光言社刊「真のお母様、感謝します」より
ドミニカ共和国国家メシヤ、河野貞子さん(777双)の
『凛として立ってくださるお母様に感謝』です。
☆
1973年11月に渡米し、国際統一十字軍(伝道団)や
巡回師の一員として、アメリカのあちらこちらで歩んでいました。
当時、全米をくまなく巡回していらっしゃった
真の父母様にお会いし、侍る機会が幾度かありました。
1980年初夏、北西地区の巡回を担当していた時、
父母様がシアトル教会を訪問され ました。
真のお父様がサーモンフィッシングに出掛けられた後、
真のお母様が台所に入ってこられて、
冷蔵庫の中を見ながら献立を一緒に考えてくださいました。
また、ベッドメイキングの仕方なども教えてくださいました。
その後、アラスカに行くご予定があったため、
防寒用のコートや靴などの買い物に行かれることになり、
私もご一緒させていただきました。
「譽進を出産して以来、とても体が冷えるようになったのよ」
と何げなく語られるのをお聞きしながら、
「ああ、これから寒いアラスカに行かれるのだ」と、
お母様のご苦労にとても胸が痛んだことを覚えています。
この時お母様は、出産を間近に控えていたシアトル在住の
中田ヨシ子さん(777双) と私のために、
マタニティードレスを選んで買ってくださいました。
また買い物をしながら、
いろいろなお話をしてくださいました。
印象深かったのは、当時2歳になられたばかりの榮進様(1999年聖和)が
「もうアルファベットを全部読むことができるのよ」
とうれしそうに話されていたことでした。
☆
1988年11月、第17回「科学の統一に関する国際会議」が
ロサンゼルスで開催された折には、
その頃私が歩んでいたロサンゼルス教会に父母様をお迎えしました。
翌朝、 お父様がリーダーたちと共に先に出発された後、
残ったお母様は、その時教会にいた
すべての兄弟姉妹を朝食の席に招かれました。
お母様はその場で、一人の兄弟を、ふとご覧になり、
「あなたはとても歌が上手で、父母様の前で歌ったことがありますね。
この時代に父母様に記憶されているということは、
砂浜で一粒の砂を捜すより難しい、奇跡のような貴重なことです。
そのことを心に留めて良く生活しなさい」と語り掛けられました。
当時、信仰的に行き詰まっていたその兄弟は、
お母様のお話を聞いて男泣きに泣いていました。
☆
お母様は教会を巡回される際はいつも、
父母様の接待のために多くの人材が割かれるのを好まれず、
教会に残っているメンバーを見ては、
「お父様の願いは伝道することだから、
皆も出掛けなさい」と鼓舞されました。
☆
これまで4人の子女様を亡くされたお母様の
張り裂けるような胸の痛みはいかばかりでしょうか。
同じ女性として、また子供を持つ母親として、
たとえその一端であったとしても察するに余りあるものがあります。
さらに、お父様が聖和されて、その悲しみを癒やす間もなく、
お父様の栄光を顕すため、 命ある限り前進すると決意された
お母様の偉大さを思わずにはいられません。
世界の統一運動の先頭に凛として立ってくださる
お母様に、ただただ感謝するばかりです。
光言社刊「お母様感謝します」より
河野貞子(777双)
凛として立ってくださるお母様に感謝
河野貞子(777双)
凛として立ってくださるお母様に感謝
☆
再編集 文責:ten1ko2
「父母様に記憶されているということは、
砂浜で一粒の砂を捜すより難しい
奇跡のような貴重なこと」
このみ言は、厳しくて苦しい思いになった時ほど、
心に刻み込んでおく必要がありますね。。。
残念ながら、真の父母様に個人的に記憶される
機会はそれほど多くありませんが、
世界のどこでも頑張っている日本の兄弟姉妹たちの
歩み、そしてその思いを知ってくださり
信頼してくださっていることでしょう。
私たちは、どんなに足りなく幼くても、
み旨に立たせていただいていること、
真の父母様を知り生活させて頂いていること、
そのことが何よりも貴重だと思うのです。
※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。
なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。
なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。