2023年10月19日

国民が知らない、作られた献金被害の事実 国から解散命令を受けるような教団ではない! 《記者会見》




2023/10/16 世界平和統一家庭連合 記者会見


30年前、マスコミによって連日連夜行われた
家庭連合へのネガティブキャンペーン、
それによって、誰が得をしたでしょうか。

いわば家庭連合は、またも、はめられたのです。
誰かのえさになったのです。

昨年来の報道により、社会悪のように言われてきましたが、
私たちの声は、
巷に届くことはありませんでした。

文科省による解散命令請求を受けて、
教団側が記者会見を行いました。

記者会見の都合上、
話し切れなかった部分がありました。
その一部を紹介します。


最後に1点、拉致監禁・脱会強要問題について申し上げます。

文科大臣は、全国広範囲の多数の事案における
不法行為の類似性・共通性を強調します。

ところが、多数の事案が起きた背景には、
当法人に対して、思想的・イデオロギー的に対立してきた
反対派(反対牧師、職業的改宗業者、全国弁連)の存在があり、
彼らが当法人の壊滅を目指して活動してきた経緯があります。

こうした事実について、当法人が質問権行使以前から
文科省に対して報告してきたにもかかわらず、
文科省は一切無視しています。


当法人に反対する牧師や職業的な改宗活動家らは、
1960年代の後半から当法人信者に対する
拉致監禁等の身体隔離を手段とした
強制的脱会説得活動を行ってきました。

当法人の集計によると、これまで4300名を超える
信徒が犠牲者となってきました。

中には12年5か月間に亘って監禁された者もおり、
解放後に加害者らを提訴して合計2200万円の損害賠償請求が
最高裁でも認められるに至っています。

また、2014年には、国連の規約人権擁護委員会が
日本政府に対して、この問題に善処するよう勧告を出しています。


しかも、こうした強制的脱会説得によって
当法人を脱会するに至った元信者は、
「脱会のあかし」として、当法人に対する
民事裁判を提起するよう勧められ、彼らの代理人として、
全国弁連の弁護士らを紹介されます。

これを拒めば、まだ信仰が続いているものと疑われ、
再度強制的脱会説得を受ける恐れがあることから、
「踏み絵」同様、拒むことはできません。

こうして、元信者らは、現役の信者時代には
自由意思によって信仰心に溢れて活動していたにもかかわらず、
法廷では、「意に反して信仰させられていた」などと、
反対牧師や職業的改宗屋の
意に沿うように供述するようになるのです。


こうした強制的脱会説得を経て原告となった元信者は、
文科省が当初上げた22件の民事裁判のうち少なくとも7件に存在し、
それら7件の裁判においては原告の9割に上ります。

このようにして反対派が当法人の解散に向けて
拉致監禁等の脱会強要活動を行ってきた結果として、
多くの元信者が当法人に対する裁判等に駆り立てられてきた事実は、
最近月刊誌等でも報道されているところです。

また、当法人は今回の質問権行使以前から
文科省に対して拉致監禁問題の存在を報告してきました。
本来公正中立な立場をとるべき文科省が、
国連が問題視する人権侵害を殊更に無視するなど、
あってはならないことです。

また、文科大臣が指摘する、
不法行為の類似性・共通性の点について言えば、
当法人に対するほとんどの請求においては、
通知書送付段階から全国弁連の弁護士らが関与し、
ほぼ全国共通の戦術をもって訴訟戦略を立てています。

したがって、通知書や訴状において、
類似性・共通性が認められるのはいわば当然のことです。


最後に、私たちは、国から解散命令を受けるような
教団ではないと確信しております。

私たちの信徒たちと直に接してきた方々、
長年にわたってお付き合いしてきた方々は、
同意してくださると思います。

今後は、裁判において、私たちの法的な主張を
丁寧に行っていき、信者の人権を守りつつ、
宗教法人としても存続できるよう、
全力を尽くしていく所存です。

また、国民の皆様からも、少しでも私たちの教団を
理解し支持していただけるよう、
今後も積極的な情報発信などに努めてまいります。

以上ご理解いただけますように
宜しくお願い申し上げます。

10月16日記者会見における声明全文−−宗教法人解散命令請求に対して
世界平和統一家庭連合 プレスリリース
https://ffwpu.jp/news/4905.html
再編集 文責:ten1ko2

↓ 今日こんな新聞記事がありました
解散請求問題で首相に「嘘」答弁させたと自慢する小西動画拡散
世界日報


拉致監禁問題。。。
明らかに犯罪行為です。

上述にもあるように、
12年5ヵ月監禁された後藤徹さんの裁判は、
民事ではありますが、
「損害賠償請求が最高裁でも認めら」たのです。

こういった情報はマスコミには
ほとんど取り上げられておりません。

また、その背後には、反対勢力があり、
マスコミで取り上げられた我が教会の報道を鵜呑みにして、
あれは霊界商法だったんではないかと
不安になった人たちの
相談窓口になったのも、反対勢力の方々です。

また、心配した信徒の親たちが、
反対牧師や改宗屋を紹介され、
拉致監禁をはかるようになりました。

その過程で、親たち、また脱会させられた
元信徒たちは、教会の信徒たちのリストを
あげるように言われました。

献金の返金を求めると同時に
知り合いの信徒たちを棄教させるのです。
さらには、テレビ等で元信者として、教会の悪口を
証言するように誘導されました。

これらは、踏み絵として非常に有効なものでした。

私の両親が、反対牧師につながり、
2度の監禁を決行したきっかけも、
私を教会に紹介した友人の親御さんから、
私の親に連絡があったということです。

「うちの息子が、あなたの息子さんを、とんでもない所に
紹介してしまった・・・」と。

このように、芋づる式に信徒たちを
改宗し、被害者に仕立て、献金を返金させ、
親や親族たちも、脱会改宗のための
法外な費用を納めてしまったのです。

私も微力ながら、拉致監禁強制改宗被害者の一人として、
多くの人達に、悲惨な事実があったということ、
その真実を伝えていきたいと思っています。





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2023年10月18日

寂しく、悔しく感じる時、いかにそれを越えるかが大切です 《金元弼先生のベストアンサー》



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いわれなき誤解、無理解、
ひいては、差別や迫害を受ける時、
寂しく、悔しく、理不尽な思いを抱える時、
前向きに越えるためにはどうしたらいいでしょうか。

金元弼先生のみ言、「愛の減少感」より
今回は、「過去を再現して復帰する」です。
(原理用語など特殊な用語については、下に解説をつけました)

愛の減少感*
「過去を再現して復帰**する」

私たちは人類のために、神のためにということで
本当に毎日の闘いをしています。

そういう誓い、そういう決心でもって今日の一日、
あるいは今月、あるいは一年後を迎えるに当たって
反省させられるのは、その決心や誓いが
いつも長続きしないで崩れるということです。

栄光や幸福というのは勝利してから得るもので、
勝利というのは闘いを覚悟してのことなのです。

私たちが世界的な勝利、天宙的な勝利として目指す
その目的地は、我々個人が
堕落以前の自分に帰ることだと思います。

私たちの行き着くところは
堕落をいかに乗り越えるかということです。
そうでなければ、いくら私たちに
いろいろな高い次元の理想があったとしても、
そこには到達しえないということになります。

人類の道は復帰の道です。
復帰は蕩減***という過程を通じなければ成立しないのです。

蕩減というのは、人間が失敗したことが再現されるわけです。
失敗した場面が今の時に再現されて、
その時堕落した主人は「私」に相当します。

だから私が堕落を乗り越えることができたとするならば、
人は違うけれども私によって蕩減されるということになるのです。

失敗したその人が蕩減復帰されるばかりでなく、
自分も蕩減復帰された勝利者となるのですから、
私一人だけでなく、私によって、
私のような人たちが蕩減復帰されていくということです。

私が失敗した場合には、復帰される恵みの中にあるべき人が、
その恵みを失うことになるのです。

私の先祖全部に影響を与え、私によって
これから生まれる子孫にまで影響を及ぼす立場です。
私たちは、六〇〇〇年の間に数多くの先祖が失敗したものを、
全部受け継いでいます。

私が復帰すれば、今まで行き詰まっていた先祖が
蕩減復帰されるのです。

私たちが天宙の中心者だということは、
私が勝利すれば、私によってすべての先祖が
勝利した立場に立っていくことができるということです。
それが先祖の解放、霊界の解放ということです。

私たちが毎日、「勝利します」と誓うのは、
昔、神がアダムとエバを祝福し、
こういうようにしてはいけないと
掟を作ったその掟を守り、
勝利しますと誓ったのと同じことです。


それでは、何が私をして決心を覆す原因となるのでしょうか。

結局は堕落性本性****だということになります。
堕落性本性の中で一番注意しなければならないことは、
神と同じ立場を保ちえなかったということです。

自己中心に行うのではなく神を中心としてしなさいということです。
神を中心とするとはどういうことかと考える時、
必ず天使長のことを話さなければなりません。

天使長は直接神の愛を受けていました。
けれども、人間が造られた後、人間を通じて
神の愛を受けるようになっていました。

そして愛の減少感を感じました。
減少感は感じるようになっていますから、
感じたこと自体は悪ではないのです。

ただどのように処理していくのかが重要であり、
天使長は自己中心にしたから間違ったのです。

 
愛の減少感を自己中心に感じたということは、
現代の表現にしますと、疎外感を感じたということです。

天使長は疎外感を感じたというのです。
天使長は、私も直接神の前に出たいなあという
うらやましい心から始まって、
それを悪い方向に発展させたのです。

うらやましい心を自分に帰さないで神に帰するならば、
どこを通じてでもいい、人を通じてでも
神の前に出たいということになります。

その方向であればよかったのです。


一番神に近い疎外感というのは、
私もああいうふうになりたいという、
うらやましさの疎外感です。

それはいいのですが、方向を自分に帰すると
寂しいなあという心に変わるのです。
誰に対して寂しいかというと、神に対して寂しいのです。

「神はなぜあの人よりも私をもっと愛してくれないのか」
という自己中心的に寂しく嫌だと思う心が発展していくと、
呪いとなります。

呪うということは関係があるから呪うのであり、
関係がなければ呪いもしないのです。

それが極端に発展していくと、その限界は
「無関係」というところまで疎外感は発展していきます。

天使長のその心は連綿として受け継がれているのですから、
神は復帰しなければならないのです。

復帰するためには蕩減しなければなりません。
その蕩減の過程を通過しなければならないがゆえに、
堕落したその事実を再現させて復帰していくのです。

U 先生の道は我々の伝統
第十一章 愛の減少感
「過去を再現して復帰する」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

*愛の減少感:人を羨む気持ちや嫉妬心など、人と比較した時などに感ずる思い
**復帰、復帰する:堕落していない状態に帰ること。(復帰する際は、蕩減復帰の原則に従って、段階的に原状復帰する。)不信仰な状態から神の愛の懐に戻ること。
***蕩減:人類が犯した罪、全般に対しての穴埋め、清算。
****堕落性本性:神のような真実の愛で愛したり、責任をもてない自己中心的な性質。人類の始まりの時期に堕落が起こったので、すべての人間が生まれながらに、この性質をもっている。


再編集 文責:ten1ko2


「ピンチはチャンス」
今、私たちが受けている試練も、
いつか真実が明らかにされるでしょう。

その時まで、好機を待ちつつ、条件を積んでいる、
つまり、徳積(とくづみ)、貯金をしている
ということなのだと思います。

人類を神様の元に復帰する、
復帰摂理の道を今、歩んでいるのです。

勝利を信じて歩んでいきたいです。



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posted by ten1ko2 at 10:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月17日

10月13日の金曜日、私たちは十字架につけられたのか?! *最近感じること 《父の祈り》



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最近、感じていることを書こうと思います。

先日、解散命令請求を文科省が決定した日は、
10月13日の金曜日でした。

皆様もご存じのように、13日の金曜日といえば、
イエス様が十字架に付けられた日、とされています。

この時、イエス様は、
「父よ、彼らをおゆるしください。
彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカによる福音書23章34節)
と執り成しの祈りを捧げておられます。

真のお父様(文鮮明先生)が、かつて
いわれなき罪を着せられ、
教会についても、恐ろしいデマで
覆いつくされていた頃のお祈りです。



お父様を慰労する孝子とならせてください

今日、私たちは悪なるものを見ても感覚がなく、
不義で未熟であり、
天倫のみ旨に対する苦痛に満ちた心情を抱いて
責任を感じることができないでおります。

怨讐を殲滅しようとする心と、
恨みに徹する哀切さがなかった私たち、
また闘いの実績を持てなかった私たち、
全能の神様を信じることができなかった
私たちでした。

天に対するイエス・キリストの忠誠を
知りませんでした。

イエス・キリストを立てて誇ろうとなさった
あなたのみ旨が使徒たちを通して、
歴史を経て、今日の私たちに連結され、
そのみ旨が私たちで結実されることを
望んでいるということを知らせてくださり、
生命をもらったという歓喜に加えて、
数千万の聖徒たちが歓迎することのできる
中心的な責任が、今日、私たちに
任されているということを、
知るよう許諾してください。

今、私たちが天と地と万物、
そしてイエス・キリストの恨みを解くための
祭物となるよう許諾してくださり、
誠心誠意を込める、孝心ある子女たちとなるよう
許諾してくださいますことを、
お父様、懇切にお願い申し上げます。

お父様!
きょう私たちの一個体と、私たちに
天の解怨のための責任が任されており、
天の恨みを解いてさしあげるための闘いが、
私たちによって終結されるべき事情がある
ということを分かるよう許諾してください。

このようなことを知りましたので、
だれよりも実践しようという心、
お父様に感謝することのできる心だけ持つよう
許諾してください。

十字架を担っても感謝であり、
億千万のサタンたちと闘うとしても、
お父様の前に卑屈な者たちとならないよう
許諾してください。

十字架を負い、困難な立場に立つとしても、
「お父様! 私がおりますので
心配しないでください」と言える
子女たちとなるようお導きください。

困難な立場に置かれている子女たちを見て
悲しまれるお父様を、慰労してさしあげられる
子女たちとなれるよう、許諾して
くださいますことを懇切にお願い申し上げながら、
すべてを主のみ名によってお祈り申し上げました。
アーメン。


(1956.5.16)

「父の祈り 文鮮明師の祈祷 6 孝心編」より


「孝心」という、合唱曲があります。
この歌は、上のお父様(文先生)の祈りを原詩として、
作曲されたものです。

先日、6000名の日本の2世たちが
お母様(韓鶴子総裁)にお会いした際にも、
韓国の2世たちがハングルで大合唱していました。

(下は日本語、2番が韓国語の歌詞になっています)



その歌詞に、私は特に心が打たれます。

  神様、イエス様、知らない私たちに
  任された責任を知らせて下さり
  天宙に供えて下さい

  十字架を担っても(すべて感謝)
  どんなに困難でも(感謝)

  お父様、私がおりますので心配などしないで下さい
  私たち、ご父母様を慰労する孝子とならせて下さい



み旨の道で、困難な時ほど、
神様に「心配しないでください」
と慰労の祈りを捧げられたお父様。。。

私たちは今この時ほど、
真実なる道を歩まなければならない、
そのように感じます。

原理講論・予定論には、
「復帰摂理の目的を完成させようとされる
み旨は絶対的である」とあります。

どんなことがあろうとも、
み旨は必ず成就する、
そのことを信じて歩んでいきたいです。




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posted by ten1ko2 at 10:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする