2023年08月26日

一番会いたい人に会うように、最高の準備をして会う 《金元弼先生・理想的な出会い2》



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金元弼(ウォンピル)先生
「一番会いたいのは神」

一番会いたいのは神
 
私たちは毎日のように、いろいろな人に
いろいろなことで会うという生活をしています。
会うということがどれほど難しいことであるか
考えてみましょう。

もし、会う人もなく、自分一人でいるならば、
喜びも寂しいことも何もないでしょう。
しかしながら私たちは常に会う生活をしていますので、
喜びもあるし、寂しいこともあります。

そういうことを通して、私たちは成長していくのです。

ですから、良い出会いをすることによって
よく成長できることもあるし、
良い出会いをすることができなくて、
成長を非常に妨げられることも起こるわけです。

皆さん、会うということが非常に
重要であることは、お分かりだと思います。

皆さんと私はこのようにして会っています。
こうして会うことを通じて、私たちには喜びもあるし、
恵みもあるし、他にもいろいろなことが
起こるだろうと思います。

ですから、単に会うといっても、どういう人に、
どういうふうに会うか、ということが
問題になってくるのです。

つまり、私たち人間は、常に死ぬまで
いろいろな人に会うのですが、
私たちが一番会いたいのはいったい誰だろうか、
ということが重要な問題であるというわけです。

  
元々人間は、神から造られました。
造られた人間は、初めに神に出会いました。

初めて人間が神に出会った時には、
神にも喜びがありましたし、人間にとっても喜びでした。

ところが次に人間が神に出会った時には、
神の喜びも去ってしまいましたし、
人間の喜びも去ってしまいました。

なぜでしょうか。
堕落したからです。

つまりこの人間と神との、最初と
その次の出会いとは、同じ状態ではなかったわけです。
違ったわけです。

ですから、皆さんにも、この神と人間との
出会いというものがどんなに重要であるか、
お分かりいただけると思います。

  
神と人間との出会いには、必ず共通の目的があります。
神は人間だけを愛し、人間は神だけを愛する、
という目的があるわけです。

すなわち、これは創造理想の実現という
共通の目的であるわけですが、
それが成らなかった時に、
神と人間との間には距離ができてしまったのです。

ですから、神に再び会うには、
アダム、エバが神だけを愛するという
期間が必要なのです。

このように私たちが神と出会うということは
重要なことなのです。

復帰摂理というものは、再び神に出会う道のりです。
この出会いにあって、私たちが
持たなければならない条件は、
何よりも神だけを愛するということです。

この条件が問題になってくるのです。
アダムとエバの出会いにしても同じことです。

アダムとエバは、神だけを愛するアダムとして、
神だけを愛するエバとして出会わなければならないのです。
これがアダム、エバの出会いです。

こういうことを念頭に入れて、
私たちの出会いの実際の現状について
考えてみたいと思います。

先生の出会いに対する心掛け

1976年のことですが、(文鮮明)先生が幹部たちを連れて、
カナダを訪問されたことがありました。

その時、先生は海洋資源による食糧問題解決の道を求めて
訪問されていたのですが、何日間かをそこで過ごされている間に、
カナダの教会が、先生一行がカナダに来られている
ということを知って、ぜひ教会に
先生ご夫妻をお招きしたいと申し出てきました。

ところが先生はそれに応じられませんでした。
何回もお招きしたのに、
カナダにいらっしゃったにもかかわらず、
カナダの教会を訪ねて行かれなかったのです。

その時先生はその責任者に、
「私がこの度来たのは、
カナダ教会を訪問するためではありません。
他の目的があって来たのですから、
私の心はカナダの教会を訪問する準備をしていません。
そのように心を尽くして来ていないのです。
ですから、そういう状態で
私はカナダの教会を訪ねることはできません」

ということを話されました。


皆さん、先生が他の所を訪ねられる時には、
どのように心を尽くされて訪ねられるかということが
お分かりいただけるでしょう。
理解できますか。

先生の訪問される目的がたとえ仕事のことであったとしても、
教会がありますからそこへ行ったら簡単でしょうに、
先生にはそれがなかなかできないのです。

先生の出会いに対する心掛けは、
食口たちに出会うことだけでなく、
韓鶴子夫人に出会うことにおいても
お子様に出会うことにおいても、
私たちとは随分違うということを、
理解しなければならないと思います。


普通、私たちは人とたやすく出会ってしまいますが、
私たちがよく知っているように、個人は家庭のために、
家庭は氏族のために、氏族は民族、国家のために、
そして国家は世界のために、世界は天宙のために、
天宙は神のためにあります。

これが善なる道であるわけです。

ですから先生が韓夫人に出会う出会いというものは、
先生自らが家庭を超え、民族、世界、天宙を超えて
神を愛する道を通して、韓夫人に出会う道であるのです。

これを簡単にいいますと、先生が
韓夫人やお子様に出会うには、
世界を愛してのちであるということです。

それが、先生と韓夫人の出会い、
先生が子女様に対する出会いなのです。

先生は世界を愛するという道を通してでなければ、
夫人やお子様に出会うことができないというわけです。

「理想的な出会い」
一番会いたいのは神
先生の出会いに対する心掛け
(1981年9月27日ベルベディア)

U 先生の道は我々の伝統
第九章 理想的な出会い
信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


人との出会いに対して、
「神様が愛する」その人と出会う。

真の父母様が持たれている人との出会いは、
常に神様を中心にされているのだ、と感じます。

私たちも出会う人を貴く思い、何よりも
ともに生活している家族に対しても、
世界を愛する心情を先立てて、
接していかなければならないと思いました。


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posted by ten1ko2 at 16:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする