2023年11月30日

23歳の真の母が、日本の信徒に送った手紙 「慕わしい皆様にお会いできないことが残念です」 《平和の母*御言選集》



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光言社「Blessed Life」より
韓鶴子総裁御言選集を紹介します。
第1回目は、お母様の手紙です。

日本に文鮮明先生が、
真の父母として初めて来られた際、
崔元福先生が携えられ、代読されました。

1 御聖誕日に寄せられた真のお母様の手紙
1965年2月7日
日本・東京、本部教会(南平台町)

*真の父母様の御聖誕日に日本食口に寄せられた、
真のお母様からの手紙


愛する日本の食口の皆様。

皆様、どれほど待ち望んだ
喜びと幸せの時でしょうか。

それぞれが様々なかたちで心に描き、
思慕したことでしょう。

そのお姿に実体で侍(はべ)るという美しい夢。
胸のときめきに浸っている皆様の姿は、
想像するに余りあります。

食口の皆様、一つ残念に思うことがあります。
慕わしい皆様の姿を共に見ることができず、
再び慕うしかないこの身を無念に思います。
皆様も同じことでしょう。

愛する食口の皆様、(お父様に)お会いになった瞬間、
皆様はどのように感じましたか?

ただうれしく、満足に思いましたか?
それとも、少し隔たりを感じたでしょうか?

皆様、あまり急ぎすぎないようにしましょう。
皆様の生命の問題ではありませんか。
心の余裕を持ってください。

そうすれば、心の中から皆様を満足させる
新しい知恵が、皆様の目を開いてくれるでしょう。

後悔のない、侍る生活をしてください。
私よりもさらに精誠に精誠を重ね、
お父様の心情を探し求めてください。

どのようなことを語られたとしても、
皆様を生かすための父母です。

二度と来られない唯一のお方が導かれるとおりに
努力し、持てる力を尽くして、
み旨を果たすために奮闘してください。

勝利の一日、栄光の一日を天と地と、
全人類が享受する日まで、
力強く、勇ましく進みましょう。

大きく手を広げられた、慕わしいお父様の懐に、
みな一緒に抱かれましょう。

願い焦がれた一日です。
その喜びは私たちだけが知っています。

それを万民が共に享受できるよう、
休まず、倒れずに、先頭に立って進みましょう。


(光言社・刊『韓鶴子総裁御言選集 1』
〈2023年5月21日初版発行〉より)

スマホで立ち読み 第29弾!
『韓鶴子総裁御言選集 1』2
真のお母様からの手紙
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=21674
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


おそらく日本食口に対して、
お母様の初めての手紙だったと思います。

お母様は1943年生まれですから、
数えでいうと、この時、23歳です。

失礼かも知れませんが、
23歳の方の手紙とは決して思えませんね。。。

真の母の雰囲気に満ちています。
とても堂々とした手紙だと思います。

独り娘、聖霊の実体であるお母様。
この時は、ここにいた食口も
おそらくそのことを当然知らなかったし、
お母様でなく、お父様の方をみんな向いていました。

それでも、真の母として、
日本の、世界の、まだ見ぬ家族を思って
すでにこの時を過ごしてくださっていたのです。。。

感謝いたします。





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2023年11月29日

「神明という名前なので、総長になることになっていた」 《UTS時代の神体験》



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神明(しんみょう)先生のエッセイ。
今回は、「総長になるまでの試練の10年間」です。


1984年の春に博士号を取得してから半年間の紆余曲折を経て、
辛うじて1985年1月からUTSで、
パートタイムの、しかも助教授ではなく講師として
教鞭を執り始めるようになりました。

そのとき私は、非キリスト教国家である
日本出身の者にとっては
大変な道が待っていると予見したので、
次のように祈りました。

「どうか、これから少なくとも10年間は
どんな試練や苦労があったとしても、
愛と忍耐で全てを受け入れて消化できる人間にならせてください。
その後に何が起こるかは全て神様にお任せしますから」と。

すると、不思議にも、ちょうど10年後の
1994年5月にUTS第2代総長に任命されることとなったのです。


ところが、どんな試練や苦労でも受け入れます
という祈りが聞かれたせいか、
その10年間は正にそのような期間となりました。

例えば、神学の科目を教えると、
なぜ日本人が教えるのかという批判の目で見られたりしました。

また、カイン・アベルの問題などで悩んでいる
学生やスタッフがいると、
直ぐに飛んでいって面倒を見てあげましたが、
点数稼ぎのためにそれをやっているのではないかと
讒訴する人もいました。

(ある人は)私のところにやってきて、
「今後一切、学生の面倒は見ないで欲しい」とさえ言いました。

また、伝道の重要性などを訴えると、
日本出身の教授から出た
傲慢な言葉にすぎないと一蹴されたりもしました。

さらに、私よりも後輩である米国人食口教授が
いろいろな面で優遇されました。


そのような状況を受け入れて耐えながら歩んでいると、
真のお父様がイーストガーデンでの指導者会議のときなどに、
私は(そういう立場ではないので)不在にもかかわらず、
突然「神明」とか「神明はいるか」と何回か言われたそうなのです。

しかし、そのようなことがあると、逆に陰で、
私をUTSから追い出そうとする画策さえなされるようになりました。

幸いにも、そのころには総長が
私を心から信頼するようになっておられたので、
その画策は総長の特権で否定されましたが。


そのような中で、1990年に起きた事件は
忘れることができません。

私が教えることになっていた得意分野の
「三位一体論とキリスト論」
というキリスト教神学の科目が、
直前になって一方的にキャンセルされてしまったのです。

そのきっかけはというと、外部から来ている
年配のカトリック系の哲学教授が、
「ドクター・シンミョウは日本人であるし、
彼の博士号はプロテスタント系神学校からのものにすぎないので
教える資格がない」という一言でした。

それを当時のUTS当局は即座に受け入れてしまうのです。
本来なら、いったん教えることに決まった科目を
キャンセルするには、教授会の適正な手続きを経なければなりません。

さすがの私も傷つき、悔し涙を流しました。

そのときは、日本人であることを少し悲しみましたが、
そのような暗黒の中からでも、
「二千年前のイエス様のように、また現在の真の父母様のように、
怨讐を愛し抱いて、乗り越えていかせてください」
と決意の祈りを捧げました。

すると、彼らを包んであげたいという不思議な愛の思いが湧いてきて、
悔し涙がなくなり、それが愛の涙に変わりました。

そして逆に、日本人であるからこそ、
このように身を低くさせられて、
かえって深い霊的体験ができるようになるという恵みに感謝しました。


いよいよ1994年になって、そのような私は、
UTSの学生として学び始められた、ある真のご子女様の目に留まりました。
そのご子女様は、悪というものへの
私の対処のしかたに感動されたようです。

それをすぐに真の父母様に報告されたのが
一つの大きな原因となって、
その年の5月に突然、私がUTS第2代総長に任命されたのです

(その経緯は「こちら」で紹介しています)

UTSの次期総長は韓国人であると皆が思っていました。
有力な韓国人候補者が二人ほどおられたので、
日本人の私が総長になったことは大きな驚きでした。

しかし、そのころ訪米されていた
統一思想の李相憲先生は、
「これからは、韓国人でなくとも実力があれば、
組織の責任者になれるんだね。おめでとう」
と祝福の言葉を下さいました。

「実力」なんてとんでもない、
私はただ愛と忍耐をもって困難に対処してきただけだ、
というのが私の正直な感想でした。

真のお父様はその後、私に向かって
「神明という名前なので、
 UTSの総長になることになっていた」

とおっしゃいましたが、それ以上は説明されませんでした。


ここで思い出されるのが、
16世紀に宗教改革を起こしたマルチン・ルターのことです。

彼は、自分の体験から、
人間が救われ難いほどに罪深いことを知っていました。

しかし、そのような罪人が人間的な自己主張をするのではなく、
神様の前に自分の全てを捨てたときに、
神様もご自身の全てを自己否定されて、
罪人のレベルまで降りてきて愛してくださる、
とルターは認識するようになったのです。

ここに、罪と恩寵という、一見、
矛盾する二つのものが共存する
ルター独特の神学が成立しました。

私たち日本人も、罪深い民族であると言われて
差別されることがあるかもしれません。

しかし、自己主張するのではなく、
全てを捨てて神様と共に他人を愛したときに、
神様の無限の恩寵が降りてきて、
周りが復興してくるのではないでしょうか。

それが、日本が最終的には神側のエバ国家、
母の国として選ばれるようになった
一つの理由でないかと思います。

信仰エッセー:UTS時代の神体験
神明忠昭
(「世界家庭」より)
(一部割愛させていただきました
文責:ten1ko2)


神明先生、貴重な証しありがとうございました。

日本に住んでいる者としては、
日本人というレッテルで差別されることはないわけで
「鵜の中の蛙」とか、「温室育ち」
という状態なのかもしれません。

逆に、日本にいると、海外から日本に来た人たちの、
文化・習慣や考え方の違いを理解できず、
疎外してしまっていることがあるかもしれません。

国の外に出て初めてわかることもあるでしょう。
海外で歩む方たちは本当に大変だろうな、と思います。

しかし、私たちの一挙手一投足が
過去の歴史の蕩減復帰の道であることを思うと、
海外での歩みがどれほど貴いでしょうか。

若いころ、自分が本当に幼く、罪深いと考え、
「試練を感謝して受けるので、与えてください」
と祈った時がありました。

その期間は本当に苦しいことが多かったのですが、
乗り越えていく中で、一つの壁を突破したように、
心情的な飛躍を実感したことがありました。

やはり、試練のあとは恵みがくることは、
間違いありません。

神明先生のように、
目の前の人をただ愛することに
投入していく
そういうことが貴重だと思うのです。



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2023年11月28日

誰にも心をシェアできない! 神に祈るしかなかったイエス 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のお話しの続き、
「地上で情を授受できなかったイエス様」です。

地上で情を授受できなかったイエス様

イエス様は、母親とも
和睦できなかったと知ることができます。

ルカによる福音書第二章を見るならば、
全家族がエルサレムへ行って帰ってくるとき、
イエス様だけあとに残って祭司長たちといて、
父母が終日捜した末にやっと出会ったではありませんか? 

その時のイエス様の言葉を見てみましょう。

「どうしてお捜しになったのですか。
わたしが自分の父の家にいるはずのことを、
ご存じなかったのですか」と返答されました。

「終日、私を捜して苦労されました」という
内容は一言も言わず、冷たくあしらったのを見れば、
この日までイエス様が家族に対して
気をくさらしていたということがよく分かります。


イエス様には、授受する人がいませんでした。
教会にもいませんでした。

聖書の討論をしても、年が幼いと見ると、
祭司長たちが律法をもってイエス様を
引きずり降ろそうとしました。

イエス様は天の事情を知っておられ、
み言の実体として自由な方であられるのに、
しきりに自分たちと同じ人間として
限定させようとしますから、
イエス様と教会指導者たちとは通じませんでした。

ですから、イエス様は寂しく、重苦しかったのです。
そのためかどうかは分かりませんが、
イエス様は、ナザレの向かい側にある
タボル山にしょっちゅう行って
お休みになられたといいます。

この地上でだれとも授受できないやるせなさ、
そのやるせなさをどのようにしても
解決することができませんから、
天に向かって嘆息なさるしかありませんでした。


今日、私たちもやるせなくなれば、伏して祈るのです。

地上でやるせない心をだれとも
相談することができなければ、
神と相談することができる道を
開拓しようとするように、
イエス様も地上で人と授受できませんから、
神と授受するために霊界を開拓なさったのです。

実際は、これが危険なのです。

皆さんが教会長や家の中でだれとも
通じることができなくなると、
寂しいですから静かに座って
祈祷だけするようになるでしょう? 

そのようにして霊界への門が
開かれるようになれば、これに神経が奪われます。
これが危険なのです。

地上で情的な基盤がないままに
天と通じるようになるならば、
その人は地上で肉身をもっていますが、
自分に協助する霊と授受して
なじむようになりますから、
この地上の人々とはますます情が通じなくなります。

結局、見えない世界となじんでいくと、
肉身を脱いだ人と同じ立場に入っていくのです。

しかし、肉身をもっている目的は、
背後の世界と関係を結ぶところにあるのではなく、
地上で他の人たちと情を通わせて
神を引っ張り降ろして侍るところにあるのです。

諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教 
1977年10月2日 韓国中央修練所

信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏  
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰

U 復帰摂理の恨
イエス様の内的生活
「地上で情を授受できなかったイエス様」

再編集 文責:ten1ko2


イエス様が孤独で寂しい方だった・・
このことを一番実感されたのは、
真の父母様でした。

777双の増田先生の有名な証しがあります。
ある集会で、一人の食口が
「イエス様はどういうかたでしたか?」
と質問をされたそうです。

そのとき、真のお父様は一瞬、天井を見られてから、
すぐに下を向かれました。

そのとき、答えはどのように発せられるのかと、
会場はシーンとなりました。

ボタボタと、水滴の落下する音がしました。
その後、再び真のお父様が真正面を向かれたとき、
それが、お父様の涙が床に落ちた音だと知ったのです。

そして、静かに語られました。
「あの男は、かわいそうな男だったよ」

この証しを読むだけで、
イエス様がいかに孤独だったか、
また、お父様がイエス様をどれほど愛し、
その心情を理解しておられたのか
感じられると思います。。。





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posted by ten1ko2 at 09:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする