いわれなき誤解、無理解、
ひいては、差別や迫害を受ける時、
寂しく、悔しく、理不尽な思いを抱える時、
前向きに越えるためにはどうしたらいいでしょうか。
金元弼(ウォンピル)先生のみ言、「愛の減少感」より
今回は、「責任心情」です。
☆
責任心情
主管*しなければならない人間が
主管を受けたことが堕落です。
いくら私の生命を脅かすことがあっても、
主体性を守れず、原理的位置を確固として
守っていくことができなかったのは、
天使長の責任というよりも人間の堕落性であったのです。
人間復帰には主体性をはっきり守り、
原理原則に従っていくことが非常に大切なことです。
責任は全部主体にあるので、責任を転嫁する
という堕落性は、対象の立場には縁が遠いのです。
責任はアダムにあって天使長には絶対にありません。
地区長であれば、下のものが失敗したら
責任を負わなければならないのに、
「あの人は私がこういうふうに話したのに
言うことを聞かなかったから」と責任転嫁するとしたら、
それは堕落した人間の堕落性を受け継いだそのままの姿です。
自分の下の者が失敗したら、責任をもっている
自分自身が失敗したごとく考えないのでは、
誰が侍ることができますか。
メシヤは十字架にかかった悲運なメシヤであったけれども、
その責任をイスラエル民族に負わせないで
御自分に負わせたというのです。
☆
カインの本質というものは疎外感であり、
それが勝利できなかった
その世界的なカイン型が共産主義陣営です。
そうだとするならば疎外感の極度に発達したものが
断絶ですから、神と人間は
関係がないということになります。
共産主義の本質は、神と人間は関係ない
ということになってくるのです。
☆
呪って疎外の極度に至ったとしても、
神に帰ることができたならば、
天使長が乗り越えたのと同じ境地になるのです。
私たちは口には出さずに心の中で呪ったとしても、
力を失っていくということをしてはいけないのです。
これが大切なところです。
天使長がそういうところにあって倒れたというのです。
神は倒れる直前の境地にまで私たちを導いていくのです。
☆
誰も願わないのにそういう心が起こるというのは、
起こらせたのであって、
自分自身がもたらしたのではないのです。
もちろん、自分が相対基準をもたなければ、
そこまで発展しないで立ち返ることができるのですが、
復帰するために、神はそういう境地に導くのです。
だからそういう境地にあって挫折してはいけません。
これが神の道を覆した恐しい敵であると悟って、
私は罪人であるという心でこれを迎えるのです。
そうでないと、先祖がこの中にあって
全部倒れたのだから、私が勝利しなければ
今まで倒れた先祖を復帰できないのです。
☆
そういうことを考えなければならない境地です。
それを乗り越えた時、私によって
霊界が解放されていくということを考えなくてはいけません。
目に見えないものが、私の決心を
覆していくことを見る時、
これが一番恐ろしい敵だということを知って、
普通のように処理してはいけません。
現象というものは、再現されたものであることを
忘れてはいけないのです。
そうでなければ私は天宙の中心者だとはいえないのです。
人類を復帰しえないのです。
U 先生の道は我々の伝統
第十一章 愛の減少感
「責任心情」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第十一章 愛の減少感
「責任心情」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
*主管:主体性と責任をもって治めること
自己主管(自制)、万物主管もあるが、ここでは関係性
(人間と天使長、人間関係)における主管
再編集 文責:ten1ko2
責任は下の者が取るのではなく、
自分が責任を取る、ということ。
これはイエス様が行かれた道であり、
真の父母様の行かれている道でもあります。
そして今、祝福家庭である、
私たちが行く道もそうなっています。。。
疎外感(愛の減少感)の極致で
相手を呪って、神と断絶していけば、
さらに運勢を失っていきます。
今、日本は困難な状況にありますが、
私たちは呪うのではなく、
こんな環境に追い込まなければならない
神様の口惜しい心情を思いながら、
越えて行かなければならないでしょう。
天心苑祈禱会で祈れば、
私たちを愛してくださる神様の
切ない心情が迫ってきます。
責任心情を持つ者に、
必ず天の祝福があることを信じて、
祈りと精誠を捧げていきたいと思います。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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