神様が完全な神様であれば、
アダムとエバは半分の神様です。
アダムも半分の神様、
エバも半分の神様です
アダムとエバは半分の神様です。
アダムも半分の神様、
エバも半分の神様です
文鮮明
(天一国経典『天聖経』4-1-1-12)
(天一国経典『天聖経』4-1-1-12)
先日ご夫妻の証しを紹介しましたが、
梅本憲二先生が
「真の父母様宣布」サイトに寄稿された
メッセージの一部を二回に分けて紹介します。
☆
16 真のお母様と一つになって生きる
「真のお母様と一つになって生きる」
というテーマを考えるとき、
筆者にとって原点となるお母様のみ言があります。
それは前出のお母様を囲む特別集会(注1)でのみ言です。
――実は、筆者も恵みを得て、このツアーの一員として
同集会に参加させていただいていたのですが――、
その集会でお母様は、
「皆様は真のお父様を愛し慕って来ましたね?」
とたずねかけられ、皆が「はい」と答えると、
お母様はすかさず「では皆さんは、
これまでどれだけ私にそのようにしてくれましたか」
という主旨のみ言がありました。
その率直なお母様のみ言は、
そこにいた者たちの心に痛く響きましたが、
しかしそれはまた「お母様の時代」が来たことを、
はっきりと自覚させられるみ言でもあったのです。
☆
ところで、そこでの
「どれだけ私にそのようにしてくれましたか」
というお母様のみ言は、今日、お母様がいろいろな場で語られる
「私と一つとなってほしい。
そこに勝利の道があるのです」
というみ言と、軸を同じくするものではあるのです。
しかし、そこには、日本の家庭連合の幹部や
先輩家庭に対してであればこそ訴えたい、
一歩踏み込んだお母様の願いが込められていたように思います。
すなわち、そのみ言からは、単に
「私と一つになってほしい」ということにとどまらず、
われわれが真のお父様に対してそうであったのと
同じ心情基準≠ナ、
お母様に対してもそうあって欲しい、
というお母様の切なる願いが、感じ取れるのです。
☆
しかしそれは、お母様の願いだけにとどまらず、
まさしく天の父母様の願いでもあり、
また真のお父様の願いでもあると言えるでしょう。
なぜなら、真のお母様は御聖婚以後52年間に亘り、
真のお父様と一つになって過酷な十字架の道を歩まれ、
最終的に真のお父様と共に、真の父母として
勝利されたからであり、また真のお父様聖和以後、
「私だけが残りました」という心境で
「中断なき前進」を宣言され、今尚真の父母様の
代表として地上の摂理を牽引されておられるからです。
否、それだけではありません。
より本質的な次元から言えば、
真の父母様が実体的に定着されたということ、
すなわち、絶対、唯一、不変、永遠的な
真理的実体となられたということは、
真のお父様は父なる神(神の男性性相)の、また真のお母様は
母なる神(神の女性性相)の顕現者となられた、
ということを意味するものです(注2)。
そしてそのことは、両者(真のお父様と真のお母様)が、
同等の絶対的価値を持ち、
侍られるべき存在であることを意味しています。
なぜなら「統一原理」的観点から見れば、
男性と女性は、その属性は対象的であるが、
共に同価値を持っていると言えるからです。
またもっと単純に言えば、真のお父様は未来永劫にわたって
われわれ全人類の共通の父(アボジ)であり、
真のお母様は未来永劫にわたって
われわれ全人類の共通の母(オモニ)であるからです。
そこで、今一度、本稿冒頭の以下の
真のお父様のみ言を、再度確認しておきたいと思います。
☆
「お母様を中心として皆さんが
一体になっていかなければならない時が来ました。
……お父様がいないときは、
お母様のことを思わなければなりません。
……先生の代わりにお母様に侍る心をもち、
祈祷もそのようにするのです。
今までは先生を愛してきましたが、
これからはお母様を愛さなければなりません。
これからはお母様の時代に入っていくことを理解して……」
(「選集」265−310、1994・11・27、『絶対価値』116〜117頁)。
「大いに尊敬しなければなりません。
……先生よりも、お母様をもっと重要視できる
統一教会員になれば福を受けるというのです」
(「選集」220−236、1991・10・19、『絶対価値』118頁)。
(注1)本稿[14の2善神の業]で言及しているが、
2016年のクリスマス集会の折に持たれた特別集会。
(注2)「神様が完全な神様であれば、アダムとエバは半分の神様です。
アダムも半分の神様、エバも半分の神様です」
(天一国経典『天聖経』4-1-1-12)
2016年のクリスマス集会の折に持たれた特別集会。
(注2)「神様が完全な神様であれば、アダムとエバは半分の神様です。
アダムも半分の神様、エバも半分の神様です」
(天一国経典『天聖経』4-1-1-12)
特別寄稿文 <信仰手記>
真のお母様の時代に生きる
――ユダヤ・キリスト教の伝統との対比の中で考える――
梅本憲二(777双)
https://trueparents.jp/?page_id=7277
(真の父母様を中心に一つになろう)真の父母様宣布サイト
真のお母様の時代に生きる
――ユダヤ・キリスト教の伝統との対比の中で考える――
梅本憲二(777双)
https://trueparents.jp/?page_id=7277
(真の父母様を中心に一つになろう)真の父母様宣布サイト
☆
失礼ながら「敬体」文に
変えさせて頂きました。
再編集 文責:ten1ko2
変えさせて頂きました。
再編集 文責:ten1ko2
やはり、真のお母様が今この時に
独生女、独り娘であるということを
改めて示された内容であると思わされます。
先日も紹介しましたように、
知的に理解していては、限界があるのです。
やはり、神霊的に、心情的に求めなければならないと思います。
2000年前もそうでした。
律法学者、パリサイ派のように、
知的に優秀な人は、イエス様を
理論的に批判しました。
しかし、頭がいい人が、神様に近いのでしょうか?
そうとは言い切れないのではないと思うのです。
梅本先生は神学的な観点から、
また、歴史的な背景から、
今の時代の重要性を詳しく語られています。
私が紹介しているのは、
結論的な部分ですので、
詳しくは特別寄稿文をご覧になってください。
https://trueparents.jp/?page_id=7277
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あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
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