2023年09月30日

1970、80、90年代 真の父母様に愛された証し ♪人に勝つより、自分に勝てと...... 《梅本夫妻》



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大好評の梅本先生ご夫妻の証しより、
今回は、ご主人のお話し、
「兄弟姉妹を愛し、訓練し、
成長させてくださる父母様」です。


憲二さん

私が北海道第二地区 (当時)の地区長をしていた
1972年8月、真のお父様は、指導者教育と、
韓国の風土と文化を学ばせるために、
日本の責任者(総勢約60人)を韓国に呼んでくださいました。

10日間ほど行われたこの修練会は、
初めから終わりまでお父様と真のお母様が
私たちと共に過ごされ、
愛で教育してくださった期間でした。

韓国に到着した私たちは、まず、漢南国際研修院におられる
真の父母様を訪ねて、ご挨拶しました。
その後、真の父母様と共に清平に移動したのです。

湖畔にあった清平修練所(原聖殿)で寝起きしながら、
数日間は真の父母様と一緒に周囲の山に登っては
山頂で和動会をしたり、
夜にはたっぷりみ言をお聞きしたりしました。

真のお父様の、「指導者になって、
まだ自信がない者もいるだろう。
そういうときは一歩でもいいから、
兄弟より先に行けばいいんだ。
そうしたら皆ついてくるよ」

と懇切丁寧に指導してくださるみ言が身にしみて、
心から「親だな」と感じましたね。


山頂での和動会では二つのチームに分かれて、
のど自慢対決となりました。

みんな次々に 立って自分のチームが勝つように必死で歌っている中、
私の番となり、「人に勝つより、自分に勝てと......」
(「姿三四郎」)と歌ったので、
真のお父様が私の顔を見ながら笑われました。

そのときのお父様の笑顔がいつも思い出されます。


修練会後半は、韓国の名所旧跡を
真の父母様と共に巡る観光旅行となり、
北は雪岳山から慶州、釜山を経て、南は済州島まで、
実に恵み深い観光大修練会となりました。

修練を受けながら思ったのは、
私たちがこのように真の父母様から愛されるのは、
兄弟姉妹を代表して愛されているのだ、
だから帰ったら真の父母様の愛を
皆に伝えていく責任があるということでした。


そのほかに、真の父母様から受けた訓練で思い出されるのは
米国・ボストン沖でのツナ修練会と
南米パラグアイのオリンポでの釣り修練会です。

私は1983年秋に行われた
「ツナ・フィッシング(まぐろ釣り)修練会」に参加しました。

このとき、真のお父様は日本から来た修練生(10数人)を
2人ずつ夕食の食卓に呼んでくださり、
私もその恵みにあずかりました。

食事の部屋には、お父様と韓国の幹部が数人、
そして私たち日本人の2人でした。

真のお父様は私と一緒に呼ばれた兄弟に
「あなたが祈りなさい」と言われ、食前祈祷を捧げさせました。

その後、お父様は韓国の幹部の方々と
2、3回ぼそぼそと話されるだけで、
特に私たちに話しかけることもなく、
食事の時間が終わってしまったのです。

その後、36家庭の李載錫先生(元韓国家庭連合会長)に
会う機会があり、食事の席でのことを話しました。

すると、「私などはお父様のお部屋に入って、
4時間ぐらい何も話されなかったこともありましたよ」
と言われたのには驚くとともに、内心ほっとしました。


1999年の夏には、オリンポで、
2回目の日本人国家メシヤ修練会が行われました。

この修練会は、40日の間に指定された4種類
(パクー、ドラド、スルビ、ボガ)の魚を40匹ずつ釣るのが、
真のお父様から与えられた目標でした。

ですから、釣りを楽しむどころではなく、
みんな必死でした。

おにぎりを2つもらって、朝から数台のモーターボートに乗り、
川幅2百メートルのパラグアイ川の岸に
数人(時には1人)ずつ降ろされます。

気温40度の炎天下、何とか岸辺の木陰を探して
日中を過ごし、夕暮れに迎えのボートが来るまで、
ただひたすら目標達成のために釣りに集中するわけです。

ふと横を見ると、ハチドリが
花の蜜を吸うためにホバリングしていました。

それを見て、ずいぶん遠くまで来たんだなあ
と実感しました。

決して自分の考えだけでは
来ることのない所だなと考えながら、
改めて真のお父様の訓練の”ありがたさ”と
"すさまじさを実感しました。

慕わしきわが主、わが父母
真の父母様との思い出
「深い心情で愛してくださる方」(前編)
世界家庭8月号より
再編集 文責:ten1ko2


「兄弟姉妹を代表して愛されている」
と梅本先生が語られているように、
私たちもその場にいたならば、
同じように愛されていたのだろう、と思います。

1970年、80年代、また90年代と
真のお父様と近い距離で接しておられた
梅本先生の歩みでした。

「とても羨ましいな」と感じつつも、
真の父母様の価値を知ることができること
自体が、感謝なのかな、と思わされます。

真の父母を知る人も、知らない人も
真の父母様は、親として愛してくださっているわけですが、
多くの人たちに、父母様の価値と
恩恵を知らせていきたいと思うのです。





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2023年09月29日

理解者もいない中、主・イエスは、どうやって真実の生き方ができたのか 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のみ言。
今回は、「イエス様の内的生活」より、
『天が共にある私になろうとするならば』を紹介します。


その次に、私たちがどのようにするならば
天が共におられる私になるでしょうか? 

イエス様がこの地上に来られて
天国人のふるまいをされましたが、
母親とよく合いませんでしたし、
洗礼ヨハネとも一つになれませんでした。
もちろん祭司長たちとも合いませんでした。

そうでありながらもご自身は、貴いみ言、
高貴なる内容をおもちになり、
天国生活をなさいました。

今、この秘訣をよく知らなければなりません。


イエス様は、独りであられました。
家庭的に、社会的に、教団から追われました。

むしろメシヤを信じてきた
イスラエルの人たちに最も排斥されました。

今日でも原理と最も対決するのは何ですか? 
仏教、儒教ですか、カトリックですか? 
すべて違います。

今、私たちは、聖書を神のみ言と思い、
昼夜抱いて生きる既成教会と
いちばん対立しているのです。


それでは、イエス様はどのように
天国生活をなさったのでしょうか? 

私たちの時代は、イエス様の時と
同じではありません。

しかし、原理を分かってみるならば、
私たちの周辺に私たちと相入れない人々が
たくさんいることを感じるようになります。

ところでイエス様は、どのようにして
そのような状況で天国生活を
なさったのかを調べてみましょう。

 
「統一原理」では、主体と対象がよく授受してこそ
神が臨在なさるといっています。

結局、主体と対象が授受することが
できなければ神が臨在なさりたくとも、
臨在できないというみ言です。

よく授け、よく受けてこそ力が生じるのです。

今私たちは息を自由にしていますから、
私たちには苦痛がありません。
しかし、授受できなくなる時には、
直ちに苦痛が臨むようになります。

私の肉身がそうであるように、私の心も同じです。
心がよく授受してこそ
天から来る愛、天から来る力を得て
生きることができるのです。

それでは、イエス様は
よく授受することのできる対象もいなかったのに、
どのようにしてそのような真の人のふるまいをし、
天の人の生活をしたのでしょうか? 

これが最も疑問になります。

諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教 
1977年10月2日 韓国中央修練所

信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏  
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰

U 復帰摂理の恨
「イエス様の内的生活」
天が共にある私になろうとするならば
再編集 文責:ten1ko2


イエス様は、ご自身の事情、心情を
本当の意味で分かってくれる人がいなかったので、
どれだけ辛い立場であったでしょうか。

しかし、それでも天国生活を送られたというのは、
やはり、神様と一つになっていたから、
神様の心情を中心に歩まれていたからだ、と思います。

神様抜きの人生は考えることができなかった。。。
それは真の父母様も同じだと思います。



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2023年09月28日

メディアはこの光景を取材すべき 墓前に遺族が笑顔で集う、聖和祝祭 《田中会長》



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聖和家庭会報「聖和」 10月号に、
田中会長の霊界や死生観にまつわる講話の
内容が掲載されています。

題目は「地上生活と永生の希望」です。


世界平和統一家庭連合 神日本会長 田中富広


日本に愛の種がまかれて間もなく
六十五年が経ちます。

たった一人の宣教師によってまかれた
命のみ言から多くの命が天に連結され、
そうして生涯を天に捧げ切った
多くの諸先輩方がここ(中日本霊園)に葬られています。

二月二十四日、西川勝先生 (崔春奉宣教師)が聖和されました。

この日本に真の父母様の大きな恩賜を頂いて、
そのみ言の種をまいてくださった御恩に、
私たちは深く感謝するとともに、
より新しい時代を構楽していく天の願いを受け止めて、
天のみ意にかなった教団として立っていくことを誓って
新しい出発をしたいと、改めて決意しています。

昨年に引き続き、本年もここに来させていただきました。
豚汁もあるし、コーヒーもあるし、お弁当も ある............
お墓の前に集まって、こんなに笑顔を寄せ合っています。

この姿こそ、メディアが取材すべきであると思います。
どうしてメディアがいないのか、少し残念に思います。


先日ある雑誌に、有名な某大学の教授が
「旧統一教会はインチキ宗教だ」
と語ったことが掲載されまし た。

「霊界を語るから宗教であって、
霊界を語らない宗教はインチキ宗教だ」というのです。

しかし私たちの教団では、霊界について
教えており、語っています。

私たちは霊界のことを強く意識し、
それこそ朝から晩まで考えているのではないか
と思うほどに、意識しているのではないでしょうか。


私の先輩が真のお父様に「若い世代を教育するにおいて、
最も重要なテーマは何でしょうか」とお尋ねした時に、
「霊界を教えなさい。
それが第一である」
と語られたそうです。

「若い世代こそ霊界を正しく知り、
霊界を意識して今を生きる、
それがどれほど重要なことかを知らなければならない」

と強く諭されたというのです。

改めて私たちは霊界と地上界、
この問題に対してはっきりと理解し、
生活の中に結び付け ていかなければならないと思います。

私たちが価値視する「死生観」

私たちの教団は明確な死生観を持っています。
「死は第二の人生の出生」「霊界への新しい旅立ち」なのです。

霊園に眠る多くの諸先輩方、多くの命は、
聖和式という形を通して霊界に送られた方々です。
聖和式は、第二の出生を見送る場です。
ご生前の功績を称えて、祝福しながら送る場です。

もしその方に心残りがあるのであれば、
地上に生きる私たちがバトンを受けて、
それを果たしていくべきです。

霊界での再会を楽しみにしながら誓っていく、
貴い聖和式の時間を持っているのです。
私たちは明確な永生観を持っていることを誇りにして、
しっかりと生きていきたいと改めて思います。


また、「地上生活の歩みは、永生に向かっての人生である」
というのも、明確な死生観です。

永生の世界に貴い価値があるけれども、
地上生活をもっと貴く思って
生きなくてはならないということを、
真のお父様も強調されています。

赤ん坊は、母親の胎中で、空気を吸って
生きるために必要なすべての臓器を十月十日の間、準備します。

そして地上の生活が始まる (誕生する) 瞬間、
全く別次元の酸素呼吸を始めるのです。
どのようにして一瞬で酸素呼吸に切り変わるのか、
この神秘の世界を誰も説明できません。

私たちが知っているのは、生まれ出て泣かなければ死んでしまう、
だから叩いてでも泣かせるということです。


私たちは、母親の胎中でつくられた臓器によって、
生かしていただいている立場です。
自分の臓器を自分の意志でコントロールすることはできません。

ちょっと心臓が疲れたから休ませるとか、
ちょっと腎臓が大変そうだから休ませるなど、
五臓六腑どれ一つ、自分の意志でコントロールすることはできないので
そもそも、自分の意志で生まれてきたわけでもありません。

哲学的に言えば、「生かされている存在」なのです。


神様を認めない者、霊界を認めない者は、
「生かされている」という言葉を絶対に使いません。

共産主義者(唯物論者)も、絶対に
「生かされている」という言葉を使わないのです。
なぜなら「生かされている」と言った瞬間に、
生かしているものの存在を認めることになるからです。


しかし、この一言を受け止めた瞬間に、
私たちは、自らが生まれた意義を問いながら、
より価値のある生き方をしたいという気持ちに変わります。

私を生かしているものは誰か、
私の命を与えてくださったのは誰なのかを問いかけながら、
神様の存在に行き着くようになるのです。

私たちは、生かされていることの
自覚を持った生き方とはどのようなものなのかを、
生涯を通して示していかなければならないと改めて感じます。

赤ん坊が母親の胎中で、酸素呼吸に必要な
すべての臓器をつくってから出生したように、
未来永劫にわたって永生する霊界に行くために、
そこで最も大切な愛の感性を、
この地上生活で育てて完成させなければならない。

これが、私たちが最も大切にしている価値観です。

霊界と地上界が共に生きる道

真のお母様は、「今この時に生きている価値を、
正しく理解しなければいけない」
と強調されています。

神様が聖書歴史六千年を費やしてこの地に立てた人類の真の父母です。
この真の父母と共に生きている今の時代は、まさに奇跡の時代です。

一九六〇年、たった一組の真の父母が立たれ、
人類の真の父母として宣言してくださいました。

そうして、私たちが頂いた最高の恩恵が祝福結婚です。
この祝福結婚を通して神様の血統に帰るという、
まさに奇跡の恩恵を今、私たちは地上に生きながら受けています。

そして今、先祖解怨(いわゆる「先祖供養」)、
先祖祝福を通して億兆万の霊人たちも、
同じく神様の息子娘として立っていくことの許される
時代圏を迎えています。

神氏族メシヤに挑戦されている多くの皆様は、
先祖解怨、先祖祝福に取り組んでいらっしゃると思います。

先祖祝福を受けたすべての先祖は、
一人残らず原罪のない神様の息子・娘として立っています。
また彼らは、地上で歩む私たち祝福家庭の信仰の子女です。

その一人一人が、私たちの精誠の結実として天の恩腸を受け、
神様の息子・娘として立つことを許されているのです。
それがどれほど価値あることなのかを、
私たちは肝に銘じなければなりません。


多くの人たちは一様に、同じ悩みを持っています。
それは、「何のために生まれたのかが分からない」
というものです。

何のために生まれたのか、
何のために生きるのかが分からないまま、
永遠に生きなけれ ばならないのです。
どれほど苦しいことでしょうか。

霊人たちが、自分の生まれた価値を賦与される瞬間が、
地上で私たちが人類の真の父母とつながる瞬間です。

もし先祖のうちの一人でもいなかったら、
私がこの地上に生まれることはありません。

ですから、 地上で生を享けた私が真の父母とつながった瞬間に、
霊界のすべての先祖は、
「自分がいなかったら、この者はいない。
この者を人類の真の父母につなげるために、
私が生まれ、生きた意味があったのだ」
と 思うようになるのです。


このように、霊界と地上界が真の父母様を中心として、
新しい価値観の中で生きることができる時代を迎えています。

そのことに深く感謝を込めて、
霊界と地上界が共に万民を抱えていくうねりを
構築していかなければならないことを強く自覚させられます。

最後の一人を取り戻すまで、
神様は絶対にあきらめません。
共産主義者であっても、最後の一人を取り戻すまで、
あきらめないのが神様です。

私たちも、あきらめません。
神様と真の父母様と一つになって、
万民の前に、神様の息子・娘として誇れる実体を示し、
希望と夢を与えるのです。

霊人の皆様と地上の私たちが一つになって、
生活圏に天が安着し、真の父母様が安着できる
環境圏の創造に向かって、
頑張って まいりましょう!

(2023年4月8日、第11回中部聖和祝祭
主礼メッセージの要点を編集部でまとめました)

聖和家庭会報「聖和」 10月号・巻頭言
再編集 文責:ten1ko2


私たち統一食口は、
霊界の存在を確信する者たちです。

ですから、霊界に関する様々な行事を
尊く重んじてきました。

田中会長が語っておられる、この聖和祝祭も
そのうちの一つであるといえましょう。

私たちは誰もが、いずれ死を迎えます。

そして、霊界に行くことになります。
「霊界を信じていない人も」です。

統一原理や、文鮮明先生が語られたみ言には
霊界のことが明快に解説されています。

霊界の存在を信じない人、また、
霊界があるか、どうかわからない人も
ぜひ、統一原理を学んでいただきたいと願うばかりです。




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posted by ten1ko2 at 07:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする