2023年11月12日

(証し)神様は、父と母、「天のお母様」と呼んでみると・・・ 《史吉子先生》



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神様は、父と母である──

家庭連合では、神様のことを
「天の父母様」と呼びます。

史吉子(サ キルジャ)先生のみ言より、
「天のお父様」だけでなく、
「天のお母様」を求めてくださいという
とても貴重な証しです。

私たちが知るべき天のお母様

私たちが一つ知らなければならないことは、
神様には天のお父様だけではなく、
天のお母様もいらっしゃることです。

大邱へ行くと、李月光(イウォルグァン)勧士がおられます。
その方は普段から、神様と一問一答する神霊的な方でした。

その方が初めて天のお母様を発見されましたが、
その方は既成教会に通っている時から
按手の能力がありました。

神様はその方に恩恵をくださろうとして、
山や野に呼び出して精誠を立てさせたそうです。

そうして優秀な神霊者になって、
人々に按手祈祷をたくさんしてあげましたが、
統一教会に入教した後、原理を聞いてからは、
できるだけそのようなことをしないようにしたそうです。

それなのに、しきりに患者が尋ねて来るので、
仕方なく按手祈祷をしてあげるしかなかったのですが、
病気を治してあげると、 自分が蕩減を受けるそうです。


それで按手祈祷をするのが嫌で、ある時は教区長と
按手祈祷集会を開くことを約束したにもかかわらず、
その集会場へ行かなかったそうです。

すると、神様が腹を立てて去って行かれたそうです。
神様が去ってからは、どこか深い所に落ちたのか、
上に上がるのか下がるのか、前後を全然見分けることができず、
まっ暗な所に閉じ込められたようであったそうです。

それでびっくりして、「神様!神様!」と言いながら、
喉が裂ける程に叫んだそうです。
それでも、何の回答も無かったそうです。


その瞬間に、「そうだ!
天のお母様がいらっしゃる!」と言う考えが浮んで、
「天のお母様!!天のお母様!」と言いながら、
ありったけの声を出して天のお母様を呼んだそうです。

普段は天のお父様が、「おお、愛する私の娘よ」
と言いながら男性の声で話されるのに、
今回は「どうしたの〜?」
と柔らかい母親の声で話されたそうです。

それでその勧士が、
「天のお母様!私を助けてください。
天のお父様が私を捨てられましたが、
どうすれば良いですか?」と哀願したそうです。

天のお母様が、「それでは待っていなさい。
私がお父様にお訊きして来るから」
と言われたそうです。

そして暫くしてから現れて、
「あなたは、どうして約束したことを守らなかったの?
一日に12回以上もあなたが心変わりをしたから、
天のお父様がとても怒られたのよ」と言われたそうです。

その話を聞いてこの勧士は、
「天のお母様! 今回、一度だけ許してください。
二度とそのように致しません」とお詫びしたそうです。

すると、「そう??それではまた行って
お訊きして来るから」 と言って行かれましたが、
また来られて、
「天のお父様は到底許すことができないが、
天のお母様が頼むので、今回一度だけは許してあげる」
と言われたそうです。


このように、天のお母様が
天のお父様の側に一緒にいらっしゃるのですが、
人間は天のお父様だけを探し求めて、
誰も天のお母様を探し求めませんでした。

それなのに、「あなたは、私をどのように探したの?」
と言われながら、 「ありがとう」 と言われたそうです。

ところで、天のお母様の声をじっと聞いていたら、
その声が真のお母様の声だったと言われました。


この話を聞いた後、私も祈る度に天のお父様を呼びながら、
「天のお母様」と一緒に呼びましたが、
私が先にお話しした啓示 (イーストガーデン聖地での啓示)を
くださった方は、天のお母様みたいでした。

なぜならば、私が母性愛を感じたからです。

すなわち、天のお父様だけを呼ぶ時よりも、
天のお母様を一緒に呼んでみると、
完璧で均衡の取れた、誠に心強い神様がいらっしゃるようでした。

私が皆さんに天のお母様を探し出してあげたので、
これからは祈る時に、そのように呼んでみてください。

私は天のお父様だけを呼ぶ時よりも、
天のお母様を一緒に呼ぶと、
どんなに胸が暖かくなるかわかりません。

天のお母様が、
「どうして私を知って呼ぶの? ありがとう」
とおっしゃったと言われたではないですか?

こんなにも柔らかくて、優しい
天のお母様がいらっしゃるということを、
皆さんが知ったら良いと思います。

史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
巡伝団(大学卒業生の巡回伝道団)原理講師要請修練会1996年、
40日祝福家庭婦人修練会(天宙清平修錬苑)2005年〜
これらの特別講義の内容を整理したもの

再編集 文責:ten1ko2


最近は天心苑祈祷の際、
韓国語で、お父様、お母様と何度も呼びかけますが、
そうすることによって、天に通じます。

一度も涙の祈祷をしたことがなかった人も、
知らないうちに涙が出たと証ししていました。

それは、もしかしたら、天のお父様だけでなく
お母様に呼びかけるからかもしれません。

真のお母様より、神様を
「天の父母様」と呼称するようになったのは、
真のお父様の聖和の後のことです。

このみ言が語られたのは、2000年前後ですが、
すでにこの時から史吉子先生は、
「天のお母様」というお話をしておられたのですね。

この勧士ニムの証しによると、
神様は、天のお父様と天のお母様、
二つの人格があるのですね。

といっても、男性神と女性神という独立したものではなく、
父母であり、親である、
二人で一つの存在だといいます。

改めて、神様は天の父母である、
そういう意識をもって、神様に向かい合いたい・・・
そのように思うのです。





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2023年11月11日

私たちが機関車になれるか… 家庭連合に人が連なる理由  《喜びと幸せの生活伝道》



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篠崎先生の「喜びと幸せの生活伝道」
今回は、『真のアベル』です。


聖書にヤコブの話があります。

『原理講論』ではヤコブは
サタン屈伏の典型路程を
最初に勝利した人物として紹介されています。

ヤコブは、
@パンとレンズ豆のあつもので兄エサウから長子の嗣業(しぎょう)を奪い、
A21年のハラン苦役で家庭と財物を成し、
Bヤボク川で天使との組み打ちに勝利し、
天使に対する主管性を復帰することによって、
「イスラエル」(勝利者、神の戦士)という称号を得ました。
そして、
Cエサウを感動させ、自然屈伏させて勝利したのです。


そのヤコブ路程は象徴的、モーセ路程は形象的、
イエス路程は実体的なサタン屈伏路程であったと説かれています。

旧約聖書のアモス書3章7節に、
「まことに主なる神はそのしもべである預言者に
その隠れた事を示さないでは、何事をもなされない」とあります。

神様はヤコブ、モーセの生涯を通して、
イエス様が歩むべき道を示してくださったのです。

真のお父様も、ヤコブ、モーセ、
イエス様から学び、生涯を歩まれたのです。


真のお父様は、自叙伝『平和を愛する世界人として』
について、次のように語られています。

「私はこの本を通して、
人類のための天のみ旨がどこにあり、
子女である私たち人間が歩むべき道が
どこにあるかを詳しく示しています。

また、天命に従って90年の生涯を歩んできた私の人生を
加減なく収めたこの真の愛の記録を
もう一度精読され、
大いなる悟りを得てくださることを願います」

(「天地人真の父母定着実体み言〈ことば〉宣布天宙大会」から)

自叙伝は、子女である私たちが歩むべき
公式路程を詳しく示しているのです。

私を、真のアベルの本流、すなわちヤコブ、モーセ、
イエス様、真のお父様と続く流れの上に置いてこそ、
神氏族メシヤの勝利の道が見えてくるのです。


祝福家庭がアベルとして責任分担を果たすことが
強調される時ですが、
アベル・カインの復帰の原則は変わりありません。

私たちはアベルであると同時にカインでもあります。
カインとしてアベルの主管を受けて共に
神の元に復帰されていくのです。

 
機関車を例に考えてみましょう。

1台の機関車が一度に多くの貨車を牽引(けんいん)することができますが、
それは連結部に秘密があります。
連結部に隙間が空いているのです。

発車する瞬間は、先頭の1台だけが動きます。
次に、先頭の機関車の力が連結部で2台目に伝えられ、
引っ張られて動き出します。
さらに、動き出した先頭の2台の力が3台目を引っ張ります。

このようにして、わずかな時間差で
次々と後続の車両に力が伝わっていき、
すべての貨車が引っ張られていくようになるのです。

もし貨車の連結部に隙間がなければ、
一度に全体を動かさなければならないことになり、
重くてとても動かすことができません。


この先行する車輌(しゃりょう)と後続の車輌の関係こそ、
アベル・カインの原則です。

アベルはカインを連れてきてこそ
神の前に帰ることができるのであり、
カインはアベルを通してこそ神に帰ることができるのです。

これが、神様が人類の最後の一人にまで手を差し伸べ、
救うための復帰の原則なのです。

私たちは、カイン圏を救うために、
神氏族メシヤとして先に導かれた
アベルであり、氏族の父母なのです。

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)

第四章 伝道のポイント
一、神様の理想を目指して
(一)真のアベルと神氏族メシヤ
真のアベル

氏族伝道講座
喜びと幸せの生活伝道〜み言の原点に立ち返る(25)
(blessed lifeより)


車両の例え話、なるほどな、と思いました。
一度にすべての貨車を引っ張るのではなく、
一両ごと、連結部分を通して引っ張られていく・・・

アベルとして、
しっかりと自分の役目を果たすこと。
カインを神に繋げつつも、
後は、自分が機関車として、
日々ひたすら力を出して走ること
それが自分の責任なのだ、と感じました。





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2023年11月10日

もしかして子女をゴミのように扱っていた?! 祝福から逆算、乳幼児期からの育て方 《蝶野部長過去ログ1》



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本部蝶野部長が、広島の教育部長をしておられた時、
乳幼児を持つ父母にも講義をされておられます。
中和新聞に掲載された内容を紹介します。



〈祝福から逆算して見えた乳幼児期の過ごし方〉


私は現場で、「子女教育の情報が多過ぎて、
何から手をつけたらよいか分からない」
「学ぶことが多くて、実践する力が湧かない」
という声を父母たちからよく聞きました。

中には、「教会の子女教育は理想論だ」と、
教会から発信される情報に対して
客観的になっている場合もあります。

そして、最初から一般的な価値観に基づく理論で
子女教育を進めようとするのです。

一般で行われている子供の能力を引き出す
教育や習い事は、知識を深め、
自信をもたせるうえで良いことだと思います。

ただ、どんなに優秀な子供であっても、
宗教的な価値観や感性、情操面を意識して育てなければ、
子女自身が現実的な面にばかり価値を置く子になってしまいます。

そうなると、祝福適齢期になって
難しい問題が生じるのです。


祝福は、結婚することがゴールではなく、
祝福家庭として出発し、自らが信仰生活をして、
神様が願われる家庭を築いていくことが前提となります。

宗教的な価値観や感性が育まれていなければ、
たとえ、祝福を受けて家庭を出発したとしても、
「信仰が重要だ」とは思えません。

そのような背景から、
「乳幼児期に何をしたらよいのか、何が重要なのか」
というテーマについて、祝福から逆算して考えてみました。

すると、これまでの発想とは全く違う観点から、
乳幼児期の過ごし方のポイントが見えてきたのです。


家庭をもったばかりの夫婦や乳幼児を持つ
若い夫婦が大切にすべきポイントは、
「家がきれい」
「喜びの中で訓読や敬拝をする」
「夫婦が侍り合う」の3つです。

これらの内容を実践できていないことが、
子供が信仰的に難しくなる家庭にほぼ共通することでもあるのです。

このポイントを習慣化すれば、あれこれ言わなくても、
ほとんどの子供は自ら信仰生活を行うようになり、
祝福に向かうことが分かってきました。

これは家庭教育の核≠フようなものなので、
祝福家庭として三世、四世へと家系が続く鉄則≠ニ言えます。

また、子供が成長しても変わることのない
親としての姿勢でもあります。




〈親が家をきれいにする習慣を身につける〉

当たり前ですが、「家がきれい」なことが大切です。
単に衛生的というだけではなく、
「神様をお迎えするため」という意識が重要です。
このことが、親自身≠フ中で習慣化されているかがポイントです。

部屋の美化は、親自身の心の整理に通じます。
心を清くして神様をお迎えするように、家をきれいにすることで、
神様を愛し、夫婦で愛を育み、子女を愛する環境をつくるのです。


「家がきれい」なことが乳幼児教育と
何の関係があるのか疑問に思う人がいるかもしれませんが、
親がつくる環境は、子供に対する扱い≠反映しています。

「家を汚くしている」ということは、
「あなたは神の子よ。でも、こういう汚い環境で暮らしなさい」
と言っているようなものです。

雑然とした家で育った子供は、
「自分をごみのように扱っている」と霊的に感じるのです。
お母さんがいつも掃除をし、きれいにしていると、
部屋にいるだけで親の愛を感じます。

手作り弁当に感じる愛と同じです。
心を込めて作った弁当を食べる子供は、
親の愛を味わっているのです。

親が一生懸命「愛の言葉かけ」をしても、
ごみの中で育てられた子供は、どう思うでしょうか? 
それが盲点でした。
子供が小さいときから、親自身が家をきれいにする
習慣を身につける努力が必要だったのです。

中和新聞


乳幼児に必要な内容というと、子供が大きくなってしまって
思春期の難しい年ごろや、まさに祝福に向かっていく年齢となると、
もう手遅れだということでは、全くないと思うのです。
貴重なことを教えて頂いた今から、取り組んでいきたいですね。

子育ても、真の家庭づくりも、氏族メシヤも、
まず始めることが重要かと思います。
ここから再スタート、そしてあきらめずに
継続していくことが最も大切でしょう。

「家がきれい」「喜びの中で訓読や敬拝をする」「夫婦が侍り合う」
今回はこの三つの中で、最初の二つを挙げてくださいました。

乳幼児ならずも、祝福に向かう子供を持つ父母には、
なくてはならない必須要件なのではと思いました。

子供は本当に親を見ています。
見ているというか、感じているというか。

私たちの波動をそのまま受け取るのが子供です。
より良い波動を子供たちに与えられるように、
何よりも意識しなければならないのが、
この3項目なのではないか、と思いました。



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