2024年01月13日

イエス様から啓示! その時、何語で話したか?! 《周藤先生の証し》



Al Capp.jpg


はい、(イエス様とは)
韓国語で話しました。
霊的な会話は直接
心と心でなされるのです。




先日聖和された周藤先生・・・
周藤先生の証しは、まだ紹介していないものが多くあり、
今後も折を見て掲載させていただきます。

以前掲載した中で、とても印象に残る証しを紹介します。

イースターにイエス様に会ったという
驚くような証しです。


以前ある霊能者が、私に
「イースターの日にイエスに会うだろう」と言いました。
私は、バプテスト教会では日曜学校の教師をしていて、
中学生を連れてイースターの日に遠足に行こうとの話をしていました。

いよいよイースターの日になり朝六時頃
ふっと何となくすがすがしい気分になりました。
森の中に静かに座っているような感じがして、
目が覚めたのか眠っているのかわからない感じでした。
中間にいたのだと思います。

ハッと気がつくと声がして、『我、復活せり』と言ったのですが、
あと半分は理解できませんでした。
『あれっ! これは何だろう。これは誰だろう。
ああ、きょうはイースターではないか。
ではあれはイエス様だったのか』と思った時、
霊能者が言ったことを思い出したのです。

そのようにして、私とイエス様との交流が始まりました。
ゲッセマネの十字架の背後の関係とか、
自分は十字架につけられるために来たのではなかったとか、
十字架は人の目には惨めであっても、
イエス様にとっては最高の栄光であったとか、
しかしそれは神のみ旨ではなかったとか、
イエス様は神ではないとか、いろいろなことを語られました。

これらの話は教会の牧師さんの話と全く違うので、
ますます混乱してしまい、錯綜(さくそう)に錯綜を続けました。
ですから牧師さんにもこのことについては何も言えず、
また、誰に話しても理解してもらえないと思ったので
誰にも話さず、自分で解決の道を探したのです。

ある時は潮岬に一人で旅をして、
岩の上に座って一晩明かして瞑想してみたり、
生駒山の中腹で一晩明かしてどうなんだろうかと考え、
滝に打たれたり、いろいろなことをしてみました。


15歳の真のお父様がイースターに
イエス様と出会われましたが、
それと似たような道を行かれたのでした。
とても使命のある方なんだと思います。

周藤先生はイエス様からのメッセージに対して、
何語で話されたのか、
また、お父様はどうだったのか
そのことを最近、語られています。


お父様は昔、アメリカでインタビューを受けました。
その時に、イエス様から啓示を受けたことに
話が進んでいきました。

記者たちはこう質問しました。
「イエス様は何語で話されましたか?」

その時に、お父様はすぐさま、
次のように答えられたのです。
「韓国語です」
その答えに、記者たちはみんなあっけにとられました。

私も若いころ、
実はイエス様から啓示を受けたのです。
その時の言葉は何語だったと思いますか?
日本語なんです。

じゃあ、イエス様は韓国語を話すことができるのか、
日本語が話すことができるのでしょうか。

私なりの解釈ですし、
正しいかわかりませんが、こう思います。

イエス様は想念だけを送られたのです。
その想念を自分の一番得意な言語に移し変える
私たちは特別なメカニズムを持っている、
そのように解釈します。

だから、お父様の得意の言語は
当然韓国語だから韓国語に、
そして、私は日本人ですから、
日本語として啓示を受けた・・・
そのように思います。

でも、これは、正しいかどうかはわかりませんよ。


周藤先生の言葉は、名回答です。
全世界、様々な国籍の人たちが
イエス様から啓示を受けていると思います。

もちろん、その人たちの母国語で
イエス様はメッセージを語っているに違いありません。

お父様が即座に
「韓国語です」
そのように答えられたのは、
本当にそうだったのだということなのです。


また、周藤先生のお話されたインタビューとは
同じかどうか分かりませんが、
お父様がテレビインタビューを受けた時の映像があります。

そこで、お父様が明白に答えておられます。

司会:ミスタームーン、あなたの特筆すべき経歴の中には、
16才のとき、イースターの日曜日にイエスと会話したとか?

文師:はい。啓示と幻影を通して。

司会:では、イエスの韓国語は上手でしたか?
アクセントなんかはどうでしたか?

文師:はい、お互いに韓国語で会話しました。
つまり、霊界や霊的な交流の中では精神と精神、
心と心で会話が成り立つのです。




(ファミリーフォーラムとは訳が違います)





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2024年01月11日

真の父からの霊的メッセージ、真の母、元旦へのみ言も披露 《年越し*全世界天心苑特別精誠》

家庭連合の年明けは、全世界ともに天心苑カウント・ダウン 
ワン・オンマでスタート!


240111-2024.0101.jpg


世の中の人たちは日の出を見るために
海や山に集まりますが、
家庭連合は天心苑と一つになって
精誠を尽くして新年を迎えなさい


韓鶴子総裁
2023.12.31朝



元旦のブログでも紹介しましたように、
2024年は、天心苑の徹夜精誠祈禱会の中で、
全世界が中継でつながる中、
ワン・オンマ、真のお母様(韓鶴子総裁)の
み言を受けて出発しました。

中和新聞とHJグローバルニュースから
抜粋して、お伝えします。
(真のお母様、李基誠イギソン苑長のみ言も掲載)

全世界で天心苑徹夜精誠祈祷を
捧げて新年を迎える
天一国11年天暦11月19〜20日
(2023年陽暦12月31日〜2024年陽暦1月1日)
韓国・HJ天宙天寶修錬苑および全世界圏域


「ビジョン2025」を2024年に
成し遂げることを決意

 
2023年12月31日午後8時から、韓国・HJ天宙天寶修錬苑の天城旺臨宮殿大聖殿で、韓国の天一国指導者や祝福家庭など約5000人が集まり、「2024元旦全世界天心苑徹夜精誠特別祈祷会」が開催されました。真のお母様が天正宮博物館から見守られる中、世界194か国の天一国指導者や祝福家庭もインターネット中継を通して参加しました。

■真のお父様からのメッセージ「父母は一つ」

李基誠・天心苑苑長が挨拶に立ち、次のように語りました。

「昨日の朝、お母様が指導者たちに語られた、

『世の中の人たちは日の出を見るために
 海や山に集まりますが、
 家庭連合は天心苑と一つになって
 精誠を尽くして新年を迎えなさい』


というみ言が、このように実現されました。

2024年の締めくくりをするときには、
HJグローバルアートセンターをいっぱいに埋めて、
一つの心、一つの志で讃美、讃揚しながら
『ビジョン2025』勝利のラッパを吹く、
その日を準備していきましょう。


昨日、霊性40日修錬会の修錬生が、
真のお父様から次のようなメッセージを受けました。

『私はお母様と一つになった。
いつでもどこでも共にしている。
父母は一つだ。

お母様の書信にも“お父様の考えが
私の考えになった”とあるではないか。

それは完全一体を言うのである。
一体になったのに会うことができない
などということは話にならない。

私はいつでもどこでもお母様と共にある。
これが原理であり、これが真理である』


この心で進むならば、甲辰(きのえたつ)の年、
青龍の年に龍が昇天する姿を見ることでしょう」

■悔い改めと決意の「合心祈祷」

 司会のカウントダウンによって午前0時が告げられると、スクリーンに、「創造主天の父母様に似た真の愛を実践する天一国の真の主人となろう!」の文字が現れました。これは、お母様が2014年の元旦に、その後の毎年の年頭標語とするように語られたもので、その標語の意味を説明されるお母様の映像が、5分間にわたって上映されました。

全世界で天心苑徹夜精誠祈祷を
捧げて新年を迎える
天一国11年天暦11月19〜20日
(2023年陽暦12月31日〜2024年陽暦1月1日)
韓国・HJ天宙天寶修錬苑および全世界圏域
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=9974
(光言社・中和新聞より)


そして流されたこのみ言は、
10年前、2014年の元旦のメッセージでした。


240111-2014.0101.jpg


2024年1月1日零時、元旦を知らせる鐘の音が鳴り響き、
真のお母様の元旦のみ言が伝えられました。

(年頭標語は)「創造主・天の父母様に似た
真の愛を実践する天一国の
真の主人になろう!」です。

日々生活していく中で
天の父母様を忘れてはいけません。

私たちの使命は伝道をして
人々を教育しなくてはいけません。
堕落した人間を復帰しなければならないという話です。

ですから私たちがすべきことは伝道です。

神様のような真の主人意識を持って、
すべての面で一つになって、協力しながら、
このみ旨を必ず果たさなければなりません。

私たちは統一の家族です。
一つの家族です。

この目標を中心に、どこにいても一つの心、
一つの願いで、この目的を達成しなければなりません。

創造主、天の父母様が私たちを信じて、
喜ぶことができる実績を、毎月・毎年、
より大きく、高くお返しする
真の孝子・孝女・忠臣になりましょう。

ただ行ったり来たりする人になってはなりません。
全ての面で、責任をもった面で、
主人意識を持って責任ある行動をしなければなりません。

新しい一年を出発するにあたり、
これが祝福のみ言です。

天一国11年 天暦11月25日(陽2024.1.6)
HJグローバルニュース
再編集 文責:ten1ko2



天心苑祈祷会は、
霊性の啓発、心情復活の重要な場だと思います。

太鼓をたたいて、大声で叫ぶ・・・
しかも個人で祈る時間はわずかです。

客観的にみると、これが祈祷会?
と思ってしまいますが、
「祈祷は祈闘である」ともいわれるように、
霊的戦場に向かう最前線が、清平天心苑である、
そう考えると納得がいくと思います。

今、特に二世たちが本当に復興していて、
多くの霊的体験を受けています。

二世は年も若いし、心も柔軟だと思うし、
やはり、霊的な聖さも格別です。

私たちも祈祷会を通じて、
霊性を高めていきたい、改めて思うのです。



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posted by ten1ko2 at 10:14 | Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年01月10日

人生が走馬灯のようによみがえる 私を蘇かしてくれる♪「園の歌」 《思い出の聖歌*最優秀作品》



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U-ONE TV 34周年企画(昨年)の一つとして実施された
「“あなたの思い出の聖歌”大募集」
最優秀作品に選ばれた
「園の歌」(39番)の「思い出」を紹介します。

私の思い出の聖歌 1
証し「私を主の前に導いてくださる“園の歌”」

60代、男性(6500双)

 主はおのが園に来たる 
 その香り満ちて
 百合(ゆり)が咲き乱る
 百合がほほえむ
 恵みのにわか雨
 主が降らせ給(たま)えば
 死人また蘇(い)
 死人また蘇く

 信仰歴、40年。
 「園の歌」はいつも共にあった聖歌でした。

 振り返れば、「園の歌」は真の父母様と
 出会って以来、うれしい時も、つらい時も、
 いつも私の人生と共にあった一曲だといえます。

 青年時代、小さな集まりや教会での祈祷会で
 兄弟姉妹たちと一緒によく歌いました。

 家庭での夜の祈祷会、訓読会で賛美する聖歌も
 「園の歌」が定番でした。

 妻と一緒に歌った最多回数の聖歌も「園の歌」。

 そして、事故で命を絶たれ、病院のベッドに横たわる
 妻の遺体に寄り添っている時、
 口をついで出てきたのも「園の歌」でした。

 主は己(おの)が園に来たる
 その香り満ちて
 百合(ゆり)が咲き乱る
 百合がほほえむ


 家族皆で賛美すれば、主(神様と真の父母様)を
 迎えて、なんだかうれしくなりました

 恵みのにわか雨
 主が降らせ給えば
 今の試練苦労も
 後(あと)の栄(さか)えなり

 地上での試練も苦労も、そして愛する者との別れも、
 悲しみを乗り越え、全てをみこころと受け止め、
 感謝の思いで主の栄光を賛美しました。

 「園の歌」を聴けば、
 「園の歌」を歌えば、
 人生の大切な場面が
 走馬灯のように思い出されます。

 「園の歌」はどんな時であっても、
 私の心を平常心に戻してくれる聖歌です。

 迷いや葛藤が生じた時、悲しみや怒りを抱く時、
 喜びやうれしさを感じる時、どんな時でも 、
 
 「ああ神様はいらっしゃる」
 「真の父母様と共に生きていこう」
 「人生、山あれば谷あり」、
 
 どんなことがあっても自分を見失わず、
 責任を果たしていこう、と教えてくれるのが
 「園の歌」なのです。

 主を信ずるものよ
 この御言(みことば)受け
 君に続け
 君に続け

私の思い出の聖歌 1
証し「私を主の前に導いてくださる“園の歌”」
https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=22532
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2




試練を越える時、それは神様とともに越えていきます。
その神様に代わるのが、み言であり、聖歌だと思います。

今回、証しをしてくださった方も、
「園の歌」を通して、
厳しい試練を越えていかれました。

交通事故で奥様を失った悲しみは
ご本人でないとわからないと思います。

歌詞の内容に比べると、
曲調はどちらかというと明るい歌の印象を受けます。

お父様も苦難の時期であればあるほど、
喜びの歌を作ってうたわれました。

そんなお父様を想いながら、
賛美していきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 13:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | 聖歌・UCソング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする