金元弼(ウォンピル)先生
「一番会いたいのは神」
☆
一番会いたいのは神
私たちは毎日のように、いろいろな人に
いろいろなことで会うという生活をしています。
会うということがどれほど難しいことであるか
考えてみましょう。
もし、会う人もなく、自分一人でいるならば、
喜びも寂しいことも何もないでしょう。
しかしながら私たちは常に会う生活をしていますので、
喜びもあるし、寂しいこともあります。
そういうことを通して、私たちは成長していくのです。
ですから、良い出会いをすることによって
よく成長できることもあるし、
良い出会いをすることができなくて、
成長を非常に妨げられることも起こるわけです。
皆さん、会うということが非常に
重要であることは、お分かりだと思います。
皆さんと私はこのようにして会っています。
こうして会うことを通じて、私たちには喜びもあるし、
恵みもあるし、他にもいろいろなことが
起こるだろうと思います。
ですから、単に会うといっても、どういう人に、
どういうふうに会うか、ということが
問題になってくるのです。
つまり、私たち人間は、常に死ぬまで
いろいろな人に会うのですが、
私たちが一番会いたいのはいったい誰だろうか、
ということが重要な問題であるというわけです。
☆
元々人間は、神から造られました。
造られた人間は、初めに神に出会いました。
初めて人間が神に出会った時には、
神にも喜びがありましたし、人間にとっても喜びでした。
ところが次に人間が神に出会った時には、
神の喜びも去ってしまいましたし、
人間の喜びも去ってしまいました。
なぜでしょうか。
堕落したからです。
つまりこの人間と神との、最初と
その次の出会いとは、同じ状態ではなかったわけです。
違ったわけです。
ですから、皆さんにも、この神と人間との
出会いというものがどんなに重要であるか、
お分かりいただけると思います。
☆
神と人間との出会いには、必ず共通の目的があります。
神は人間だけを愛し、人間は神だけを愛する、
という目的があるわけです。
すなわち、これは創造理想の実現という
共通の目的であるわけですが、
それが成らなかった時に、
神と人間との間には距離ができてしまったのです。
ですから、神に再び会うには、
アダム、エバが神だけを愛するという
期間が必要なのです。
このように私たちが神と出会うということは
重要なことなのです。
復帰摂理というものは、再び神に出会う道のりです。
この出会いにあって、私たちが
持たなければならない条件は、
何よりも神だけを愛するということです。
この条件が問題になってくるのです。
アダムとエバの出会いにしても同じことです。
アダムとエバは、神だけを愛するアダムとして、
神だけを愛するエバとして出会わなければならないのです。
これがアダム、エバの出会いです。
こういうことを念頭に入れて、
私たちの出会いの実際の現状について
考えてみたいと思います。
☆
先生の出会いに対する心掛け
1976年のことですが、(文鮮明)先生が幹部たちを連れて、
カナダを訪問されたことがありました。
その時、先生は海洋資源による食糧問題解決の道を求めて
訪問されていたのですが、何日間かをそこで過ごされている間に、
カナダの教会が、先生一行がカナダに来られている
ということを知って、ぜひ教会に
先生ご夫妻をお招きしたいと申し出てきました。
ところが先生はそれに応じられませんでした。
何回もお招きしたのに、
カナダにいらっしゃったにもかかわらず、
カナダの教会を訪ねて行かれなかったのです。
その時先生はその責任者に、
「私がこの度来たのは、
カナダ教会を訪問するためではありません。
他の目的があって来たのですから、
私の心はカナダの教会を訪問する準備をしていません。
そのように心を尽くして来ていないのです。
ですから、そういう状態で
私はカナダの教会を訪ねることはできません」
ということを話されました。
☆
皆さん、先生が他の所を訪ねられる時には、
どのように心を尽くされて訪ねられるかということが
お分かりいただけるでしょう。
理解できますか。
先生の訪問される目的がたとえ仕事のことであったとしても、
教会がありますからそこへ行ったら簡単でしょうに、
先生にはそれがなかなかできないのです。
先生の出会いに対する心掛けは、
食口たちに出会うことだけでなく、
韓鶴子夫人に出会うことにおいても
お子様に出会うことにおいても、
私たちとは随分違うということを、
理解しなければならないと思います。
☆
普通、私たちは人とたやすく出会ってしまいますが、
私たちがよく知っているように、個人は家庭のために、
家庭は氏族のために、氏族は民族、国家のために、
そして国家は世界のために、世界は天宙のために、
天宙は神のためにあります。
これが善なる道であるわけです。
ですから先生が韓夫人に出会う出会いというものは、
先生自らが家庭を超え、民族、世界、天宙を超えて
神を愛する道を通して、韓夫人に出会う道であるのです。
これを簡単にいいますと、先生が
韓夫人やお子様に出会うには、
世界を愛してのちであるということです。
それが、先生と韓夫人の出会い、
先生が子女様に対する出会いなのです。
先生は世界を愛するという道を通してでなければ、
夫人やお子様に出会うことができないというわけです。
「理想的な出会い」
一番会いたいのは神
先生の出会いに対する心掛け
(1981年9月27日ベルベディア)
U 先生の道は我々の伝統
第九章 理想的な出会い
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
一番会いたいのは神
先生の出会いに対する心掛け
(1981年9月27日ベルベディア)
U 先生の道は我々の伝統
第九章 理想的な出会い
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
再編集 文責:ten1ko2
人との出会いに対して、
「神様が愛する」その人と出会う。
真の父母様が持たれている人との出会いは、
常に神様を中心にされているのだ、と感じます。
私たちも出会う人を貴く思い、何よりも
ともに生活している家族に対しても、
世界を愛する心情を先立てて、
接していかなければならないと思いました。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)