2023年11月23日

心の中で呪っただけで、力を失う 疎外感の極度が神との断絶 《金元弼先生のベストアンサー》 



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いわれなき誤解、無理解、
ひいては、差別や迫害を受ける時、
寂しく、悔しく、理不尽な思いを抱える時、
前向きに越えるためにはどうしたらいいでしょうか。

金元弼(ウォンピル)先生のみ言、「愛の減少感」より
今回は、「責任心情」です。

責任心情

主管*しなければならない人間が
主管を受けたことが堕落です。

いくら私の生命を脅かすことがあっても、
主体性を守れず、原理的位置を確固として
守っていくことができなかったのは、
天使長の責任というよりも人間の堕落性であったのです。

人間復帰には主体性をはっきり守り、
原理原則に従っていくことが非常に大切なことです。

責任は全部主体にあるので、責任を転嫁する
という堕落性は、対象の立場には縁が遠いのです。

責任はアダムにあって天使長には絶対にありません。

地区長であれば、下のものが失敗したら
責任を負わなければならないのに、
「あの人は私がこういうふうに話したのに
言うことを聞かなかったから」と責任転嫁するとしたら、
それは堕落した人間の堕落性を受け継いだそのままの姿です。

自分の下の者が失敗したら、責任をもっている
自分自身が失敗したごとく考えないのでは、
誰が侍ることができますか。

メシヤは十字架にかかった悲運なメシヤであったけれども、
その責任をイスラエル民族に負わせないで
御自分に負わせたというのです。


カインの本質というものは疎外感であり、
それが勝利できなかった
その世界的なカイン型が共産主義陣営です。

そうだとするならば疎外感の極度に発達したものが
断絶ですから、神と人間は
関係がないということになります。

共産主義の本質は、神と人間は関係ない
ということになってくるのです。


呪って疎外の極度に至ったとしても、
神に帰ることができたならば、
天使長が乗り越えたのと同じ境地になるのです。

私たちは口には出さずに心の中で呪ったとしても、
力を失っていくということをしてはいけないのです。
これが大切なところです。

天使長がそういうところにあって倒れたというのです。
神は倒れる直前の境地にまで私たちを導いていくのです。


誰も願わないのにそういう心が起こるというのは、
起こらせたのであって、
自分自身がもたらしたのではないのです。

もちろん、自分が相対基準をもたなければ、
そこまで発展しないで立ち返ることができるのですが、
復帰するために、神はそういう境地に導くのです。

だからそういう境地にあって挫折してはいけません。
これが神の道を覆した恐しい敵であると悟って、
私は罪人であるという心でこれを迎えるのです。

そうでないと、先祖がこの中にあって
全部倒れたのだから、私が勝利しなければ
今まで倒れた先祖を復帰できないのです。


そういうことを考えなければならない境地です。
それを乗り越えた時、私によって
霊界が解放されていくということを考えなくてはいけません。

目に見えないものが、私の決心を
覆していくことを見る時、
これが一番恐ろしい敵だということを知って、
普通のように処理してはいけません。

現象というものは、再現されたものであることを
忘れてはいけないのです。

そうでなければ私は天宙の中心者だとはいえないのです。
人類を復帰しえないのです。

U 先生の道は我々の伝統
第十一章 愛の減少感
「責任心情」

信仰生活シリーズ 6
伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題

*主管:主体性と責任をもって治めること
自己主管(自制)、万物主管もあるが、ここでは関係性
(人間と天使長、人間関係)における主管
再編集 文責:ten1ko2

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責任は下の者が取るのではなく、
自分が責任を取る、ということ。

これはイエス様が行かれた道であり、
真の父母様の行かれている道でもあります。

そして今、祝福家庭である、
私たちが行く道もそうなっています。。。

疎外感(愛の減少感)の極致で
相手を呪って、神と断絶していけば、
さらに運勢を失っていきます。

今、日本は困難な状況にありますが、
私たちは呪うのではなく、
こんな環境に追い込まなければならない
神様の口惜しい心情を思いながら、
越えて行かなければならないでしょう。

天心苑祈禱会で祈れば、
私たちを愛してくださる神様の
切ない心情が迫ってきます。

責任心情を持つ者に、
必ず天の祝福があることを信じて、
祈りと精誠を捧げていきたいと思います。




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posted by ten1ko2 at 10:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする