「み言は神業の基」
篠崎先生のみ言。
今回は、「み言を実践して生活化」を紹介します。
☆
「み言の目的は実体であり、
実体の目的は心情である」(『祝福家庭と理想天国(T)』266ページ)
訓読の目的は、私たちが神様に似た者となり、
真の愛の実践を通して天一国の主人になることです。
毎朝み言を訓読しながら、私がきょうなすべきことを探します。
その場で心に残ったみ言は、真のお父様が私に与えてくださったみ言なのです。
「このようにしなければならない」と悟ったことは、
天から私たちに与えられた責任分担になるのです。
そのひらめきを生活圏で必ず実践するのです。
そうすることで、本来人間に願われた
「み言による自己創造、環境創造」をなすことができます。
そのようにして、み言の実体になることができるのです。
どのような悟りも実践しなければ意味がありません。
☆
ある有名な原理講師の先輩がいます。
韓国の先生が日本の責任者たちに
『原理講論』の重要性について説明したとき、
「『原理』のこの内容はどこに書いてあるか分かる者、
手を挙げてみなさい」と聞いたそうです。
そのとき、その先輩だけが「何ページの何行目です」
と答えたといいます。
その先輩は『原理講論』を何度も熟読し、一字一句検証しながら、
分からないところがないように研究し尽くした上で、
原理講義案を作っていたのです。
私は信仰生活を始めた頃、初めてその先輩に会ったときに、
「み言は神業の基」とサインしていただきました。
それが原理学習のきっかけとなり、
その後さまざまな講師の講義を受けては、
自らの原理講義案を作り直したのです。
☆
『原理講論』のみ言の土台の上に、真の父母様のみ言を理解し
生活化してこそ、人は生まれ変わるのです。
正しく「原理」は神様の心情を教える真理です。
神様はこの真理の力によって役事(やくじ)され、
霊界が動員されるのです。
人は、そのような人に磁石のように引き付けられてくるのです。
篠崎 幸郎・著(光言社・刊
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
四、訓読生活と霊界動員
み言を実践して生活化
(blessed lifeより)
『氏族伝道講座 喜びと幸せの生活伝道 み言の原点に立ち返る』より)
第五章 み言に学ぶ伝道の秘訣
四、訓読生活と霊界動員
み言を実践して生活化
(blessed lifeより)
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「有名な原理講師」
佐野先生でしょうか、でなければ
周藤先生でしょうか。。。
一字一句どこにどんなみ言が書いてあるか、
理解されている、そんな証しを読みながら、
長い間拉致監禁を受けていた
後藤徹さんのことを思い出しました。
一度拉致監禁を受けた後、何かあった場合の対策として、
しっかり原理武装しないといけない
そんな思いにかられて、必死になってみ言を求め、
お父様のみ言を何度も何度も、
諳(そら)んじることができるほどに訓読を捧げていきました。
歴史上から見て、善人たちは常に打たれてきました。
聖人たちも常に打たれてきました。
ただそれだけを見ると
彼らはみな負けたような姿でありました。
しかし、彼らは決して負けたのではありません。
彼らは必ず最後の勝利を勝ち取るようになっているのです。
これが天の戦法です。
イエス様もそのような戦法をとられたのです。
それゆえに、我々の歩む道は決して平坦ではありません。
苦痛と受難があふれている道を我々は歩いていくのです……(生涯において何をなすべきか 1970年9月27日)
後藤さんが諳んじたみ言
み言は、まさに生命です。
私も「必ず道がある。見つけ出しなさい」
このみ言をひたすら信じて、
拉致監禁の時に脱出することができました。
困難な環境のときほど、み言の貴さを感じます。
日々の生活でも求めていきたいと思います。
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あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
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全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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