いわれなき誤解、無理解、
ひいては、差別や迫害を受ける時、
寂しく、悔しく、理不尽な思いを抱える時、
前向きに越えるためにはどうしたらいいでしょうか。
金元弼先生のみ言、「愛の減少感」より
今回は、「過去を再現して復帰する」です。
(原理用語など特殊な用語については、下に解説をつけました)
☆
愛の減少感*
「過去を再現して復帰**する」
「過去を再現して復帰**する」
私たちは人類のために、神のためにということで
本当に毎日の闘いをしています。
そういう誓い、そういう決心でもって今日の一日、
あるいは今月、あるいは一年後を迎えるに当たって
反省させられるのは、その決心や誓いが
いつも長続きしないで崩れるということです。
栄光や幸福というのは勝利してから得るもので、
勝利というのは闘いを覚悟してのことなのです。
私たちが世界的な勝利、天宙的な勝利として目指す
その目的地は、我々個人が
堕落以前の自分に帰ることだと思います。
私たちの行き着くところは
堕落をいかに乗り越えるかということです。
そうでなければ、いくら私たちに
いろいろな高い次元の理想があったとしても、
そこには到達しえないということになります。
人類の道は復帰の道です。
復帰は蕩減***という過程を通じなければ成立しないのです。
蕩減というのは、人間が失敗したことが再現されるわけです。
失敗した場面が今の時に再現されて、
その時堕落した主人は「私」に相当します。
だから私が堕落を乗り越えることができたとするならば、
人は違うけれども私によって蕩減されるということになるのです。
失敗したその人が蕩減復帰されるばかりでなく、
自分も蕩減復帰された勝利者となるのですから、
私一人だけでなく、私によって、
私のような人たちが蕩減復帰されていくということです。
私が失敗した場合には、復帰される恵みの中にあるべき人が、
その恵みを失うことになるのです。
私の先祖全部に影響を与え、私によって
これから生まれる子孫にまで影響を及ぼす立場です。
私たちは、六〇〇〇年の間に数多くの先祖が失敗したものを、
全部受け継いでいます。
私が復帰すれば、今まで行き詰まっていた先祖が
蕩減復帰されるのです。
私たちが天宙の中心者だということは、
私が勝利すれば、私によってすべての先祖が
勝利した立場に立っていくことができるということです。
それが先祖の解放、霊界の解放ということです。
私たちが毎日、「勝利します」と誓うのは、
昔、神がアダムとエバを祝福し、
こういうようにしてはいけないと
掟を作ったその掟を守り、
勝利しますと誓ったのと同じことです。
☆
それでは、何が私をして決心を覆す原因となるのでしょうか。
結局は堕落性本性****だということになります。
堕落性本性の中で一番注意しなければならないことは、
神と同じ立場を保ちえなかったということです。
自己中心に行うのではなく神を中心としてしなさいということです。
神を中心とするとはどういうことかと考える時、
必ず天使長のことを話さなければなりません。
天使長は直接神の愛を受けていました。
けれども、人間が造られた後、人間を通じて
神の愛を受けるようになっていました。
そして愛の減少感を感じました。
減少感は感じるようになっていますから、
感じたこと自体は悪ではないのです。
ただどのように処理していくのかが重要であり、
天使長は自己中心にしたから間違ったのです。
☆
愛の減少感を自己中心に感じたということは、
現代の表現にしますと、疎外感を感じたということです。
天使長は疎外感を感じたというのです。
天使長は、私も直接神の前に出たいなあという
うらやましい心から始まって、
それを悪い方向に発展させたのです。
うらやましい心を自分に帰さないで神に帰するならば、
どこを通じてでもいい、人を通じてでも
神の前に出たいということになります。
その方向であればよかったのです。
☆
一番神に近い疎外感というのは、
私もああいうふうになりたいという、
うらやましさの疎外感です。
それはいいのですが、方向を自分に帰すると
寂しいなあという心に変わるのです。
誰に対して寂しいかというと、神に対して寂しいのです。
「神はなぜあの人よりも私をもっと愛してくれないのか」
という自己中心的に寂しく嫌だと思う心が発展していくと、
呪いとなります。
呪うということは関係があるから呪うのであり、
関係がなければ呪いもしないのです。
それが極端に発展していくと、その限界は
「無関係」というところまで疎外感は発展していきます。
天使長のその心は連綿として受け継がれているのですから、
神は復帰しなければならないのです。
復帰するためには蕩減しなければなりません。
その蕩減の過程を通過しなければならないがゆえに、
堕落したその事実を再現させて復帰していくのです。
U 先生の道は我々の伝統
第十一章 愛の減少感
「過去を再現して復帰する」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第十一章 愛の減少感
「過去を再現して復帰する」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
*愛の減少感:人を羨む気持ちや嫉妬心など、人と比較した時などに感ずる思い**復帰、復帰する:堕落していない状態に帰ること。(復帰する際は、蕩減復帰の原則に従って、段階的に原状復帰する。)不信仰な状態から神の愛の懐に戻ること。
***蕩減:人類が犯した罪、全般に対しての穴埋め、清算。
****堕落性本性:神のような真実の愛で愛したり、責任をもてない自己中心的な性質。人類の始まりの時期に堕落が起こったので、すべての人間が生まれながらに、この性質をもっている。
再編集 文責:ten1ko2
「ピンチはチャンス」
今、私たちが受けている試練も、
いつか真実が明らかにされるでしょう。
その時まで、好機を待ちつつ、条件を積んでいる、
つまり、徳積(とくづみ)、貯金をしている
ということなのだと思います。
人類を神様の元に復帰する、
復帰摂理の道を今、歩んでいるのです。
勝利を信じて歩んでいきたいです。
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その際は、リンクを貼っていただくか
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なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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