2023年12月06日

どうして私の心が重いのか 誰にも言えない胸の内を神に祈れば… 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



200806-gessemane.jpg


李耀翰(リ ヨハネ/イ ヨハン)先生のお話しの続き、
「祈祷と恵みに満ちた生」です。

祈祷と恵みに満ちた生

それでは、イエス様は、地上で授受することが
できないにもかかわらず、どのように
天と授受することができ、地上の基盤を失わずに
ご自身で成長されたのでしょうか? 

これもまた疑問です。
イエス様も対象がいてこそ大きくなるのであって、
対象がいなければ大きくなることが
できないのではありませんか。

イエス様も恵みを受けなければ
ならないのではないでしょうか?


恵みというものは何でしょうか。
地上でよく授けよく受けることが
恵みだと言ったのです。

み言を悟り、喜ぶことも恵みであり、
み言を悟って兄弟間で授受することも恵みです。

恵みという言葉の意味は、
神が臨在なさるということです。
神が私と共になさるということです。

結局、み言と私の生活がよく授受すれば
喜びが維持され、力が維持されます。
そうしながら対象と私がよく授受すれば
地上の基盤を築くようになるのです。

ところがイエス様は、地上で授受する人が
一人もいませんでした。

十字架にかかるときまで、
ご自身が語りたいみ言は語れず、
ようやく語られたのが主の祈りでした。


「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。
 御国がきますように。
 みこころが天に行われるとおり、
 地にも行われますように……」。


すなわち、準備したみ旨が地上に成されなければならない
という心配を少し照らしただけです。

そのためにイエス様は来られたのですから、
このみ言を聞きますという人がいなければならなかったのです。

自分の事情のゆえに会おうという人は多くても、
イエス様がなぜ来たのか、イエス様の事情を聞き、
イエス様の事情と目的のために生きてみよう
という人は一人もいませんでした。

 
今日、キリスト教も同じです。

「イエス様は貧しい者の友であり、
病める者の医者であり、無念な者の救世主であられます」
と、このように思っているだけなのです。

しかし、イエス様は、難病患者だけの医者ではないし、
貧しい者だけの救世主ではありません。

イエス様をこの地上で不信し、もてなさなかったから
そのような位置へ押し出されたのであって、
貧しい者と難病患者のゆえに来られた方ではありませんでした。

天の神聖なるみ旨をこの地上に伝播しなければならない
イエス様は、だれよりも神聖なる人、壮者、
権勢を握った人を通じて神のみ旨を伝播し、
その人たちを通じて
すべての貧しい人たちを救うために来られたのです。

ところがご自身が直接、貧しい人々と
関係を結ばなければならなくなりました。
そうしながらもご自身の事情を
語ることができなかったのです。

 
それではイエス様は、ご自身の対象もなしに、
どのようにして恵みに満ちた生活を
することができたのでしょうか。

イエス様が霊界と相対関係を結んで
恵みに満ちた生活をされたことは間違いないのです。
イエス様がそのように生きることができた秘訣は
祈祷にありました。

今日、皆さんも祈祷を通じて
自分自身の心霊を維持しなければなりません。

地上の人と授受することができないならば、
祈祷するようになるのです。

牧師を通じて自分の心霊が真の力を得、
悲しみが解決され、重荷を下ろすことができるのです。
祈祷するならば、胸がすっきりするでしょう?

皆さんが言いたいことをみな祈祷で言うならば、
天が聞いてくださるので、胸の内が
すっきりするようになっています。

天が私の祈祷をお聞きになるならば
私の心に力があふれ出るのです。

反対に天と授受することができないならば、
私の心が重いのです。

諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教 
1977年10月2日 韓国中央修練所

信仰生活シリーズ3 聖書の中の心情圏  
摂理の中心家庭に学ぶ信仰姿勢 李耀翰

U 復帰摂理の恨
「イエス様の内的生活」
祈祷と恵みに満ちた生
再編集 文責:ten1ko2


イエス様は、地上の人たちと
相対基準を結ぶことができませんでした。
どれほど空しく、歯がゆい思いだったでしょうか。。。

だから、祈りを通じて
神様と一問一答するしかなかったのでした。

今、天心苑徹夜祈禱精誠では、
合心共鳴祈祷をしています。
「アボジ〜、オモニ〜」
と叫びながら、思いのたけを懇切に祈ります。

みんなで叫んで祈る・・・
このことに対して、葛藤する人はいるのかもしれません。

しかし、イエス様も神様に祈りを捧げる時、
懇切に祈ったに違いありません。

真のお父様もお若い時に
何時間も何十時間も、
「目がカボチャの中身みたいにぐちゃぐちゃになる」
それくらいに懇切に祈ったことがあるというのです。

李基誠苑長は、
これからは霊界の協助により、驚くべきことが起こる
そのように言われます。

霊性を啓発するこの時であると思うのです。




にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(記事冒頭の哲学・思想ブログのバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ 当ブログ記事の転載、拡散について
その際は、リンクを貼っていただくか
当ブログ名とURLを記載して頂くようにお願いいたします。

なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。

※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。 

posted by ten1ko2 at 10:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 李ヨハネ先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする