日本家庭連合(旧統一教会)の初代会長、
久保木修己会長の夫人、久保木哲子さんが、
9月18日に聖和されました。(430双)
Blessed Lifeで、久保木夫人の著作
『回顧録 愛あればこそ』の一部を
連載で紹介しています。
☆
第五章 珠玉の宝石箱−宮崎開拓
文鮮明先生との出会い
文鮮明先生との出会い
やがて久保木は庭野会長と袂(たもと)を分かち、
文鮮明(ムン・ソンミョン)先生の下で
日本統一教会の会長になっていきます。
1967年7月、文先生は二度目に日本に来られた時、
久保木をなんとか祝福しないといけない
と思われたそうです。
日本で最初の祝福家庭です。
文先生がどれほど心配されたか、
後になって私は分かるようになりました。
子供が生めないとなると、祝福家庭の基台ができません。
いろいろな教会員たちに聞いてみても、
既成家庭も立派な祝福家庭の基台が
できないといけないというのです。
それで、私たちは夫婦のままでいるのは
難しいかもしれないと、
覚悟を決めざるを得ない立場でした。
久保木も、それが分かって
相当悩んだと思います。
それで、文先生は、私にこの道が
どういう道なのか言わないといけないから、
久保木に「妻をすぐに呼べ」
と言って呼び出したのです。
☆
その頃、私は洋裁ができましたので、
義弟が作ってくれた洋装店を経営していました。
その洋装店は駅前の立地の良い店でしたので、
3人の裁断士と縫子(ぬいこ)さんを雇うくらい繁盛していました。
ですから私は好きな仕事をして、
夫のいない間でも経済的に困ることはありませんでした。
☆
仕事をしている時、久保木から電話が掛かってきました。
そんなことは初めてでした。
「今から、すぐに教会に来なさい」
と言うのです。
洋裁の仕事というのは、
時間に追われながらお客様に納める仕事です。
それで私はびっくりして、
「突然、電話を掛けてきて、今すぐ来なさい
と言っても無理です。行けませんよ」
と言ったら、電話の向こうで、
「来なかったら知らないよ!」と言うなり、
ガチャンと切ってしまったのです。
本来、そういう夫ではないのに、
「何があるんだろう。どうしたんだろう」
と不思議に思う気持ちが湧き上がってきました。
☆
当時、南平台(東京都渋谷区)に教会があったのですが、
それまで一度も教会に行ったことはないのです。
それで人に道を聞きながら、教会を訪ねました。
しかし、文先生の講話は既に終わっていて、
先生は2階に上がっておられたのです。
それで「私は忙しくて、すぐに帰らないと
いけないので帰ります」と言って帰ろうとしたのですが、
小山田儀(のり)子さんが「ちょっと待って。
せっかく来たのですから、文先生に
ご挨拶だけでもしていってください」と言って、
私の手をむんずとつかんで2階に連れていくのです。
そして「文先生、久保木会長の奥様が来られました」
と言って、紹介してくださったのです。
☆
文先生はドアを開けて出てこられて、
にこにこ笑いながら、私の頭のてっぺんから
足の先まで眺(なが)め、
「あなたが久保木さんの奥さんですか」
とおっしゃり、続けて
「久保木さん、この道は、奥さん、
あなたも行かなければならない道なんです。
どうか来てください。
来てくれますね」と語られるのです。
☆
私がその時、どういう状況であるか、
普通に考えれば、私まで教会に来る
ということは、到底できない立場です。
長男が医者に見放されています。
長男の面倒を見ないといけません。
さらに3人の子供の面倒も、
義理の両親のお世話もしないといけません。
どうして夫のように教会に行くことができるでしょうか。
ですから私が常識的な精神状態であれば、
「ああ、そうですか、文先生。
でも、今は難しいです。
もう少し子供も大きくなれば、
そういうこともできるかも分かりませんけれども、
今は無理です」と申し上げたと思います。
☆
ところが、どうしたわけか、私にも
よく分からないのですが、
文先生のその言葉に逆らえないのです。
いざ文先生の前に立つと、なぜか家の事情は
すべて飛んでしまっていました。
言って言えないことはなかったのに、
その時はその事情を話すことができなかったのです。
文先生の言われた「奥さん、この道は
あなたも行かなければならない道なんです。
来てくれますね」との言葉に対して、
ただ「はい! 分かりました」の
一言の返事だけだったのです。
久保木哲子・著
(光言社・刊『回顧録 愛あればこそ』
〈2015年5月25日初版発行〉より)
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=21406
スマホで立ち読み Vol.27
回顧録『愛あればこそ』3
(光言社・刊『回顧録 愛あればこそ』
〈2015年5月25日初版発行〉より)
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回顧録『愛あればこそ』3
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何ヵ所か割愛しています
再編集 文責:ten1ko2
再編集 文責:ten1ko2
「長男の面倒」とありますが、
ご長男は小児喘息またアトピーだったそうです。
そんな大変な状況でありながら、さらには
他のお子さん、義理のご両親を置いて、
み旨の道に行かれました。
久保木先生が先駆けてみ旨に献身されたのもすごいことですが、
久保木夫人も同じようにみ旨に進んでいかれました。
久保木夫人はお父様の一言で
この道に飛び込んでいかれたのです。
教会の教理も知らず、お父様がどんな方なのかも知らず、
ただ夫を信じて、お父様の一言を信じて、
従っていかれました。
草創期の大先輩は、このような
困難な道を見事に開拓されていかれたのだ、
本当に敬服せざるを得ません。。。
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