篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『なぜ私を先に選ばれたのか』です。
☆
先に挙げた『原理講論』の
予定論の最後の記述を注意して見ると、
「その個体を先に選ばれるのである」とあります。
「先に」とは、後があるということです。
神様は私たちを召命するに当たって、
後に来る人を想定しているというのです。
私たちがその人々を復帰できると確信を持っているからこそ、
神様は私たちを先に召命しているのです。
☆
聖書の中のアダム家庭における献祭について、
「主(しゅ)はアベルとその供え物とを顧みられた。
しかしカインとその供え物とは顧みられなかった」(創世記四章4〜5節)
とあります。
憤るカインに対して、神様は、
「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。
正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。
もし正しい事をしていないのでしたら、
罪が門口に待ち伏せています。
それはあなたを慕い求めますが、
あなたはそれを治めなければなりません」(創世記四章6〜7節)
と語り掛けています。
神様はアベルの供え物を取りながらも、
カインの心に関心を持たれていたのです。
☆
神氏族メシヤとして立てられた
私たちにとって、後の人とは誰でしょうか?
それは夫、妻、両親、子供といった
家族をはじめとするアベル圏の氏族、
そして友人・知人をはじめとした
地域社会のカイン圏の氏族です。
神様はこのような氏族圏の復帰を
どれほど心待ちにしていらっしゃることでしょう。
☆
それでは神様は、私をなぜ先に
アベルとして選ぶことができたのでしょうか。
サタンはこの世で社会的基盤を持った
実力者であるカインを手放したくありません。
だからといって、私たちが能力のない愚か者ということではありません。
神様の心情に通じる孝行心を持った善なる群れなのです。
神様はそれぞれの氏族、家系を復帰するために
「私」を召命されたのです。
篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第二章 主と出会った者の行くべき道
一、召命と責任
なぜ私を先に選ばれたのか
(blessed lifeより)
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第二章 主と出会った者の行くべき道
一、召命と責任
なぜ私を先に選ばれたのか
(blessed lifeより)
☆
再編集 文責:ten1ko2
真の父母様は、
全人類の三分の一をかき抱こうと、
必死の歩みをしておられます。
安穏と生活している自らの歩みが
本当にいたたまれない思いに
苛まれてしまうことがあります。
真の父母様だけを見つめ、
侍る生活をしていきたい・・・
そんな思いにさせられることもあります。
先駆けて導かれたことに感謝して、
私が今、ここにいること自体が
天に愛されているのだ、ということを自覚し、
一歩踏み出せる者になっていきたいと思うのです。
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※ このブログは、
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教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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