2024年01月16日

私たちは本物なのか?! だんだん大きくなっていく、これがホントの宗教、団体 《金元弼先生のベストアンサー》 



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心と体が一致しない私たち、
見えない神様と一つとなるためには、
どのようにしたらいいのでしょうか。

金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「完全な救い」の3回目
「天宙的な自分を形成したか」

天宙的な自分を形成したか

メシヤを中心として、いかに為に生きる私になったか、
メシヤの願いにかなった、
天宙的な自分を形成したかということが問題です。

兄弟のために生きたら、兄弟は私を嫌がりません。
それが実証です。

今、私たちはみ旨の前に、人類のために活動しています。
メシヤを中心として、一致していく完成の道なのです。


私はこれをしたいと喜んでやる人も、
義務と使命感で、神はこうであるから…
としてやる人も、本質においては同じです。

人のために、私の愛をささげるのです。

人のためになったということは生きがいとなります。
心が良くなります。

その確証としては、自分が完成していく過程において、
本当に良かったという生きがいを感じるのです。

完成の確証というのは、人々が私を好むようになるか、
嫌がるかで分かります。

私を好まないというのは、
ためにならないから好まないのです。
人はその人のためになってくれる人を好むものです。

 
メシヤが、私たちにこれをしなさいと言われます。
そして動けば発展するのです。

動くということは作用することであり、
作用するということは、授受することであり、
授受したら繁殖します。

神から受けた愛を発展させるためには、
人のために生きるという心を
発展させていかなければなりません。

個人のために成功すれば家庭の中に、
家庭のために成功すれば氏族の中に、
このようにして天宙のために、神のためにと、
完成という基準に向かっていくのです。

これがありがたい指導者です。
偉大なる指導者は何のために
私たちを導いていくのですか。
次元の大きい道へ導いていく人が良い指導者なのです。

U 先生の道は我々の伝統
第十二章 完全な救い
「神が人間に与えた愛の型」

信仰生活シリーズ 6
「伝統の源流 主と歩んだ教会創立以前の道」 
金元弼(1998年7月1日発行)
*『信仰と生活第二集伝統の生活化』を改題
再編集 文責:ten1ko2


自分たちは、本物だ!
それは私たちが思うより、
周りの人達に思ってもらうことが重要です。

人の為に生きる、と言いながら
本当の意味で、社会に貢献する私たちなのか、
そのことを問わなければならない時を迎えています。

神様なら、お父様なら、イエス様なら、
どのように与えていかれるのだろうか、
そのことを意識していきたいと思うのです。



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posted by ten1ko2 at 10:55 | Comment(1) | TrackBack(0) | 金元弼先生 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月15日

「原理」を身に着けると、人が磁石のように引き付けられてくる?! 《喜びと幸せの生活伝道》

「み言は神業の基」



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篠崎先生のみ言。
今回は、「み言を実践して生活化」を紹介します。



 「み言の目的は実体であり、
  実体の目的は心情である」


(『祝福家庭と理想天国(T)』266ページ)


訓読の目的は、私たちが神様に似た者となり、
真の愛の実践を通して天一国の主人になることです。

毎朝み言を訓読しながら、私がきょうなすべきことを探します。
その場で心に残ったみ言は、真のお父様が私に与えてくださったみ言なのです。

「このようにしなければならない」と悟ったことは、
天から私たちに与えられた責任分担になるのです。

そのひらめきを生活圏で必ず実践するのです。
そうすることで、本来人間に願われた
「み言による自己創造、環境創造」をなすことができます。

そのようにして、み言の実体になることができるのです。
どのような悟りも実践しなければ意味がありません。

 
ある有名な原理講師の先輩がいます。

韓国の先生が日本の責任者たちに
『原理講論』の重要性について説明したとき、
「『原理』のこの内容はどこに書いてあるか分かる者、
手を挙げてみなさい」と聞いたそうです。

そのとき、その先輩だけが「何ページの何行目です」
と答えたといいます。

その先輩は『原理講論』を何度も熟読し、一字一句検証しながら、
分からないところがないように研究し尽くした上で、
原理講義案を作っていたのです。

私は信仰生活を始めた頃、初めてその先輩に会ったときに、
「み言は神業の基」とサインしていただきました。

それが原理学習のきっかけとなり、
その後さまざまな講師の講義を受けては、
自らの原理講義案を作り直したのです。

 
『原理講論』のみ言の土台の上に、真の父母様のみ言を理解し
生活化してこそ、人は生まれ変わるのです。

正しく「原理」は神様の心情を教える真理です。
神様はこの真理の力によって役事(やくじ)され、
霊界が動員されるのです。
人は、そのような人に磁石のように引き付けられてくるのです。

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
四、訓読生活と霊界動員
み言を実践して生活化
(blessed lifeより)


「有名な原理講師」
佐野先生でしょうか、でなければ
周藤先生でしょうか。。。

一字一句どこにどんなみ言が書いてあるか、
理解されている、そんな証しを読みながら、
長い間拉致監禁を受けていた
後藤徹さんのことを思い出しました。

一度拉致監禁を受けた後、何かあった場合の対策として、
しっかり原理武装しないといけない
そんな思いにかられて、必死になってみ言を求め、
お父様のみ言を何度も何度も、
(そら)んじることができるほどに訓読を捧げていきました。


 歴史上から見て、善人たちは常に打たれてきました。
 聖人たちも常に打たれてきました。

 ただそれだけを見ると
 彼らはみな負けたような姿でありました。

 しかし、彼らは決して負けたのではありません。
 彼らは必ず最後の勝利を勝ち取るようになっているのです。

 これが天の戦法です。
 イエス様もそのような戦法をとられたのです。

 それゆえに、我々の歩む道は決して平坦ではありません。
 苦痛と受難があふれている道を我々は歩いていくのです……


(生涯において何をなすべきか 1970年9月27日)
後藤さんが諳んじたみ言


み言は、まさに生命です。
私も「必ず道がある。見つけ出しなさい」
このみ言をひたすら信じて、
拉致監禁の時に脱出することができました。

困難な環境のときほど、み言の貴さを感じます。
日々の生活でも求めていきたいと思います。




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2024年01月14日

「神様はいつも見ている」より、善霊を装う悪霊たちがいる・・・! 《心霊体験記・フィクション版》



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「死んだらわかるけど、それでは遅い」
でお馴染みの先生のお話しが、
フィクション版として、ウェブ連載されています。

その中で、とても興味のある回がありましたので、
ご紹介します。
題目は「善霊を装う悪霊」です。

神様はいつも見ている 39
〜小説・K氏の心霊体験記〜

 小説・K氏の心霊体験記「神様はいつも見ている」。
 世界平和統一家庭連合の教会員、K氏の心霊体験を小説化したものです。一部事実に基づいていますが、フィクションとしてお楽しみください。同小説は、主人公K氏の一人称で描かれています。

第7部 霊界と共に生きるわが人生
2. 善霊を装う悪霊


霊と交流するときに難しいのは、時に霊が
間違ったことを指導する場合があるということだ。

時に善霊を装って悪霊が暗躍し、
間違った誘導や指示をすることがあるのだ。

前身が人間であった霊は、
自分の知恵のレベルで物事を判断し、
神様の指示ではないことを伝えてくるということもある。

神様の摂理が1段階上がることで、
それまでの指示とは違った内容を示してくることもある。

そんなときは、前と同じことを続けていると、
かえって神様の願いとずれてしまうのだ。

 
私の場合、それは私の家系の問題から
1段階飛躍しなければならない時期に起こった。

統一教会(現・家庭連合)に入会したとはいえ、
基本的に私の信仰のベースは神道だった。

そしてその頃の統一教会では
まだ霊の分立を行う役事が始まっていなかった。
だから私は、引き続き母を通して
霊的な整理や指導を受けていたのだ。

私が統一原理を学び始めて1年がたった頃のことだ。
ある霊が母に入って、私に諭すように語った。

「あなたはよくやってきた。
神様の願いに十分に応えてきた。
今後は、統一教会のことから少し離れてもいい」

「どういうことでしょうか?」

私は驚いて聞き返した。

「あなたには特別な使命がある。
それは神道を復帰する使命である。
だから統一教会へ行くよりも、
神道の信者を救うために、こちらでやった方がいい」


私は霊の言葉に違和感を覚えた。

須佐之男大神(すさのおのおおがみ)や私の守護神ならば理解できるが、
先祖の霊なのか何の霊なのか分からない霊が
そこまで言うのはおかしいと感じたからだ。

「本当にあなたは神様なのですか?」

するとその霊は、私を脅すようなことを言い始めた。

「あなたがこれ以上、統一教会の信仰を続けたら、
あなたの母親の寿命が縮まる。
そうなってもいいのか」

その言葉を聞いて、私はますます疑念を抱いた。

「本当に、天の神様がそう言ったのですか?」

そう尋ねると、その霊は黙り込んだ。
私はもう一度、聞いてみた。

「本当に、天の神様がそう言ったのですか?」

答えはなかった。
 

それで、もう一度、3回目の質問をした。
すると、それまでとは違った雰囲気が霊に漂ってきた。

「天の神様は」

その声は威厳に満ちていた。

「統一教会を離れることを願ってはいない。
世界の救いを願っている」

私はその言葉を聞いて、
前の霊は善霊ではなく、
悪霊であることを悟った。

 
私は以前、妻を復帰するために祈祷条件を立てた時、
会社の同僚が毎日夜の飲み会に誘ってきたことを思い出した。

あの時も、私の条件を崩そうと、
悪霊が誘惑してきた。

今回も、悪霊が善霊を装って、
私が統一教会で本格的に活動することを
邪魔しようとしているのだ。

私はそのことによって、ますます統一教会に
神様の願いがあるということを確信したのである。


そんな時、私は夢を見た。

目の前には、広大な海が広がっていた。
波が永遠の時を刻むように、
浜辺の砂に寄せては返している。

はっと気付いた時、そこには、
私と文鮮明(ムン・ソンミョン)師が立っていた。

なぜかは分からないけれど、私は神棚を抱いていた。

かなり大きな神棚だったので、重いはずだったが、
その時は重さを感じないほど軽かった。

神棚と私は強い絆で結ばれている気がした。
神棚を持っていると、なぜか不安が消えて安心できるのだった。

文師は、そんな私を見つめて、少し困ったように、
「それはもう要らないよね。
いったん置きなさい」と言った。

私は戸惑い、なぜか恐れを感じていた。
この大切な神棚を捨てられてしまうのではないか、
壊されてしまうのではないかと…。

もしそうなったら、自分の心が
無くなってしまうような焦燥感を覚えた。

「文先生、これは私が子供の頃から家にあった大切なものです」

「大切なものだから、いったん置いたらいいよ」

私は、それでも神棚を手放す決心がつかなかった。

「じゃあ、私が置いてあげるよ」

そう言って文師は、持っていた棒で砂浜に線を引いた。

砂浜なので、普通はぐにゃぐにゃ曲がった線に
なるはずだが、文師が引いた線は、
幾何学模様のように正確な直線だった。

棒で引かれた線を中心に
砂浜が二つの世界に分けられていた。

その線は、全く別の二つの世界、
地上界と霊界の国境線のように見えた。

「さあ、それを渡しなさい」

文師は、私の手から神棚を取ると、
線の向こう側に置いた。

その瞬間、私の中に何かが反転するように
劇的な変化が生じたのを感じた。
意識が鮮明になり、気分はすっきりとしていた。

「心配するな。時が来たら、返してやるよ」

夢はそこで終わった。

 
目が覚めてから、あの夢はどういう意味が
あるのだろうかと、私は考え込んだ。

文師は、「霊的なことを、いったん切りなさい」
とおっしゃりたかったのではないか。

私が悪霊にだまされそうになったのも、
あまりにも霊的なことに接してきたからだ。
だから、いったんそこから引くことを教えたかったのではないか。

実際、霊能者と呼ばれる人間が
悪霊によって惑わされてしまうケースも少なくない。

私は、夢の内容を警告と受け止め、
その後しばらくは、霊的なことに一切関わらないようにした。

神様はいつも見ている 39
〜小説・K氏の心霊体験記〜
徳永 誠
第7部 霊界と共に生きるわが人生
2. 善霊を装う悪霊
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=22740
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


霊界は私たちの目には見えません。
そして、善霊もあるし、悪霊もあります。

さらには、ここで紹介しているように、
霊人が入れ替わる、ということがあるのです。

原理講論にはこのように書かれています。

「悪神の業は、時間がたつにつれて
不安と恐怖と利己心を増進せしめ、
また健康をも害するようになる。
それゆえに、このような霊的な業は、
原理が分からない人にとっては、
それを見分けることが非常に困難であるが、
時間が経過するに従って、その結果を見て、
その内容を知ることができるのである」

K氏に現れた霊は、
教会との関わりを持たせないように、
働いていることを考えると、
やはり、「悪霊」なのです。

そう考えると、善霊と悪霊の見分け方は
原理講論に書いてあるわけですが、
今、清平天心苑で行われている
霊的な証しは、どうなのでしょうか。

もちろん、「善霊」、いや「絶対善霊」が働いているわけです。
ですから、そこで受ける霊的メッセージ、悟りというものは、
「善霊」として働いているのです。

天心苑徹夜祈祷精誠を通して、
霊界から受ける恩恵をいただくために、
さらなる精誠を捧げていきたい。。。
そのように思うのです。





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posted by ten1ko2 at 06:57 | Comment(1) | TrackBack(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする