入山副局長の
「幸福な人生には原則があった」
今回は、『人間の構造と霊界』です。
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第2講座 創造原理と人生の目的
人間の構造と霊界
人間の構造と霊界
聖書には、人間の創造について
次のように書かれています。
「主なる神は土のちりで人を造り、
命の息をその鼻に吹き入れられた。
そこで人は生きた者となった」
(創世記2章7節)
これは、人間が目に見える肉身と、
目に見えない「霊人体」の
二重構造になっていることを示唆しているのです。
地上の生涯を終えれば、肉身は土にかえりますが、
霊人体は、そのまま生き続けます。
ですから、一度生まれた人間は
決して消えてなくなることはありません。
人間は永生するのです。
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肉身は「肉心」を持っています。
肉心は肉身を維持し、繁殖させるために、
衣食住・性の欲求を持っています。
一方、霊人体は「生心」という心を持っていて、
「真善美愛」の価値を追求します。
人はみな、良いものを食べ、良い服を着て、
良い家に住むことを願います。
それも幸福の条件でしょうが、人間は
その欲求が満たされただけでは満足しません。
むしろ、それらを犠牲にしてでも真理を探究し、
愛と美を求め、善に生きたいと思うのです。
そうしてこそ自分の価値を感じることができるからです。
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このような人間の構造を見れば、
人間の生きる目的がわかります。
人間の本体、本性は肉身ではなく霊人体です。
その霊人体が求めるのが真善美愛の価値ですから、
そこに人生の目標の焦点を合わせて生きてこそ、
悔いのない人生を送ることができます。
そこに照準を合わせた生き方をしていかなければ、
人生の方向性を間違えてしまいます。
霊人体が求めるものは究極的には愛なのです。
それゆえに人間は、愛なくしては生きられないのです。
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では、何のために肉身があるのでしょうか?
肉身生活の目的は肉欲を満たすことではなく、
肉身を用いて愛を実践し、実感して
体恤(たいじゅつ)するところにあります。
肉身は空気を吸い、ご飯を食べて成長しますが、
霊人体は愛を呼吸し、愛を食べて成長するのです。
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霊人体の存在は、「霊界」が実在することを教えています。
永遠の世界で生きる霊人体があるので、
人間は「永遠に生きたい」という願望を持っているのです。
霊界は愛の世界です。
人にとって最後に残るのは、愛の実績です。
それを持って霊界に行くのです。
ですから、肉身の死が人生の終わりではありません。
肉身の死は第2の誕生です。
本来、人が愛を完成して死んだなら、
それは祝うべきことのはずでした。
愛する人との死別は悲しいことですが、
死は永遠の別れではありません。
いずれ、皆さんも霊界に行くでしょう。
そうすれば会いたい人にはいつでも会えるのです。
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地上で愛を完成した人間が行く霊界が「天上天国」です。
神は永遠なる愛の世界を人間のために準備したのです。
しかし、人間は堕落することで
愛を完成できないまま人生を終えるようになったため、
その心の基準に合わせて
さまざまな霊界の様相や階層が現れるようになりました。
愛の完成という人生の目的を見失い、
人や自分を怨(うら)み、罵り、傷つけるなどした人々が
つくった霊界が「地獄」なのです。
死んだら天国に行くのか地獄に行くのかと
心配する人がいますが、死後どのようなところに行くかは、
霊界に行ってから決められるのではなく、
地上での生き方によって自らが決めるのです。
それで、地上の生き方が大切なのです。
入山 聖基・著(光言社・
『幸福な人生には原則があった』より)
『幸福な人生には原則があった』より)
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再編集 文責:ten1ko2
統一原理を聞く前、死後の世界はないと思っていました。
地上の人生が終われば、何もなくなる、という風に。
しかし、み言を知り、霊界があることを知って、
地上の人生の尊さ、霊界に行くための準備期間である、
そのことを信じるようになりました。
今は、霊性を磨く時です。
昨日紹介した、
「お母さんの霊界からのメッセージ」のように、
霊界では、愛する先祖が私たちに
ささやいていることでしょう。
いえ、大声で叫んでいるといいます。
その声を聞きとることができるように、
悔いのない、人生を送っていきたいと思うのです。
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曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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