梅本先生が家庭連合(統一教会)に出会う前、
高校生の頃の証しです。
前編の最終話となります。
☆
クリスチャンになるまでの話を、お聞かせください。
憲二さん:私が工業高校の二年になったとき、
来年は就職先を決めなければならないが、
そのためにはまず人生をいかに生きるべきかを考え、
それに基づいて就職先を決めようと考えたのです。
それで手当たり次第に人生論の本を読みあさり、
三年生の夏頃には 「人生は生きがいである」
という結論を出し、就職活動に臨みました。
そうして、ある大手電機メーカーの内定をもらったのです。
それで、もっと腰を落ち着けて人生の問題を研究してみようと思い、
まずは世界史的に影響を与えた
四大聖人の考え方を研究しようと思いました。
その中でも身近な対象がキリストでした。
というのは、通学路にキリスト教会の看板があったことや、
また、当時はラジオでキリスト教の伝道番組もやっていたからです。
まず、キリスト教のラジオ番組を熱心に聞き始め、
その番組と関連した聖書通信講座も始めました。
そのようにしてラジオ番組を聞いていると、
話の最後には必ず「イエス・キリストを受け入れなさい。
そうすればあなたに限りない平安が与えられます」
と牧師の勧めの言葉が入ります。
その言葉があまりにも真に迫っていたので、
ある日ついに「そんなに素晴らしい平安が与えられるなら、
思い切ってキリスト教を信じてみよう」と決心したのです。
それ以後、本格的にキリスト教を学び始めました。
まず通学路に看板のあった日本基督教団の教会を訪ねました。
そこの日曜礼拝に毎週、参加しました。
同時に私は、学内にあった「聖書研究会」(同好会)の
メンバーにもなりました。
その同好会は、ペンテコステ系福音派教会のサポートを
受けていましたが、時々、その教会の伝道師が集会に来て、
ペンテコステ系らしい力強い祈りとメッセージ、
そして聖歌で我々の同好会をリードしてくれましたね。
このように私は、どちらかと言えば
理性的な雰囲気の日本基督教団の教会と
霊的で躍動的なペンテコステ系福音派の教会の
両方の影響を受けながら、
信仰を深めていったのです。
宗教らしいものとは無縁の家庭で育った私でしたが、
いざその世界に飛び込んでみると、
そこには神がいて、キリストがいて天国があり、
永遠の命が約束されているという、
正にアッと驚くような世界が広がっていたのです。
そのような中で私はキリストによる救いを確信するようになり、
高校を出て社会人になった年のイースター
(キリストの復活日。1962年4月2日)に、
教会で洗礼を受けました。
その後、しばらくして私の心には、
この救われた喜びをもっと多くの人に伝えたい
という思いが湧いてきました。
そこで牧師に
「私も牧師になれないでしょうか」
と相談にいったのです。
すると、牧師から
「誰でも牧師になれるわけではない。
神から“牧師になりなさい”という
はっきりとした召命が必要だ。
その声があるまで待ちなさい」
と言われてしまいました。
そんなわけで、私は神からの “声”を
待ちながら歩む身となったのです。
慕わしきわが主、わが父母
真の父母様との思い出
「深い心情で愛してくださる方」(前編)
世界家庭8月号より
真の父母様との思い出
「深い心情で愛してくださる方」(前編)
世界家庭8月号より
☆
再編集 文責:ten1ko2
梅本先生は、クリスチャン出身だったのですね。
777双の先輩たちは、
クリスチャン出身の方も多かったそうです。
再臨のメシヤが降臨していて、
しかもその方が、韓国人であるという、
キリスト教の教えとは、相容れないことを受け入れる、
というのは、相当の葛藤があったことでしょう。
梅本先生もおそらく乗り越えてこられたのだろうと思います。
続編に期待します。
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