2023年11月09日

対人関係にトラウマ、笑顔を忘れた私が──「自己牧会プログラム」で人生の大転換



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自己牧会プログラムの証し。
今回は、「嫌で仕方なかった自己牧会プログラム」です。

(女性 40代)

私はみ言を聞いてから14年の間、
ずっと天の父母様を遠くに感じていました。

人間関係で傷ついた過去があり、
人と会うのが恐くて伝道活動はできない、
皆と会うのは苦しくて嫌、
誰とも話したくないと思っていました。

いつしか私は笑わなくなり、もう教会を
やめさせてほしいと思うこともありました。
それでも教会を離れることができなかったのは、
「罰が当たる」という思いからでした。

そんな私の心のよりどころは、楽しいこと、うれしいことを
考えながら、空想や妄想の世界に浸ることでした。

教会のスタッフからは、「空想や妄想の世界に入り込まず、
今を生きてほしい」と指導されるのですが、
これをなくしては、本当の自分ではなくなってしまうと、
かたくなに拒んでいました。


2017年、教会で「自己牧会プログラム」の
取り組みが始まりましたが、
私はそれが嫌で仕方ありませんでした。

なぜなら、自分自身と向き合わなければならないからです。
私の中でふたをしてくぎを打ち、コンクリートで固めて
奥に押し込めた思いを開けることが苦しかったのです。

「私には良心がない。良心がないのでやってもムダ」
ということを証明しようと、携帯電話やパソコンで
オンラインの心理テストを受けるのですが、
どのテストも「異常なし、あなたは正常」という診断でした。


やがて、婦人部の皆が「自己牧会プログラム」を通して
美しく輝くようになりました。

それがまぶしくて、「ここにいられない」と思いました。
しかしその一方で、うらやましいとも感じたのです。

それで、義務感・使命感からではありましたが、
私も「自己牧会プログラム」のワーク(祈り)に取り組むようになりました。


初めて「私心をなくす」ワークを教えていただき、
導きに従ってワークをしていた時のことです。

「椅子に座って礼拝を聞いている私も、本当の自分とは
何の関係もありません」という導きの言葉に、
「え? ここにいる私は何?」と驚きました。

アニメで、ロボットが壊れてシュルシュルシュルと
煙を出しているみたいに、私の頭も煙を出し、
「思考停止」「思考停止」と言っていました。

その後、2回目のワークで、自分の頭を占領していた思考が
ドサーッと一気に落ちたのを感じました。
分厚い壁が崩れ、心がすっきりしました。


それからは、婦人部の皆と会いたい、教会に行きたい、
皆は魂の家族だと心の底から思えるようになったのです。
婦人部の皆からは、「笑顔が戻ったね」と言われました。

ワークを実践し続けると、良心が発動しやすくなると感じます。
良心との対話が根づくと、落ち込まなくなりました。

自分の思いどおりにしようと、
あれこれと手段や方法を考えることもなくなり、
思考のぐるぐるにはまらなくなりました。

そして、あんなに恐がっていた伝道活動にも挑戦するようになりました。
親孝行したい、伝道できることがうれしい、楽しい
というふうに気持ちが変化したのです。

結果も委ねることができ、「なるようになる」と、
いい意味で開き直ることができています。

「自己牧会プログラム」に出合って、すごく救われました。
人生の大転換です。
私は今、幸福です。

私の心の中にいる神様 20
嫌で仕方なかった自己牧会プログラム
再編集 文責:ten1ko2


自分の心と向き合いたくない。。。
人間関係でトラウマとなるようなことがあれば、
それが傷となって
心を開きたくないと思ってしまうでしょう。

そのように鉄壁の守りがあると、
神様(天の父母様)が良心に
語りかける隙間もありません。

でも、日差しが注がれるように、
雨が注がれるように、
どんな人にも神様の愛は
注がれているのだと思います。

向き合うことが嫌だったとしても、
まずは、取り組んでみることを通して、
自分の本心の扉が開くきっかけが与えられ、
導かれていくのだと、この証しが教えてくれています。

私たちの心が堕落性で凝り固まっていても、
私たちを見つめてくださり、
常に働きかけてくださっている神様。

日々の生活において、あまりにも忙しい時、
「忙しい」という言葉自体、心を亡くすと書くように
自分の本心を見失いがちですが、
本当にそういう時こそ、
良心との対話をしていかなければ、と思うのです。




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2023年11月08日

15年前のヘリコプター事故の奇跡 孝進様と天使が機体を支えていた! 《年間ベスト光言社編集者ブログ》





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光言社のスタッフが交代でブログを
書いていらっしゃいます。
「光言社編集者ブログ」

その中で、一年間で一番人気のあった
ブログを紹介します。
タイトルは、
「ヘリコプターを支えていた孝進様と天使」です。


2008年7月19日、真の父母様を乗せたヘリコプターが
韓国・清平の山中に不時着するという事故が起き、
世界中の統一家に激震が走りました。

その日は土曜日で、私は翌日の日曜礼拝で
事故の報を知ったと記憶しています。

その4か月前の3月17日に、文孝進様が
45歳の若さで聖和されたばかりでしたから、
打ち続く災難に大きな衝撃を受けました。

真の父母様はご無事だったらしいということで
安堵したものの、情報も少なく、
しばらく心配しながら過ごしたことを思い出します。


事故から6日後の7月25日、文善進様が
天正宮博物館の訓読会の場で、次のような証しをされました。

「神様がお父様を保護してくださり、そして、
霊界に行かれた孝進兄さんが…守ってくださったことを
実感しました。

同乗していた多くのメンバーが、ヘリコプターが
落ちる前に孝進様を見たと証言しています」

(『ファミリー』2008年10月号)

ヘリコプター事故は、通常、助からないと言われています。
にもかかわらず、奇跡的に
16人の搭乗者全員が無事だったのです。

霊界に行かれた孝進様が必死で守って
おられたに違いありません。

ところで、この事故を清平湖から目撃していた人が
いたのをご存じでしょうか。
TWJ(現・『世界家庭』)2012年4月号に、
その証しが掲載されています。少しご紹介します。


証しをしたのは、クリスチャンであり、当時、
社団法人韓国映画プロデューサー協会理事長だった
金英灝(キム・ヨンホ)監督です。

金監督は、清平湖で友人と一緒に
釣りをしていたときに事故を目撃したのです。

金監督はこのように証言しています。

「(ヘリコプターの音がするので)そちらを見てみると、
天使と、児童たちがクレヨンの色を塗ったような虹が現れたのです。
驚きました。

虹の色が鮮明で、ハスの花のような雲が……。
仏教の絵で見る、ハスの花のようなものがあるではないですか? 
お釈迦さまを載せている花です。

そのような雲がヘリコプターをしっかり支えているのです。
天使のような人々が翼を広げて、ついて行きます。
私が見た限りでは、天使の数は50から60にはなりました」


この不思議な光景を目にした金監督は、
やむにやまれず、いろいろな場で、
「文鮮明総裁の一行16人が助かった理由がわかるか? 
天使が手助けし、神様が手助けして……」
と証しをしました。

その結果、金監督は、キリスト教界はもとより、
映画界からもバッシングを受けるようになったのです。

横領の罪を着せられそうになったり、
インターネットでたたかれたり……。
甚だしくは、自宅の門に
包丁が突き刺さっていたこともあったそうです。

そのような迫害を越えて金監督は、家庭連合の門をたたきます。
やがて、ヘリコプターの事故現場で
訓読の精誠を捧げるようになり、
真のお父様にも覚えていただいたのです。


後年、ヘリコプター事故について、
教理研究院の太田朝久院長は、次のように解説しています。
 
「2008年に『七・八禧年』を宣布された真の父母様は、
神様の復帰摂理を結実させるため、公式的に韓国に帰られました。

韓国キリスト教界は、アメリカで再臨主としての
勝利圏を打ち立てられた文鮮明先生を受け入れて、
一体化すべきでした。

そうすれば2008年は「南北統一」を実現する機運が
一気に高まったはずでした。……

ところが、韓国キリスト教界は文先生を受け入れず、
統一食口も天の願いに呼応できませんでした。

そのため再臨主の生命は危険にさらされ、
同年7月19日にヘリコプター事故が起こってしまったのです。

しかし、イエス様と違い、文先生は真の母を復帰され、
メシヤとして三代圏を確立しておられたために
『実体復活』を成し遂げられたのです」

(TWJ2014年2月号「ゴッディズム・ポイント講座」)
2008年8月3日、天正宮博物館


この解説を読んで、天の父母様がどうして、
食口ではないクリスチャンに、このような
奇跡を目撃させたのかが分かるような気がしました。

あの事故から間もなく15年──。
天の父母様が見せてくださった奇跡を
いま一度思い起こしつつ、
神統一韓国を祈る一日にしたいと思います。

祝福家庭 編集部員のブログ
2023年06月29日
ヘリコプターを支えていた孝進様と天使
https://www.kogensha.jp/editor_blog/detail.php?id=4587
(光言社サイト)
再編集 文責:ten1ko2


ヘリコプター事故、もう一昔前の出来事ですが、
とても強烈な出来事だったので、
覚えている方も多いかと思います。

記事にあるように、
ヘリコプターが墜落したら、
普通は乗客は助かることができません。

横向きに地面にたたきつけられたのに、上側の扉が開きました。
その全員がほとんど怪我もせず、
開いた扉から迅速に飛び出したのです。

全員が脱出した直後、ヘリコプターは燃料に引火して大爆発。
機体は燃え崩れて、バラバラの残骸と化しました。

この奇跡的な出来事が起きる前に、
霊界からの助けがあったのですが、
それを食口ではなく、一般の人が
(霊的に)目撃していたという事実。。。

危機的状況の時に、
天は必要な人を準備されておられるのです。

以前聞いた子女様の証しだったと思うのですが、
孝進様と興進様、聖和された子女様たちが
四位基台を作り、奇跡的に助けることができたと聞きました。

同乗した食口が自分の命の危険があるのに、
お父様、お母様、そしてお孫様たちを
順に名前を呼びながら
救出された様子を見ていた
操縦士と、副操縦士が感銘を受け、
教会に来るようになったというお話も聞きました。

状況は全く異なりますが、
今の日本の状況も危機的であります。
天が義人を与えてくださっております。
さらに広がることを祈らざるを得ません。




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2023年11月07日

(証し)自分の部屋で静かに「天のお父様」と言ってみると・・・! 《梅本夫妻》



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梅本先生の証しに続き、
奥様の、家庭連合(統一教会)に
行き始めた頃のお話しです。

磁石のように「原理」のみ言に引き寄せられる

勝子さん 私は栃木県真岡市出身で、
7人兄弟の5番目の四女として生まれました。

高校卒業後は、東京にあるミッションスクールの
女子短期大学に進みました。
必須科目としてキリスト教を学びましたが、
私にはさっぱり分かりませんでした。

それで授業中は、いつもこっそり新約聖書を読んでいて、
聖書の言葉やイエス様の生きざまに感動していたのですが、
その時は、それ以上深くキリスト教と関わる事はありませんでした。
 
卒業後、神道系の大学内にあった日本文化研究所に就職しました。


そんな或る日、学内の職員食堂で昼食を食べていると、
向かい側に座った女性が私に何故か、
「教会に行ったことがありますか?」
といきなり声をかけて来たのです。

私は思わず「あります」と答えると、
そこから話がはずみ、教会に行く約束をしたのです。
それが、1966年3月下旬頃のことです。

職場と統一教会(松涛本部の講義室)が同じ渋谷にあったため、
仕事の帰りに寄ることになりました。

教会と言うので行ってみると、十字架もなく、3階建ての古い建物で、
とても教会には見えませんでした。
 
それでも、年取った牧師が出て来られて、
聖書の話をしてくれるのかなと思っていたのですが、
なんと若い青年が出てきて、いきなり序論(総序)や
創造原理を講義するのです。 

その青年の生き生きと確信を持って語る姿に驚きました。
なぜこんなにも堂々と力強く情熱的に語ることが出来るのだろうか、
その内容をもっと深く知りたいという思いが、
私の中に込み上げて来たのです。


それから毎日、霊的磁石に引きつけられるように、
教会に足を運びました。
 
特に講義の中で、「存在する究極的な原因を
神″と呼ぶのです。」
「神″は絶対的存在としておられるのです。」
と言われたのを聞いて、
何故かとてもうれしかったのを覚えています。

それまで私は、この世には“絶対なるものは
存在しない”のではと思っていたからです。


また、私は講義の最後に講師が祈る祈りを聞いて、
自分も祈ってみたいと思っていました。

ある夜、自分の部屋で目を閉じて、
恐る恐る静かに「天のお父様!」と言ってみたのです。

するとその途端、涙がだーっと溢れ出てきたのです。
「ああ、神様は天のお父様≠ニ呼んでくれるのを
長い間待っておられたのだな」
と感じ、また涙があふれ、止めることが出来ませんでした。
 

このような聖霊体験をしてから、
聖書を読むたびに涙がポロポロと流れるようになり、
また、道端の花を見るとニコニコ笑いかけているように見えたりして、
暫く霊眼が開かれたような状態が続きました。

その後、1966年7月の特別修練会(第33期)に参加し、
8月には職場を辞めて、9月1日付けで、
鹿児島教会に伝道師として赴任しました。
23歳のときでした。

慕わしきわが主、わが父母
真の父母様との思い出
「深い心情で愛してくださる方」(後編)
世界家庭8月号より
再編集 文責:ten1ko2


梅本夫人は、とても純粋で
聖い心情を持たれているなぁ、と感じました。

生まれて初めて、神様に祈りを捧げる・・・
神様からすると、どれだけ嬉しいかしれません。

神様ご自身が何よりも、聖くて、
純粋なお方であるのだな、と思います。

家庭連合のメンバーは誰もが、
その心情が貴いものであることを知っていますし、
そのことが一番の誇りであると感じます。。。


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