2023年11月07日

(証し)自分の部屋で静かに「天のお父様」と言ってみると・・・! 《梅本夫妻》



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梅本先生の証しに続き、
奥様の、家庭連合(統一教会)に
行き始めた頃のお話しです。

磁石のように「原理」のみ言に引き寄せられる

勝子さん 私は栃木県真岡市出身で、
7人兄弟の5番目の四女として生まれました。

高校卒業後は、東京にあるミッションスクールの
女子短期大学に進みました。
必須科目としてキリスト教を学びましたが、
私にはさっぱり分かりませんでした。

それで授業中は、いつもこっそり新約聖書を読んでいて、
聖書の言葉やイエス様の生きざまに感動していたのですが、
その時は、それ以上深くキリスト教と関わる事はありませんでした。
 
卒業後、神道系の大学内にあった日本文化研究所に就職しました。


そんな或る日、学内の職員食堂で昼食を食べていると、
向かい側に座った女性が私に何故か、
「教会に行ったことがありますか?」
といきなり声をかけて来たのです。

私は思わず「あります」と答えると、
そこから話がはずみ、教会に行く約束をしたのです。
それが、1966年3月下旬頃のことです。

職場と統一教会(松涛本部の講義室)が同じ渋谷にあったため、
仕事の帰りに寄ることになりました。

教会と言うので行ってみると、十字架もなく、3階建ての古い建物で、
とても教会には見えませんでした。
 
それでも、年取った牧師が出て来られて、
聖書の話をしてくれるのかなと思っていたのですが、
なんと若い青年が出てきて、いきなり序論(総序)や
創造原理を講義するのです。 

その青年の生き生きと確信を持って語る姿に驚きました。
なぜこんなにも堂々と力強く情熱的に語ることが出来るのだろうか、
その内容をもっと深く知りたいという思いが、
私の中に込み上げて来たのです。


それから毎日、霊的磁石に引きつけられるように、
教会に足を運びました。
 
特に講義の中で、「存在する究極的な原因を
神″と呼ぶのです。」
「神″は絶対的存在としておられるのです。」
と言われたのを聞いて、
何故かとてもうれしかったのを覚えています。

それまで私は、この世には“絶対なるものは
存在しない”のではと思っていたからです。


また、私は講義の最後に講師が祈る祈りを聞いて、
自分も祈ってみたいと思っていました。

ある夜、自分の部屋で目を閉じて、
恐る恐る静かに「天のお父様!」と言ってみたのです。

するとその途端、涙がだーっと溢れ出てきたのです。
「ああ、神様は天のお父様≠ニ呼んでくれるのを
長い間待っておられたのだな」
と感じ、また涙があふれ、止めることが出来ませんでした。
 

このような聖霊体験をしてから、
聖書を読むたびに涙がポロポロと流れるようになり、
また、道端の花を見るとニコニコ笑いかけているように見えたりして、
暫く霊眼が開かれたような状態が続きました。

その後、1966年7月の特別修練会(第33期)に参加し、
8月には職場を辞めて、9月1日付けで、
鹿児島教会に伝道師として赴任しました。
23歳のときでした。

慕わしきわが主、わが父母
真の父母様との思い出
「深い心情で愛してくださる方」(後編)
世界家庭8月号より
再編集 文責:ten1ko2


梅本夫人は、とても純粋で
聖い心情を持たれているなぁ、と感じました。

生まれて初めて、神様に祈りを捧げる・・・
神様からすると、どれだけ嬉しいかしれません。

神様ご自身が何よりも、聖くて、
純粋なお方であるのだな、と思います。

家庭連合のメンバーは誰もが、
その心情が貴いものであることを知っていますし、
そのことが一番の誇りであると感じます。。。


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