いわれなき誤解、無理解、
ひいては、差別や迫害を受ける時、
寂しく、悔しく、理不尽な思いを抱える時、
前向きに越えるためにはどうしたらいいでしょうか。
金元弼(ウォンピル)先生のみ言、「愛の減少感」より
今回は、最終回「神も愛の減少感を感じる」です。
☆
神も愛の減少感を感じる
食口から疎外されるのを越えるのは
たやすいのですが、自分が指導し
信じた人から疎外されるのは心が痛いのです。
しかも自分が尊敬する上の人から
疎外されるのはもっと心が痛いのです。
メシヤもその道をたどっていかれるのです。
2000年前、すべてを懸けて神を愛しましたが、
神はメシヤを捨てたのです。
その時に、私はこんなにもしたのに
神は私を無視した、もう神とは関係ない、
と断絶するような境地におかれたのですが、
それでもメシヤは神に従ったので、
天使長を主管することができたのです。
☆
私たちが再臨のメシヤに侍り、離れていった
その時に、メシヤから疎外感を感じるとするならば、
メシヤもまた私たちから疎外される
疎外感を感じるというのです。
愛の減少感を感じている天使長を眺める
神の心情はどうだったでしょう。
神の心は天使長から
愛の滅少感をもっと感じたというのです。
☆
例えば愛する子女がいるとします。
その子が成長して孫をもちました。
父母は年を取ってきて、その子女が
孫と一緒に和気あいあいとしている姿を見ていると、
何だか疎外感を感じるというのです。
親は孫と子女が和気あいあいとしている中に
一緒にいたいのです。
そうでなければその子女から
疎外されるような愛の減少感を感じるのです。
☆
天使長が神から愛の減少感を感じた時に、
相対的に神が天使長から愛の減少感を感じた
ということを反射的に考えなければなりません。
だから愛の減少感を感じた私を眺める
神の心はどうであったのだろうかと考えるのが、
神を中心とした考え方なのです。
私たちにおいても、私が疎外感を感じた場合、
相対的に私を眺める指導者は、
同時に私以上の疎外感を
感じていることを考えなければならないのです。
U 先生の道は我々の伝統
第十一章 愛の減少感
「神も愛の減少感を感じる」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
第十一章 愛の減少感
「神も愛の減少感を感じる」
信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
☆
再編集 文責:ten1ko2
神様は心情の神であり、
愛の神様です。
神様から愛されていない・・・
そんな思いを持った天使長を見つめる
神様の心情はどうだったか。
神様も愛の減少感を感じられたというのです。
しかし、天使長は自分のことしか考えず、
神様の心情など全く考えませんでした。。。
その堕落性が「私」の中にあるというのです。
ですから、今の日本の状況を見つめる、
神様の心情をよくよく尋ね求めていけば、
神様は決して日本を見捨てるはずはなく、
ともに涙しておられることを感じるのです。
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に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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