2023年12月10日

「お母さんと呼べばすぐに飛んでいくからね」 《天国のお母さんからのメッセージ》



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家庭連合では、人生の終わりを迎えた後、
永遠に霊界で生きる、「永生」を信じ意識して
生活しています。

これは、天の国にいるお母さんからの
メッセージです。


生きて簡単に会える家族より、愛の絆は強いのです。
お母さんの名を呼んだら、いつでも飛んでいきます。
いつもみんなを守っています。

ただ少し歯がゆく感じてしまうのは、
地上から私が見えないということです。
少しだけ訓練すればわかるようになります。
霊界は実にすばらしいところです。

霊界は地上にいる人の心のような世界です。
身体は無くても、五感の感覚はそのままです。

目に見える世界だけではありません。
例えば私が見えなくても、
ほかの感覚は冴えている場合もあります。
肌で感じる場合もあります。

ただ不慣れでしょうから、かすかに感じとることを
大切にすることから始めてください。

私はいつも協助し ています。
直接の時もあり、周りの人に働きかけて
役事するような時もあります。

子供たちの寂しい心情を感じて、
抱きかかえたくても直接伝わらないもどかしさを感じながら、
時空を越えて、いつもそばにお母さんがいる
ということを忘れないでいてださい。

霊界は心情の世界ですので、その人を思って
名前を呼べば、テレビ電話のように即通じる世界です。

そしてドラエモンの「どこでもドア」のように、
すっとその人の前に立つことができます。
神様と真の父母様の心情に近づいていけばいくほど、
その速度は速まります。

私も肉体が無くては、できないことがたくさんあります。
しかし、肉体が無いがゆえにできることも多いのです。
共に通じる心情の世界こそ、
天国生活であることを感謝して、
感謝して生活しましょう。

「お母さん!」と一言いえば、すぐに飛んでいくからね。
頑張って!
いつもそばで応援しているよ。


地上における食口一人ひとりの精誠は、
小さなことに感じられるかもしれないですが、
私たち絶対善霊にとっては、この上なく
神様に通じる道であることを痛切に感じるのです。

祈祷の時、「お母さん」と言ってくれれば、
いつでもどこへでも飛んでいくから、電話より便利よ。

お母さんもあなたにわかるように努力しているから。
そうね、いつもお花を持って訪ねていくから、
ほのかな香りがしたら、お母さんが来たと思ってね。

ピッとくること、大事だと思うことは、
ほとんどが耳もとで叫んでいるお母さんの声だからね。


お祈りは大事です。
毎日、神様に報告してね。

お母さんは全部聞いているからね。
いつもあなたを助けているのを知っている?

何もしないのではなくて、
心の悪い思いを退治していくと、もっとよくわかるよ。

お母さんと助けあっていこうね。
いつも一緒だということを忘れないでね。


堕落という悲しい出来事のために、共に顔と顔 を合わせ、
目と目を見つめあって話すことができなくなった私たちを、
言いようのない悲しそうな目で見つめていらっしゃる神様の前に、
本当に申し訳ない思いでいっぱいになります。

しかし、私たちは神様の子女です。
祝福を受け、血統転換させていただいた神様の愛する子女です。

一人ひとりの精誠は、いつの日か神様の心のうちに、
豊かな心情を呼び起こすことのできる、この世の光です。

心情の通いあう親子に、言葉など必要ないのと同じです。
そのような親子になれるよう、
日々精誠を尽くしてくださることを望みます。

私たち絶対善霊は、神様から遣わされた特使として、
み旨の道に邁進(まいしん)する食口を
強力に援助し続けることを、重ねてお伝えします。


これが本当の愛の世界なんだ、ああ本当にあるんだと、
真の愛って素晴らしい。真の愛って神様なんだ、
真の父母様なんだと、毎日感動しています。

私たちの日々の精誠と真心の祈祷をお捧げすることで、
この全世界、全天宙が変わります。

思えば成せる、ありのままの現実と霊界です。
今はそうです。
天一国ですから変わったのです。
本当に、霊界からははっきり見えます。

永生しましょう、その国で。
真の愛に酔う生活をしましょうと
絶対善霊はみな言っています。

本当にそうです。
希望で顔じゅう明るいのです。
困ったらすぐ助け合っています。
重かったら共に背負いあって軽くしています。

共に生きましょう。
真の愛で!


霊界を引き付ける本当の力は何でしょうか。
一番気になる所ですね。

真の父母様を見てください。
真の父母様は、どんな環境と苦痛の中にあって神様を愛し、
神様を解放しようと願い、準備し、 勝利し続けてこられました。
これが鍵なのです。

心の奥底にしまっておきたい、
人知れず涙した苦労の日々があるのですが、
すべて勝利の笑顔に隠されました。

それが霊界人の心を動かすのです。
心が洗われて、感動の渦が巻き起こるのです。

この鍵を皆さんに渡しますので、ひとつになって
天一国の門を開けましょう。
勝利は約束されています。


霊界のすべての人は皆様に協助します。

いつも深い祈りを捧げてくれる主人の前で、
おろおろ歩きまわって、何をどうすればいいか
忙しく霊界を歩き回って、
準備に明け暮れる毎日です。
でもそれは反面、楽しみでもあります。

地上界で生活して、共にみ旨に忙しく明け暮れていた時よりも、
もっと身近に、もっと強力に協助することが
できるようになったことです。

それは、真の父母様の勝利圏と計らいによって
可能となったのです。
もし今この時に霊界に来なければ、
もっと困難な霊界に繋がれていたでしょうし、
こんなに活躍できたでしょうか。

霊界人にとって、祈祷は力です。
エネルギーそのものです。
善なる思いで祈られると、本当に力を得ます。

(「亡くなった家族との会話」77頁~81頁
尾瀬聖和者家庭会発行)
再編集 文責:ten1ko2


お母さんのメッセージ、感動的ですね。
「いつも」という言葉が何度も出てきます。

子どもはそのことが気づかないのに、
お母さんは、いつもともにいることを
切実に伝えたいんだな、と思います。

残念ながら、私も霊界にいる
両親のメッセージを聞いたことがありません。

しかし、「少しだけ訓練すればわかるように」なる、
お母さんは、そのように伝えているように、
霊界にいる人からすると、
ほんの少しの努力で、通じることができるのでしょう。

今、実際に清平で行われている「霊性40日修練会」。
多くの二世・三世たちが霊界の門が開け、
霊通している、という証しが出ているそうです。

霊肉合同作戦、まさにそういう時代に入っていることを感じるのです。


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2023年12月09日

人を裁くなかれ! 夫婦は原理ではなく、愛で一つとなる 《蝶野部長の夫婦講座》1



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日本家庭連合が置かれている立場は、
とても厳しいものがあります。

今こそ、夫婦、家庭が一つになっていき、
これを世間に証していくときだと思います。

本部家庭教育局蝶野部長の夫婦講座
目から鱗(うろこ)のような内容も多くあり、
とても恩恵のあるみ言です。

信仰講座としてもとても奥の深いものですので、
改めて紹介させていただきます。


家庭は親子ですと、子どもの事には本能的に愛するものもありますし、
親の責任ということで、ぐっと越えていける世界があるかもしれませんが、
夫婦というのは横ですから、フィフティ・フィフティですから、
ついつい相手に責任を問いたくなってしまいます。

特に二人とも原理を聞いている場合にはどうでしょうか。

既成祝福を目指すご婦人の場合は、
自分がみ言を聞いていて、だんなさんが聞いていないとすれば、
み言を聞いた立場で愛していく戦い(取り組み)ができますけど、
下手にマッチング家庭の場合は、
相手も聞いているわけですから、相手に要求したくなります。

「あんたも聞いている」
「お前も聞いているじゃないか」とこういう風になってしまう。

ですから、今日(きょう)のあり方は
(夫婦で一緒に受講しているので)やばいと言えば、やばい。
愛する話を聞いたはずなのに、
「お前、今日の聞いただろ」というように
お互いに要求し合うと、呪い合うというか(笑)。。。

だから原理を聞いているというのは恐ろしいことなんですね。

伝道対象者であれば、愛する戦い、犠牲の戦い(取り組み)が可能ですが、
夫婦の場合は相手に、これはなかなかの葛藤がありますね。

でも、(実は)いたってシンプルです。
相手がみ言を聞いていないと思うのが
一番安全な信仰生活になるのです。

共有するためにここに来ていらっしゃるんですが、
家に帰ったら、(今日の講座は)聞いていないと思っていかなければなりません。
「あんたも聞いたよね」というのをお互いに思っていると、
これは、原理を聞かなかった方がよかったということになってしまいます。

一般の夫婦にも(祝福家庭にも)りっぱな夫婦はいます。
ただし、原理を聞いていると、原理で裁ける(指摘できる)んですね。
堕落性で簡単に裁くことができます。

ですから皆さん、原理を聞いているということは、
(どうしたらいいのでしょうか。)
原理で一つになれとは聞いていないんですね、
「愛で一つになれ」
*(原理で目的がお互いに一致していても、
それを相手に適用し合うことで一つになれるのでなく、
真の愛で一つになる)というのです。

原理というのは自分に適応した時のみ、愛になります。
人に適応したら呪いになってしまうというのです。

天使長が人間を讒訴(ざんそ)する時に、原理で讒訴してきます。
「原理と違う。血統は清いくせに生活がそうなっていない」
と言って、神様を讒訴するんですよ。

何で讒訴する?
原理で讒訴するのです。

ですから、私たちがそれをやっちゃうと、
天使長(の位置、立場)になります。

2世は無原罪ですが、1世は人生の途中から無原罪でしょう。
この立場から、結局、成長していかなければなりません。
無原罪ということは、原理の軌道に一応乗っているのです。

(み言では)長成期完成級でメシヤを迎えて、
父母と共にいくと聞いてはいるんですよ。
しかし聞いてきた原理を、配偶者に適応した瞬間、
天使長になる。万物になるのです。


(文責:ten1ko2)
* ()内は蝶野講師の注釈です


蝶野部長が語られているように、
「原理で一つになれ」
というみ言は確かにないですね。
代わりに「愛で一つになれ」
というみ言はたくさんあります。

しかし、人を愛で見るのではなく、
原理で見てしまう。

特に身近な人ほどそうなのかも知れないです。
特に横に対しては、要求が強いというか、
『配偶者はこうでなければならない』
そう決めつけてしまう傾向があるというのです。

「原理は自分にのみ適用する、人には適用しない。
自分に適用したときのみ、愛になる」

原理は鋭利な刃物みたいなものですよね。
人に適用したら、スパッと切れてしまいますから・・・
本当に気をつけなければ、と思います。





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2023年12月08日

UTS版エクソシスト?! 悪霊たちを引き連れて、父母様と共に過ごした一日 《神明先生》



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神明先生の信仰エッセーより、
「私は悪鬼の頭ベルゼブルではないのですが」です。


これはとんでもない証しですが、お許しください。
そして、つまずかないでください。

私は悪鬼の頭ベルゼブルではないのですが、
一度、悪鬼の頭みたいに悪霊たちに命令して、
真の父母様に面会させたことがあります。

それはUTS総長に就任した次の年の1995年の春のことでした。
その日もいつものごとく、イーストガーデンでの
真の父母様を中心とした朝食兼報告会に参加するところでした。

でも、その日はイーストガーデンに入るとき、
入り口の門でしばらく立ち止まって、
次のように悪霊たちに向かって叫びました。

「悪霊たちよ、特に地獄ですごく苦しむ悪霊たちよ。
私は今これから人類の真の父母様にお目にかかりに行く。
君たちも、とてつもない苦しみから解放されるために、
真の父母様にお目にかかりたくてしかたがないのだろう。
ならば、この私についてきなさい。

ただし条件が一つある。
私が真の父母様に敬拝するとき、
この私の体を使って一緒に敬拝するんだよ」 と。


驚くことに、その日は他のリーダーが誰も来ていなくて、
真の父母様と私だけの朝食会でした。

先ず私は、連れてきた悪霊たちと共に、
それこそ心を込めて真の父母様に敬拝を捧げました。

そして、いろいろとUTS の報告をしながら話しが弾み、
ある時点で、失礼にも、本当のことを
お父様に言ってしまいました。

「お父様。今朝は惨めな悪霊たちを
たくさんここに連れてきています。
今、彼らは真の父母様にお目にかかれて
うれしく思っているように私には感じられます。

それで、私もうれしくなって、力がもりもりと出てきて
体中にみなぎりあふれ、どうしようもありません。
何か全てが可能になるような気がします」 と。

すると、お父様は大きな笑顔で首を縦に振られて、
「そうなんだよ」 と言ってくださいました。

そして、その後のお父様との会話はますます弾み、
それはそれは、悪が全くなくなってしまった
天国のような雰囲気の中で、踊り出したくなるような気分でした。
お父様もたいそううれしそうでした。


そのときです。
お父様は急に 「きょうはUTSに特別に
100万ドルの贈与をしよう」 と言われました。
予期もしなかったことです。

それだけでなく、今度はお母様までが
「きょうはドクター・シンミョウを昼食と
買い物に連れていきましょう」 と言われたのです。

その日は、あまりにも大きな恵みの日でした。
悪霊たちもずーっと私と共にいたはずです。

しかし、それで終りではありませんでした。
お父様はその翌日、UTSまでわざわざ来てくださり、
うれしそうに学生たちにみ言を語られたのです。

なぜこのようになったのか、
私にはよく分かりませんでしたが、
多分お父様は何か心情的なものを強く感じられて、
それによって動かされたのかもしれません。


最後に、私がなぜイーストガーデンともあろう
聖なる場で、父母様の前に悪霊などを
紹介してしまったのかを、少し説明したいと思います。

私は1973年にアメリカに来て間もなく、
その年にできたホラー映画 『エクソシスト』 を見ました。
映画の中で、悪霊が少女に取りついて、
とんでもなく恐ろしいことをして暴れる場面があります。

そのとき一緒に連れていった伝道対象者は、
恐怖のあまり何度も目を覆っていました。
しかし私は、その悪霊がかわいそうだという思いが
先だって、怖くないのです。

そして、少女のおなかに「HELP (助けて)」 という文字が、
悪霊からのメッセージとしてくっきりと現れたときは、
どうにかして助けてあげたいと思い、涙すら出てきました。


映画が終わったのは夜9時頃だったでしょうか。
伝道対象者と別れて、一人で教会の館まで
ニューヨークの夜道を歩きながら、
映画の光景がどうしても忘れられず、暗い空を見上げて、

「霊界の悪霊たちよ、かわいそうな悪霊たちよ。
待っていてくれ。この私が必ず勝利して、
助けに行くからね」 と叫びました。

すると、驚くなかれ、霊界が開いて、何千、
何万という悪霊たちが私の目の前に姿を現したのです。
それは凄絶な場面でした。

彼らのうっすらと光るような目が見えました。
皆、しくしくと泣いていました。
そして、よろしく頼む、と言っているようでした。
私に襲いかかって危害を与えてくるようすはありませんでした。

私ももらい泣きで号泣し、これから自分は
み旨のために行かねばならないと必死なる決意をさせられました。


私は霊界は素人なので、詳しいことは分かりません。
しかし、愛の思いで接すれば、悪霊までも、
こちらの言うことを聞いてくれるのではないかと思いました。

私などが太刀打ちできないような、
すごい悪霊も沢山いることでしょう。

でも真の父母様こそ、天の父母様(神様)の真の愛でもって、
このすさまじい堕落世界を復帰しようとして
こられた方なのだと思います。
そのような愛を学びたいと思います。

UTS時代の神体験
:ドクター神明の信仰エッセー
O私は悪鬼の頭ベルゼブルではないのですが
(世界家庭)


悪霊に対する見方を考えさせられる、
そんな証しでした。

神明先生は、霊的なことには
敏感な方だと思いますが、これまでは
聖霊体験、神霊的な体験をよくされて、
よい霊界に通じやすいという印象がありました。

今回は今までとは違って、浮かばれない
不幸な悪霊に対する証しだったので驚きました。
悪霊をお父様の元に連れていく、
というのは、凄い発想だと思います。

そして、真の父母様が喜ばれた、ということ。
これはどのように考えたらいいのでしょうか。。。

悪霊は自分では神様、真の父母様の元に
行くことはできないので、仲保者が必要である。
それを神明先生がされたので、
「よく連れてきてくれた」という思いだったのでしょうか。

真の父母様も霊的にはとても敏感なので、
もちろん霊たちに気づかれていたことでしょう。
天宙の父母として、きっと神明先生を
通じて、霊たちを愛してくださったのかもしれません。




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