2023年12月02日

神様も疎外されれば心が痛い! 愛の減少感を感じる天使長を眺める親心 《金元弼先生のベストアンサー》 



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いわれなき誤解、無理解、
ひいては、差別や迫害を受ける時、
寂しく、悔しく、理不尽な思いを抱える時、
前向きに越えるためにはどうしたらいいでしょうか。

金元弼(ウォンピル)先生のみ言、「愛の減少感」より
今回は、最終回「神も愛の減少感を感じる」です。

神も愛の減少感を感じる

食口から疎外されるのを越えるのは
たやすいのですが、自分が指導し
信じた人から疎外されるのは心が痛いのです。

しかも自分が尊敬する上の人から
疎外されるのはもっと心が痛いのです。

メシヤもその道をたどっていかれるのです。
2000年前、すべてを懸けて神を愛しましたが、
神はメシヤを捨てたのです。

その時に、私はこんなにもしたのに
神は私を無視した、もう神とは関係ない、
と断絶するような境地におかれたのですが、
それでもメシヤは神に従ったので、
天使長を主管することができたのです。


私たちが再臨のメシヤに侍り、離れていった
その時に、メシヤから疎外感を感じるとするならば、
メシヤもまた私たちから疎外される
疎外感を感じるというのです。

愛の減少感を感じている天使長を眺める
神の心情はどうだったでしょう。
神の心は天使長から
愛の滅少感をもっと感じたというのです。


例えば愛する子女がいるとします。
その子が成長して孫をもちました。

父母は年を取ってきて、その子女が
孫と一緒に和気あいあいとしている姿を見ていると、
何だか疎外感を感じるというのです。

親は孫と子女が和気あいあいとしている中に
一緒にいたいのです。
そうでなければその子女から
疎外されるような愛の減少感を感じるのです。


天使長が神から愛の減少感を感じた時に、
相対的に神が天使長から愛の減少感を感じた
ということを反射的に考えなければなりません。

だから愛の減少感を感じた私を眺める
神の心はどうであったのだろうかと考えるのが、
神を中心とした考え方なのです。

私たちにおいても、私が疎外感を感じた場合、
相対的に私を眺める指導者は、
同時に私以上の疎外感を
感じていることを考えなければならないのです。

U 先生の道は我々の伝統
第十一章 愛の減少感
「神も愛の減少感を感じる」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


神様は心情の神であり、
愛の神様です。

神様から愛されていない・・・
そんな思いを持った天使長を見つめる
神様の心情はどうだったか。

神様も愛の減少感を感じられたというのです。
しかし、天使長は自分のことしか考えず、
神様の心情など全く考えませんでした。。。

その堕落性が「私」の中にあるというのです。

ですから、今の日本の状況を見つめる、
神様の心情をよくよく尋ね求めていけば、
神様は決して日本を見捨てるはずはなく、
ともに涙しておられることを感じるのです。


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posted by ten1ko2 at 09:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする