自己牧会プログラムの初々しい体験談、
「鍵が開かなかった理由」です。
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(女性 30代)
同じ青年寮に住んでいる姉妹と一緒に伝道活動に向かう時のことです。
何げない会話をしているときは良かったのですが、関心を持ってあれこれと相手に質問を始めると、なんだか反応が薄いのです。
私としては「こうすれば喜ぶかな」「喜ばせたいな」と思いながら話すのですが、思ったような反応がないので、「喜んでいないのかな。いや、むしろ嫌がっているのかな」と考え始めて、気持ちが落ち込んでしまいました。
☆
相手の反応が悪いと自分を責め始めるというのは私の癖です。
伝道活動を終えて一人で帰る道すがら、「こうだったのかな、ああだったのかな」と、自分では答えの出ない考えをぐるぐるさせて、暗い気持ちにはまり込んでしまいました。
そんな気持ちを抱えながら寮に着いたのですが、今度は鍵がなかなか開きません。番号を合わせるダイヤルがうまく回らず、5分挑戦しても駄目でした。
「私がこんな気持ちだから鍵も嫌がって開かないんだ。でも、開いてくれたっていいのに…」と、鍵のことまで責めてしまいました。
すると、先に帰って中にいたその姉妹が気付いてくれ、中から親切にコツを教えてくれました。
そして、思いがけないことに、「きょうはいろいろ聞いてくださって、固くなっていた心が解けてきたんですよ」と言ってくれたのです。
姉妹の親切さ、そして意外な答えで心が解放されました。私は、相手の表情だけで一喜一憂して、一人で悩んでいただけだったのです。
後でこの件を良心に尋ねると、「あなたに分かってほしくて、鍵を固くしたんだよ」という答えを感じました。
鍵を責めてしまって申し訳なかったな、きょうは全部このままで良かったんだ、何も問題はなかったんだ、全部神様の愛だったのだと、納得した出来事でした。
私の心の中にいる神様 186
鍵が開かなかった理由
鍵が開かなかった理由
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再編集 文責:ten1ko2
こういうことって、よくありますよね。
自分の思い違い、というのか、
変に心配ごとを背負ってしまうようなこと。。。
こちらが深刻に思うことも、
相手は意外とそうでなかったりとか。
相手の心の奥底まではなかなか読めないものです。
自己牧会プログラムを通して、心のワークをすると、
本当に良心が解放してくれるんですね。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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