね。。。

指導者というのは、部下がミスをしたとき、
叱るのが当たり前、という風潮がありました。
しかし、ミスは本人が一番よくわかっているはずです。

そんな中で、益子さんが主催されるバレーボール大会は、
選手を怒らないことをモットーにしているとのこと。
そんな大会があるのだな、と思いました。

おそらく子供たちはのびのびとプレーしていて、
上達しているんじゃないかな、と思います。

ところで、今、私の所属する教会では、
教会長ご指導の元で、『43とも訓読会』をしています。
チーム一人一人の感想に対して、
ただひたすら褒める、賛美するのです。

人の感想を褒めることは、そう簡単なことではないですね。
しかし、参加している婦人たちの中で、
これを家庭で実践して、ご主人との関係が良くなった、
と証しをしていました。

プレッシャーに負けない強い心を持つことも、
自分の弱い心を受け止めてくれる
そんな環境が必要なのだな、と思いました。




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2023年08月06日

(証し) 祈っているときに雑念が入るのですが…私の質問にアボジは 《梅本先生》



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世界家庭のシリーズ「慕わしき わが主、わが父母」
梅本先生ご夫妻の証しの
一部が紹介されていました。

先輩家庭が真の父母様との出会いを
証しするコーナー「慕わしき わが主、わが父母」。

今回、登場するのは、
梅本憲二・勝子さん夫妻(777家庭)です。

憲二さんは、高校卒業と同時に
キリスト教の洗礼を受け、クリスチャンとして
救われた喜び≠持って歩んでいた1963年に、
勝子さんは社会人になって間もなくの
1966年に、それぞれ統一教会(現、家庭連合)に導かれました。

ここでは、憲二さんの、
真のお父様との出会いを紹介します。

真のお父様の手のひらは、温かく、ふくよかでした

私が、初めて真のお父様とお会いしたのは、
1965年2月8日、北海道の千歳空港です。

当時、私は帯広教会の教会長で、
献身的に歩み始めて1年もたたない時でした。

お父様は、同年1月28日、
第1次世界巡回路程の最初の訪問国として
日本を訪問されました。

羽田空港に到着されたお父様をお迎えするために、
私の所属していた北海道地区からは、
地区長が上京しました。

当時の本部教会(東京・南平台)での
お父様の歓迎集会に参加した後、
急いで帰ってきた地区長の第一声は、
「真のお父様は、ものすごくスケールの大きい方だ。
右のポケットには太陽、
左のポケットには星雲を入れて
歩くくらいの気構えが必要だ≠ニ、
おっしゃっていたよ」でした。


2月8日、千歳空港に到着されるお父様ご一行を、
地区長と数人のメンバーでお迎えに行きました。

実は、再臨を待望するガチガチのクリスチャンだった
私は、いよいよ再臨のキリストにお会いできる
歴史的瞬間だと思い、それを記録に残すべく、
ポケットに小型カメラを忍ばせておりました。

胸をドキドキさせながら
待合室の窓から外を見ていると、
雪が降りしきる中、飛行機から降りて
こちらに向かってくる乗客の中に
西川勝(韓国名、崔奉春)先生と、
その背後に体のがっしりしたお父様と
思われる方が歩いてこられるのが見えました。

そこで、ご一行が待合室に入ってこられた瞬間、
今だ≠ニばかりにカメラの
シャッターを切ったのです。

残念ながら、その写真は、逆光であったため、
人物がシルエットのようにしか写っていないのですが、
その輪郭から左側がお父様、
その隣が西川先生と分かるだけでも幸いでした。 


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千歳空港の待合室に入ってこられた真のお父様(左)。
写真は憲二さんが撮影(1965年2月8日、北海道)


到着されたお父様は、出迎えた私たち一人一人と、
その場で握手をしてくださいました。

そのときのお父様の温かく、
ふくよかな手のひらの感触は、
今でも私の手に残っています。

札幌教会で、真のお父様と一問一答できた喜び
8月号は、ここに注目!
https://www.kogensha.jp/editor_blog/detail.php?id=4603
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


先生が撮影された写真。
確かにお父様も西川先生も真っ暗ですね。。。

しかし、だからこそ、
歴史的な写真だと言えるのかもしれません。

お父様は、日本の食口たちと出会えた感動、喜び、
その表現が大きな声になっているのだと思います。

「大声で神様を感動させるように祈る」
まさにそれが今、天心苑祈禱会で行われています。
神様に通じるような祈りを捧げつつ、
証しを立ててまいります。





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2023年08月05日

「孝」か「忠」か! こう・おつ(甲乙)つけがたい、韓日の違い 《阿部先生*5分で人生相談》



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阿部先生が「韓国と日本の文化の違い」に
ついての質問に、見事に回答されています。

第2回目は、「家庭的秩序と社会的秩序」です。


「韓国と日本の文化の違いについて
教えてください」という質問に対して
何回かに分けてお答えしています。

韓国と日本の文化を比較して、
両国の特徴を紹介したいと思います。

今回は、「家庭的秩序と社会的秩序」
という観点です。

 
日本では親が子供を叱るとき、
「そんなこと、世間では通用しない」
「人さまから笑われる」と言ったり、
幼い子供に対しては「そんな悪い事をすると、
お巡りさんから叱られるよ」
と言ったりする場合があります。

日本では、親が子供に対して
「人さまには迷惑をかけてはいけない」と、
他人に「さま」を付けるように、
社会の目を第一に考え、
公共社会に対する「忠」を
至上のものとする傾向があります。

 
一方、韓国では、
「おまえのおじいさんに顔向けできない」
「先祖に申し訳ない」
と言いながら叱る場合があります。

多くの韓国人は、小さい頃から
目上の人を優先する「長幼の序」を教育し、
「孝」の価値を深く理解して、
また夫婦の「烈」を重んじることが
できなければ人間として失格だと教えます。

まさに人間の秩序を
「家庭的秩序」として見るからです。

このように、韓国人は家族性を重要視する
「孝」の文化が強く、
日本人は社会性を重要視する
「忠」の文化が強いといえます。

 
韓国では相手を呼ぶときに、
目上の人には基本的に「ニム(さま)」を付けます。

お父さんを「アボニム(お父さま)」、
先生を「ソンセンニム(先生さま)」、
社長を「サヂャンニム(社長さま)」といいます。

韓国ではどんな状況下でも
親には絶対的な敬意を表わすという
「絶対敬語」であるのに対し、
日本の敬意の観念は相手によって変化します。


日本では、「うちの父は寝ています」
「社長の田中は外出中です」と
外の人に対しては自分の家族や自分の会社を低めます。

日本では、近いものを低め、
外に行けば行くほど敬意を高めるのが常識なのです。


日本は武家社会の伝統の影響が強く、
「忠」の精神が強く、「侍(はべ)る」という言葉も
主従関係において、主人のそばに仕えて
命令を待っているというニュアンスです。

韓国語の「モシダ(侍る)」は、
子女が親への愛情に従って、親の事情・
心情を自ら察して尽くしながら、
親を中心として生きるというニュアンスなのです。

韓国では「孝道」こそ、
国民倫理の中心であり、
人の生きる道と考えます。


日本では「親の面倒を見る」「親を養う」というのですが、
面倒を見る若者が主体であり
面倒を見てもらう親が
「弱者」という立場と考えがちです。

しかし韓国の「父母に侍る」は、
あくまでも親が尊敬の対象として上位にあります。


韓国人は、「私たちの家族」「私たちの子供」
「私たちの国」というように
「ウリ(私たち)」という言葉を好みます。

「ウリ」という観念は、情的に自分に属する人を
完全に一つと考える情和主義であり、
日本人が和合を好み、集団内の「和」を尊重して
個々人のバランスを保つ観念とは似て非なるものです。

何かもらった場合、日本人は
「私がもらった」と喜ぶのに対し、
韓国人は「私たち(家族)がもらった」と喜びます。

物の所有も自分と他人の区別をせずに
共同所有と考える「ウリ」の意識を教育します。

このように、韓国と日本では、
互いの意識の“ものさし”に違いがある
ということを理解する必要があります。

(動画版『ほぼ5分でわかる人生相談Q&A』より)
【テキスト版】ほぼ5分でわかる人生相談Q&A
幸せな人生の極意!

第145回 韓国と日本の文化の違いについて教えてください
A家庭的秩序と社会的秩序
ナビゲーター:阿部美樹
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


とても的確な解説だと思います。

やはり両国は敵対感情をもって
対立関係になってはいけないですよね。

お互いの良いところを相続し、
一つになることによって、
それぞれが相互補完することで、
さらに良い国になっていくに違いないです。

どちらがいい、悪い、ではなく、
違うからこそ、相手のいい点を認め合う、
そんな心の器を拡げていきたいと思うのです。

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