2023年12月22日

お祈りが苦手な人に ──こんなこと祈っていいんだ 祈祷のコツ 《自己牧会プログラム》



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自己牧会プログラムの証し。
今回は、「痛みを軽くし平安に導かれる祈り」です。

(男性 50代)

私は1982年に伝道されて以来、
長く公職に就いています。

教会員と接する中で、祈りについて
課題を抱えている人が多いことに気が付きました。

「祈りが苦手」というかたに
「どんなお祈りをしていますか?」と聞くと、
「ひたすら一生懸命、お願い事をしている」
というかたが多いのです。

それは悪いことではないと思いますが、
神様の責任分担と人間の責任分担があり、
人間が5パーセントを果たしてこそ
物事は成就していくのですから、
お願い事をすると同時に自分の責任分担を悟って
実践していかないと、
お祈りが空回りするだろうなとも感じます。


また、責任者やスタッフのかたは、
むしろお願い事をしてはいけない、
自分自身のことを祈ってはいけないと
強く思っている傾向があるように感じました。

そういうかたは、心情が下がったときほど
祈れなくなるという状態に陥りがちです。

こうした話を聞きながら、お祈りについて
もっと共に学ぶ機会があればいいなあ、
お祈りが変わると人生そのものが変化するのだから、
と思うようになりました。


そういう中、6年前に
自己牧会プログラムに出合いました。

そこで取り組む「ワーク」は「小さなお祈り」であり、
「こういうときにはこういうふうに、
心の中の神様に尋ねたらいいよ」
と細やかに教えられました。

“目からうろこ”の内容ばかりでした。


例えば、「自覚を取り戻すワーク」の中で、
自分の感じていることをそのまま実況中継して
客観視していくという内容があります。

心に何か痛みを感じているとしたら、
それをそのまま感じてみるのです。
それも一つの祈りの形であり、
それをするだけで痛みが消えていく場合があります。

外的に何かが変化するわけではなくても、
心の痛みや悲しみが消えて平安が得られる
ということが、実際に起きるのです。

そういう例をたくさん見てきましたし、
私も体験しました。


ある時、夫婦げんかをよくするという婦人から
こういう相談を受けました。

「夫とけんかをすると、
1カ月くらい口を利かなくなります。
その期間は祈れない、感謝も
悔い改めの祈祷もできないんです。
そういうときは、泣きながら掃除機をかけています」

そこで私は、
「神様の前に、思っていることを
そのまま祈ったらどうでしょうか」
と提案しました。

すると彼女は驚いて、
「思っていることを
ありのままに祈ってもいいのでしょうか」
と聞くので、
「大丈夫です、神様は全てご存じですから」
とお答えしました。


その後、その婦人は夫とけんかした時、
私が言ったことを実践してみたそうです。

2時間くらい夫への不満を訴えて、
どうしてこういう人と祝福を受けたのかまで、
率直に祈ったそうです。
すると、だんだんと楽になってきたというのです。

それで改めて「どうしたらいいですか」と尋ねると、
「夫の生い立ちを考えてみなさい」
という良心の声を感じたのです。

彼女の夫は、親の愛情を
あまり受けることができずに育ってきました。
ですから、人の気持ちを推し量るのが苦手で、
人を傷つけるような言葉を
不用意に発する傾向がありました。

彼女は、
「もし同じ境遇だったら、
自分もこうなっていたかもしれない」と思い、
知らないうちに「夫を愛します」
と決意表明していたそうです。

それまでは1カ月くらい引きずることも
あったようですが、その日の夜は
夫を笑顔で迎えることができたと報告してくれました。


自己牧会プログラムでは、それぞれの
ワーク(祈り)を通して心に尋ねれば、
私の中の神様である良心が
その解決法を教えてくれると説いています。

この良心との対話は、
特別な人だけができるのではありません。
どんな人でも体験できます。
ただ、そこに至るためにはこつがあるのです。

それを分かりやすく体系化して説明しているところが、
自己牧会プログラムの素晴らしさだと思います。



私の心の中にいる神様 42
痛みを軽くし平安に導かれる祈り
(blessed lifeより)


ただ、祈るだけではない、
祈るには、こつがある、なるほどー。

『自分の感じていることを
そのまま実況中継して
客観視していく』

あんまり意識していませんでしたが、
これからは、常に意識して、
自分の心情に起伏があるときは、
実践していきたいと思います。

自己牧会プログラムは、
天一国時代における、最大の武器ですね。




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posted by ten1ko2 at 09:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自己牧会プログラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年12月21日

いわれのない非難、讒訴を受けたらどうしますか 真実を知ってくださるTP 《神明先生》



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神明先生のエッセイ、
今回は、「UTSが讒訴されたときに起きたこと」です。


人間というのは、それぞれの観点からしか
物事を見ることができないようです。

それゆえに、お互いに十分に理解し合えず、
誤解や讒訴すら生じるものです。
それが上のほうに報告された場合、
人間関係や組織関係が
ますます悪化してしまうこともあります。


私がUTS総長に就任してから2年経った1996年に、
そのようなことが起こりました。

真のお父様に近い、米国でのトップの韓国人リーダーが、
UTSに関する悪い報告をお父様にしてしまったのです。
UTSは神様のみ旨のために何もしていない、
とんでもない学校である、というような報告でした。

それを聞かれたお父様は、急遽、総長である私を中心とした
UTS卒業生のための10日間の特別修練会を
アラスカで開くことを決定されました。

それは、その年の夏の終わり頃のことでした。
翌日、急いでニューヨークに戻りました。
UTSを讒訴したリーダーにも面会することになり、
苦言を直接聞きました。


そして、アラスカ行きの飛行機の中で
次のような祈りを捧げました。

「神様、いよいよこれからアラスカに入りますが、
そこではどうか完全にゼロになり、
あなたと共に過ごすようにさせてください。
そして、過去の一切の罪悪歴史を清算させてください。

ですから、アラスカへの出発前にあのリーダーから
直接ぶつけられた私に対する攻撃の言葉にも
決して恨みを持つのではなく、
感謝の気持ちを持たせてください」と。

さらに、「ゼロになるということは、本当に最低に下って、
あなたが考えられるごとくにこの身も考え、
あなたがなされるがごとくにこの身もなすことです。

さらに、私は申し訳ない気持ちでいっぱいですので、
なおさら完全にゼロになりますから、
あなたの一切の十字架の重荷を私に与えてください。

そのためだったら、地獄に行かせていただいてもいいです。
そして、全世界の全ての問題に責任を持つのだという
強い気持ちを持たしめてください。

全てに対して愛の心で接することができるようにさせてください。
全ての人に対して大粒の涙を流して、
復帰のために祈り、行動させてください。

そのような心情になったとき、私は一切何も恐れません。
全てが成るのですから。神様、感謝いたします」と。


いよいよ8月25日の午後に、
コディアクの真の父母様の館に到着しました。

夕方、その日の釣りから車で帰ってこられた
真のご父母様を館の前のサークルでお迎えしたとき、
お父様は私の顔をチラッと、一瞥されました。
何かを見抜かれているお父様の目つきを感じました。

そして、その晩から修練会が始まりました。
参加希望者として集まったUTS卒業生は約40人でした。

修練会の内容は、毎日が、真のお父様のみ言と海での魚釣り、
周藤先生(UTS卒業生、43双)の成約摂理講義でした。

私はUTSの件で真のお父様からきついお叱りのみ言を受けたとしても、
責任を持って、全てを悔い改めて感謝して受け入れる覚悟で
修練会に臨んだのですが、あに図らんや、
お父様はかえって私を褒められるような、
身に余るみ言を何度も下さったのです。


一応、そのときに日記に記しておきましたが、

「神様の知恵がいつも明るくともされているので、
UTS総長になったんだ」


「いつも神様のように太陽のように明るいんだ」

「先生に言われなくとも全部分かっているような
名前を持っている」


「神様の目で全部見て他人を屈服させる人だ」
とかいう具合でした。

私の名前は「神明」なので、お父様はその名前についての
言葉遊びを楽しんでいらっしゃるにすぎないのかなとも思ったのですが、
そうではなくて、もっと真剣なお話だったようです。


それで、次のようなこともおっしゃいました。

「神明は、いつも自分の身を地獄の底に置こうとしているだろう」と。
それを聞いて私はびっくりしました。

アラスカに来る機上で懸命に祈った内容は、
苦難の十字架を背負って地獄に下っても愛を貫いて復帰しますから、
というものでしたが、真のお父様は
すでにそれを見抜いておられたのだと思います。

さらに続けて次のようにも言われました。
「でも、地獄に染まっていないね。
かえって地獄を明るくともす、ろうそくのようだ」
と。

そして、そのように自分を最低に置いて皆のために仕えようとしているから
UTS総長になったのだ、と言われました。

さらに、「先生はよくも神明をUTSの総長にしたよ」
とささやかれました。
何という光栄でしょうか。

でも、このような光栄の恵みのあとに
必ず試練が再びやってくることは心得ていました。


修練会は成功裏に終わりました。

アラスカで修練生たちはUTS卒業生として
真の父母様の愛をふんだんに受けながらも、
自分の家庭を養うことや自分の出世などを優先するのではなく、
真の父母様と完全一体となって、国家と世界の復帰のために
自己を犠牲にしてまでも働くようにと諭されました。

それで、彼らは大いなる決意で、それぞれの場に散っていきました。

私も、UTSを讒訴して真のお父様にまで告げ口したリーダーを
心から愛して、み旨成就のために共に進んでいこう
という決意に燃えてニューヨークに戻りました。

(一部割愛しました。
再編集・文責:ten1ko2)

UTS時代の神体験
:ドクター神明の信仰エッセー
P UTSが讒訴されたときに起きたこと
(世界家庭に連載)


真実なる歩みをすれば、
神様はわかってくださる、
そのことを感じました。

神明先生の場合は、神様の実体である、
真のお父様を通じて解放されました。
ですから、答えも早かったと思います。

きっとお父様は、初めからわかっておられて
修練会に呼んでくださったのでしょう。
試練のあとの恵みでしたね。

今はお父様は地上におられませんし、
お母様とも実体でお会いすることは
なかなかできません。

しかし、目には見えない神様が
真実の歩みを必ずわかっていてくださる、
という信念を持つことが必要だと思います。

さらに言えば、何よりも、神明先生のように、
祈って準備をし、困難を喜んで受ける、
という覚悟を持つ、
そのような姿勢が重要だと感じます。




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2023年12月20日

神様がこれまで、サタンを倒すことができなかった理由 《史吉子先生》



231220.jpg
清平☆


史吉子(サ キルジャ)先生の
「原理に関するみ言の証」より、
『メシヤの能力と責任 』を3回に分けて紹介します。

メシヤの能力と責任

サタンの讒訴を誰が断ち切ってくれ、
誰が阻んでくれるのか?

これは神様が阻むことができません。
どうして、そうなのでしょうか?

サタンが誰と結託したかと言えば、
人間と結託したからです。

それで、人間の中でメシヤが
サタンの正体を全て明らかにして、
むしろ、「お前、 これこれの罪を犯した
サタンではないか?」と言わければなりません。

そうすれば、サタンはどうすることもできなくなります。
これがメシヤの能力であり、責任です。


サタンも神様の愛が恋しくてエバを犯したし、
自分を中心として神様の愛を
もっと受けたくて堕落しましたが、
ルーシェルも自分がやらかした
6千年の罪悪歴史を嫌っているのです。

サタンも自分がしでかしたことが、
そんなにも大変なことであったと知っていたでしょうか?

最初は、わからなかったのです。
実はサタンであるルーシェルも、
昔の神様の忠実な僕の立場に帰りたい思いがあるのです。


それでは、誰がサタンを
本来の場所に帰すことができるのか?
それはメシヤにしかできないのです。

近頃のお父様は、「私は神様もできない
役割を果たした!」とおっしゃいます。
なぜならば、サタンの讒訴を断ち切って、
神様を解放させてあげたからです。

そしてお父様は、
「あなたたちがどんなに原理を勉強しても、
原理がよくわからないだろう。
本当に原理をよくわかる存在は、三人しかいない。
神様とメシヤとサタンだ」とおっしゃいました。


しかし、サタンも人間が長成期完成級まで
上がった時に堕落させたので、
長成期完成級以上はわかりません。

私は、そのみ言を聞いて安心しました。
なぜならば、 私たちが原理講義をどんなにしても、
原理が完全にわからないからです。

それだから、原理は原理講論そのままを
伝えなければなりません。
お父様は原理講義をする時、
自分の言葉を交ぜるなと言われました。


サタンは神様が自分を憎むことができないことを
知っているので、メシヤにも、

「メシヤよ! 神様は私を憎むことができません。
だから、あなたがメシヤなら私を憎んではいけません。

もしあなたが神様の息子であり、
神様の代身者として地上に来られたのなら、
私が本然の立場に帰って来ることを
神様がいつも願うように、あなたも

私が本然の立場に帰って来ることを願うべきです。
そうしなければ、 私の帰る道が無いじゃないですか?
だから、 私を憎むことができません」

と言いながら、徹底的に食い下がるのです。


これに関するお父様のみ言が、
『真の父母様の生涯路程』第7巻 340ページに出ています。

「神様が今までサタンを屈服させることが
できなかった原因が、どこにあるか?

そして、人類が今までサタンを
屈服させることができなかった原因がどこにあるか?
ただ一つ、サタンが主張するのです。

『私は堕落したとはいえども、
本然の原則的な基準で父母の心情から見たなら、
神様が私を愛するようになっており、
神様の息子が私を愛して初めて、
天国に行くようになっているのが
原理原則ではないですか?』と言うのです。
このように出れば神様は手も足も出ないのです」



「天国に入ることができる資格者になり、
完成した人間の位置に上がろうとするならば、
私(サタン)を愛したと言う条件を
立てなければなりません。

そうでなくては、完成の位置に上がる道が
無いのだ」と主張する
サタンの言葉に引っ掛かっているのです。

史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
再編集 文責:ten1ko2


「あなたたちがどんなに原理を勉強しても、
原理がよくわからないだろう。
本当に原理をよくわかる存在は、三人しかいない。
神様とメシヤとサタンだ」
このお父様のみ言は、衝撃的ですね。。。

ただ、お父様に進言するのは、憚られるのですが、
「本当に原理をよくわかる存在は、四人しかいない。
神様とメシヤと真の父母だ」

でも、メシヤ=真の父母と考えると、
「一人だけれど、二人と同じだ」
そのように解釈できますね。。。

サタンの正体、その存在を知るがゆえに、
サタン屈服の道を歩まれ、
恩讐を愛する道を開拓された真の父母様。

その歩みに改めて感謝申し上げます。




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