神明先生のエッセイ。今回は、
「オリンポ聖地巡礼での真のお父様との心情的出会い」です。
☆
UTSの仕事で多忙だったのですが、
ブラジル・ジャルジンでの40日修練会
(「世界平和と理想家庭のための40日特別修練会」)の重要性を知っていたので、
1999年の夏、妻と長女と共にそれに参加させていただきました。
そのとき、一番印象に残ったのはオリンポ聖地巡礼での
真のお父様との強烈な心情的出会いでした。
それをここに記すのは、自分の体験を誇示するためはなく、
お父様のご聖和後の今でも真の父母様の心情圏を体験して
前進できる希望があるということを示したいためです。
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オリンポ巡礼が行われた日は、8月3日でした。
数十人の私たち一行を乗せた船は、パラグアイ川を
上流に向かって8時間かけてゆっくりと進みました。
ジャルジン修練所スタッフの申明基先生から
真の父母様の遠大なるパンタナル構想を聴きながら、
パラグアイ川の流れる水や周りの景色を実際に眺めると、
それを通して世界と人類を愛される真の父母様の心情が
そのまま伝わってきて、私は何度も泣きました。
しかもそれは、迫害や反対から来る幾多の困難を乗り越えながら、
そこに未来の理想世界の出発の礎を築こうとされる
真の父母様の不変・不屈の愛の心情なのです。
さらに、真の父母様がその前年の1998年の5月15日に、
最大の怨讐とも言うべき朴マリアを赦して祝福を与えるための条件を、
パンタナル荒野での3日路程を通して立てられたことも聴きました。
朴マリアの反逆ゆえにすさまじい苦労に満ちた
40年荒野路程に追いやられたのに、愛をもって彼女を赦せるとは≠ニ、
胸が詰まり泣けてきて、周りの兄弟姉妹に見られないように、
船に揺られる中で始終両手で顔を覆っていました。
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「今回のオリンポ巡礼ではお父様に現地でお会いできる保障はない」と、
初めから言われていました。
しかし、船がナビレキのホテル・アメリカーノ(支店)に到着する少し前に、
お父様が私たち一行に会うためにそこで待っていらっしゃる
というニュースが発表されたのです。
それで、皆は割れんばかりの拍手と非常に大きな歓声で喜びを表現しましたが、
私はすでにお父様の心情を深く感じてしまって、
お父様にお会いしてしまったと思ったので、驚くこともなく、
声も出さず、静かに、ただ軽く二、三度手をたたいて拍手しただけでした。
ついに船が到着して、船から降りるとき、私の体は
心情的な興奮のせいか引き締まらず、霊界を浮遊しているかのごとく、
ただゆらゆらと踊るような感じでした。
やっと両足が着地したとき、このホテル・アメリカーノの場所が
あまりにも貴い場所に感じられ、祈るような心で頭を下げました。
☆
お父様が私たちに会ってくださる場所は
そこから30メートルくらい離れていましたが、
私は何かに誘導されるかのごとくスーッと引っ張られていきました。
自分の足で歩いているという感覚が全然ありませんでした。
いよいよお父様にお会いしたとき、私はお父様の目に入らないような片隅で
控えめにしてうつむいていましたが、
お父様は8時間の船旅で培われた私のお父様への心情を感じ取られたせいか、
即座に私に目を付けられて、「証しをし、感想を述べなさい」と言われました。
霊的な心情世界ではお父様とすでに通じていたと思っていたので、
このようになるのではないかという予感はあったのですが、
やはりそうなってしまいました。
お父様は霊能者であられたのです。
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私の証しでは、まず、たとえ今回のオリンポ巡礼において
現地でお父様にお会いできなかったとしても、がっかりせずに、
神様と真の父母様のみ旨に対する自分の姿勢は絶対に変わらない、
という決意でここに来ましたと述べました。
英語での証しなので、「絶対に変わらない」 のところを
「ネヴァー・チェンジ」 と言いました。
そしたら、お父様もそれに呼応して大声で 「ネヴァー・チェンジ」
と言って喜んでくださいました。
それから、私も、怨讐・朴マリアを愛し、赦して祝福された
お父様のようになりたい、お父様のように大海よりも大きな愛の懐で
全てを包めるようになりたい、と決意表明をしながら号泣してしまいました。
☆
その証しの後は、皆に対するお父様のみ言になりましたが、
私がそのまま自然の成り行きでお父様の通訳となってしまいました。
それはそれは、もう天国が来たような感じでした。
途中で、お父様の日本語によるみ言が自然に
韓国語になってしまったときがありました。
大体分かっても細かいところまで通訳できなかったので、通訳が滞りました。
そのとき、そこにいたある韓国人リーダーが代わりに流暢に通訳しましたが、
お父様は意外にも「やめろ」と叱りつけられました。
通訳はあくまでもこの私にさせるという意気込みでした。
それで、再び日本語で話し始められました。
このような不足な日本人でも、その場では
心情的相対として用いてくださったことに感謝すると同時に、
申し訳ないという気持ちにもなりました。
ジャルジンの修練所に戻った後の修練会の最中にも、
お父様が怨讐を愛することの重要性を語りながら、
何度も私の名前を呼んでくださいました。
そして、真の父母様との入籍写真撮影で私たちの番が来たとき、
お母様が笑顔で「神明ファミリー」と呼ばれて、
お父様も大きなうなずきと笑顔で反応してくださいました。
☆
実を言いますと、そのころのUTSは大きな財政的問題を抱えていて、
どのように解決しようかと頭を悩ませていたのですが、
真の父母様の愛と赦しの心情世界に触れることによって、
その悩みも吹き飛んでしまうほどでした。
再び言いますが、私は、お父様が聖和された後の今も、
真の父母様が残された愛と赦しの世界はいつでも体験できると思います。
真の父母様の伝統は生きています。
なので、どんなことがあっても頑張っていきましょう。
UTS時代の神体験
:ドクター神明の信仰エッセー
「オリンポ聖地巡礼での真のお父様との心情的出会い」
神明忠昭
(世界家庭にて連載)
:ドクター神明の信仰エッセー
「オリンポ聖地巡礼での真のお父様との心情的出会い」
神明忠昭
(世界家庭にて連載)
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神明先生は、お父様と何度も直接会われて、
心情的な体験をされています。
もちろん素晴らしいことであり、
すでに霊界に行かれたお父様とは、
直接お会いすることのできない私たちからすると
羨ましい限りです。
しかし、神明先生は、
そのことが重要なのではない、と語られるのです。
いずれ私たちは霊界に行きます。
そこで待っておられるのが、お父様です。
お父様とどのような出会いができるのか、
そのための今の信仰生活であり、
み旨である、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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