2024年01月15日

「原理」を身に着けると、人が磁石のように引き付けられてくる?! 《喜びと幸せの生活伝道》

「み言は神業の基」



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篠崎先生のみ言。
今回は、「み言を実践して生活化」を紹介します。



 「み言の目的は実体であり、
  実体の目的は心情である」


(『祝福家庭と理想天国(T)』266ページ)


訓読の目的は、私たちが神様に似た者となり、
真の愛の実践を通して天一国の主人になることです。

毎朝み言を訓読しながら、私がきょうなすべきことを探します。
その場で心に残ったみ言は、真のお父様が私に与えてくださったみ言なのです。

「このようにしなければならない」と悟ったことは、
天から私たちに与えられた責任分担になるのです。

そのひらめきを生活圏で必ず実践するのです。
そうすることで、本来人間に願われた
「み言による自己創造、環境創造」をなすことができます。

そのようにして、み言の実体になることができるのです。
どのような悟りも実践しなければ意味がありません。

 
ある有名な原理講師の先輩がいます。

韓国の先生が日本の責任者たちに
『原理講論』の重要性について説明したとき、
「『原理』のこの内容はどこに書いてあるか分かる者、
手を挙げてみなさい」と聞いたそうです。

そのとき、その先輩だけが「何ページの何行目です」
と答えたといいます。

その先輩は『原理講論』を何度も熟読し、一字一句検証しながら、
分からないところがないように研究し尽くした上で、
原理講義案を作っていたのです。

私は信仰生活を始めた頃、初めてその先輩に会ったときに、
「み言は神業の基」とサインしていただきました。

それが原理学習のきっかけとなり、
その後さまざまな講師の講義を受けては、
自らの原理講義案を作り直したのです。

 
『原理講論』のみ言の土台の上に、真の父母様のみ言を理解し
生活化してこそ、人は生まれ変わるのです。

正しく「原理」は神様の心情を教える真理です。
神様はこの真理の力によって役事(やくじ)され、
霊界が動員されるのです。
人は、そのような人に磁石のように引き付けられてくるのです。

篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
四、訓読生活と霊界動員
み言を実践して生活化
(blessed lifeより)


「有名な原理講師」
佐野先生でしょうか、でなければ
周藤先生でしょうか。。。

一字一句どこにどんなみ言が書いてあるか、
理解されている、そんな証しを読みながら、
長い間拉致監禁を受けていた
後藤徹さんのことを思い出しました。

一度拉致監禁を受けた後、何かあった場合の対策として、
しっかり原理武装しないといけない
そんな思いにかられて、必死になってみ言を求め、
お父様のみ言を何度も何度も、
(そら)んじることができるほどに訓読を捧げていきました。


 歴史上から見て、善人たちは常に打たれてきました。
 聖人たちも常に打たれてきました。

 ただそれだけを見ると
 彼らはみな負けたような姿でありました。

 しかし、彼らは決して負けたのではありません。
 彼らは必ず最後の勝利を勝ち取るようになっているのです。

 これが天の戦法です。
 イエス様もそのような戦法をとられたのです。

 それゆえに、我々の歩む道は決して平坦ではありません。
 苦痛と受難があふれている道を我々は歩いていくのです……


(生涯において何をなすべきか 1970年9月27日)
後藤さんが諳んじたみ言


み言は、まさに生命です。
私も「必ず道がある。見つけ出しなさい」
このみ言をひたすら信じて、
拉致監禁の時に脱出することができました。

困難な環境のときほど、み言の貴さを感じます。
日々の生活でも求めていきたいと思います。




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