本部蝶野部長が、広島の教育部長をしておられた時、
乳幼児を持つ父母にも講義をされておられます。
中和新聞に掲載された内容を紹介します。
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〈祝福から逆算して見えた乳幼児期の過ごし方〉
〈祝福から逆算して見えた乳幼児期の過ごし方〉
私は現場で、「子女教育の情報が多過ぎて、
何から手をつけたらよいか分からない」
「学ぶことが多くて、実践する力が湧かない」
という声を父母たちからよく聞きました。
中には、「教会の子女教育は理想論だ」と、
教会から発信される情報に対して
客観的になっている場合もあります。
そして、最初から一般的な価値観に基づく理論で
子女教育を進めようとするのです。
一般で行われている子供の能力を引き出す
教育や習い事は、知識を深め、
自信をもたせるうえで良いことだと思います。
ただ、どんなに優秀な子供であっても、
宗教的な価値観や感性、情操面を意識して育てなければ、
子女自身が現実的な面にばかり価値を置く子になってしまいます。
そうなると、祝福適齢期になって
難しい問題が生じるのです。
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祝福は、結婚することがゴールではなく、
祝福家庭として出発し、自らが信仰生活をして、
神様が願われる家庭を築いていくことが前提となります。
宗教的な価値観や感性が育まれていなければ、
たとえ、祝福を受けて家庭を出発したとしても、
「信仰が重要だ」とは思えません。
そのような背景から、
「乳幼児期に何をしたらよいのか、何が重要なのか」
というテーマについて、祝福から逆算して考えてみました。
すると、これまでの発想とは全く違う観点から、
乳幼児期の過ごし方のポイントが見えてきたのです。
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家庭をもったばかりの夫婦や乳幼児を持つ
若い夫婦が大切にすべきポイントは、
「家がきれい」
「喜びの中で訓読や敬拝をする」
「夫婦が侍り合う」の3つです。
これらの内容を実践できていないことが、
子供が信仰的に難しくなる家庭にほぼ共通することでもあるのです。
このポイントを習慣化すれば、あれこれ言わなくても、
ほとんどの子供は自ら信仰生活を行うようになり、
祝福に向かうことが分かってきました。
これは家庭教育の核≠フようなものなので、
祝福家庭として三世、四世へと家系が続く鉄則≠ニ言えます。
また、子供が成長しても変わることのない
親としての姿勢でもあります。
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〈親が家をきれいにする習慣を身につける〉
〈親が家をきれいにする習慣を身につける〉
当たり前ですが、「家がきれい」なことが大切です。
単に衛生的というだけではなく、
「神様をお迎えするため」という意識が重要です。
このことが、親自身≠フ中で習慣化されているかがポイントです。
部屋の美化は、親自身の心の整理に通じます。
心を清くして神様をお迎えするように、家をきれいにすることで、
神様を愛し、夫婦で愛を育み、子女を愛する環境をつくるのです。
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「家がきれい」なことが乳幼児教育と
何の関係があるのか疑問に思う人がいるかもしれませんが、
親がつくる環境は、子供に対する扱い≠反映しています。
「家を汚くしている」ということは、
「あなたは神の子よ。でも、こういう汚い環境で暮らしなさい」
と言っているようなものです。
雑然とした家で育った子供は、
「自分をごみのように扱っている」と霊的に感じるのです。
お母さんがいつも掃除をし、きれいにしていると、
部屋にいるだけで親の愛を感じます。
手作り弁当に感じる愛と同じです。
心を込めて作った弁当を食べる子供は、
親の愛を味わっているのです。
親が一生懸命「愛の言葉かけ」をしても、
ごみの中で育てられた子供は、どう思うでしょうか?
それが盲点でした。
子供が小さいときから、親自身が家をきれいにする
習慣を身につける努力が必要だったのです。
中和新聞
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乳幼児に必要な内容というと、子供が大きくなってしまって
思春期の難しい年ごろや、まさに祝福に向かっていく年齢となると、
もう手遅れだということでは、全くないと思うのです。
貴重なことを教えて頂いた今から、取り組んでいきたいですね。
子育ても、真の家庭づくりも、氏族メシヤも、
まず始めることが重要かと思います。
ここから再スタート、そしてあきらめずに
継続していくことが最も大切でしょう。
「家がきれい」「喜びの中で訓読や敬拝をする」「夫婦が侍り合う」
今回はこの三つの中で、最初の二つを挙げてくださいました。
乳幼児ならずも、祝福に向かう子供を持つ父母には、
なくてはならない必須要件なのではと思いました。
子供は本当に親を見ています。
見ているというか、感じているというか。
私たちの波動をそのまま受け取るのが子供です。
より良い波動を子供たちに与えられるように、
何よりも意識しなければならないのが、
この3項目なのではないか、と思いました。
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あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
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