2023年08月17日

つい、自分を責めていませんか 《橘先生*一番大切な人と・・》



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Blessed Lifeより、橘幸世先生の書籍
『いちばん大切な人と仲良くなれました』から、
「つい自分を責めがちになりませんか?」を紹介します。
 
第1章 自分のベストフレンドになる
― 自分を嫌っていませんか?

つい自分を責めがちになりませんか?

不登校を扱ったテレビ番組で、
ある父娘(おやこ)のケースが紹介されていました。

父親は娘をとても愛していましたが、
立派に育てなければと厳しく接し、
娘は父の期待に応えようと勉強を頑張ります。

学校でいじめに遭いますが、そんな自分は
父の期待像から外れているので、黙っていました。

しかし、やがて彼女は限界に達し、
「学校には行きたくない。こんな私で
(お父さんの願うような娘でなくて)ごめんなさい」
と父親に打ち明けます。

娘のただならぬ様子に、父は
「分かった。行かなくていいよ」と全面的に受け止め、
父娘関係は新しい次元へと移ります。

期待の枠から解き放たれた娘は、
フリースクールに通うようになり、
笑顔が戻ります。

そして、「以前は、お父さんの顔が
怪物のように怖く見えた。
今は、お父さんが愛してくれていることが分かる」
と語るのでした。

(「怪物のように怖く」とは、
親の立場にいる者にとってはなかなか衝撃的です)


この言葉を聞いて、「ああ、父親は
ずっと娘を愛していたんだけれど、
それが伝わらなかったんだ。
“かくあるべき”“期待”という壁にブロックされて、
彼女には父親の愛が見えなかったんだ」と思いました。

神様が神霊と真理で私たち人間を導かれるように、
親も愛と規範をもって子を育てます。

愛と規範、どちらが欠けても、
どちらに偏りすぎても支障が出ます。

愛していながらも、「きちんと育てなければ」
という思いが前面に出ると、
この父娘のように、愛が伝わりづらく
なってしまうのかもしれません。


一般的に、信仰者の家庭に生まれた子供は、
ややもすると自己肯定感が低くなりがちと言われます。

何か悪い事が起こると、
自分のせいではないかと不安になるのです。

厳格な戒律が強調される信仰ほど、
その傾向は強いかもしれません。


素朴な生活を今なお堅持するキリスト教の一派、
アーミッシュの少女を主人公とした物語の中で、
偶然彼女と言葉を交わした精神科医が、
「あの共同体の子に共通して見られるように、
彼女も自己肯定感が低い」と言っていたのが印象的でした。

また、アルジェリア出身の友人が
「イスラム教の戒律のもとで育った自分は、
(かつて)道に何か落ちているのを見ても、
自分が悪いことをしたのではないかと
不安になった」と話してくれたことがあります。


神様も親も、愛してくれている、
許してくれる、と頭では分かっていても、
自分に非があるのではと考える癖がついていると、
誰が責めなくても、勝手に自分が責めます。

天の前にきちんと清算したにもかかわらず、
過去の負債をずっと引きずっている人もいます。

愛と許しを受け取りきれないと、
心に重しがのっているようではないでしょうか?

復帰途上、成長途上の私たちは
不足な点があって当然です。

子供の成長を見守る親は、子供が
(できない事で心配する以上に)
できるようになった事を見て喜ぶものです。

自分を責めがちな人は、
そんな親(神様)の愛情をもっと信じ、
受け止めて、良い意味で楽になりましょう。

橘幸世・著(光言社・刊
『いちばん大切な人と仲良くなれました』より)

https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=15477
スマホで立ち読み Vol.16
『いちばん大切な人と仲良くなれました』2
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


やはり、愛というものは、
相手にしっかり届いているか、
それが大事なのだと思います。

比較的長かった今年の夏休みも
昨日で終わりました。

この期間、子供たちと一対一の授受をしようと思い、
妻と私それぞれが、4人の子供たちと話すのは、
時間とお金の負担があるので(笑)、
私と妻2人で、4人の子供たち順番に、
4回授受する時間を作りました。

子供たちはどう感じたのかわかりませんが、
家に一緒にいながらもあまり深い授受をしないので、
こういった場を設定することが貴重だな、と思いました。
ちゃんと愛が届いているのかは、本人たちに確認していませんが。。。


また、私自身も親なる神様に対して、
自分の足りなさばかりを感じて、
負債に思うことばかりです。

自分の弱い部分、足りない部分のみを見るのでなく、
「それでも愛されているのだ」
そんな感謝の心情を土台にして、
日々の歩みをしていきたいと思うのです。

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posted by ten1ko2 at 07:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする