2022年7月8日以来、国家的迫害ともいえるような
バッシングを受けている、家庭連合の信徒の
「心の叫び」をまとめた
『私たちの声を聞いてください』より
「激しい反対や葛藤の向こうに神様の祝福」です。
☆
激しい反対や葛藤の向こうに神様の祝福
(65歳男性)
(65歳男性)
1996年10月、私の妻は生後まだ8ヶ月だった娘を
私に預けてグアテマラへ
海外ボランティアの活動に出かけました。
妻は、幼い娘を残して旅立つことに
相当、葛藤していましたが、世界平和のために
尽くそうと決意して出発しました。
このことは、世間の人たちからは
理解できないことかもしれません。
残された私は妻の故郷に戻っていたため、
妻の親、妹、親戚から
あらゆる悪口を言われました。
正月に実家に行こうとすると、
妻の父親から「もう、おまえは
二度とここに来なくていい、
おまえの故郷の九州へでも行け」
とまで言われました。
義父に殴られることを覚悟して、
実家に娘を連れて行くと、ありがたいことに
孫のかわいさに家に入れてくれました。
親戚宅へ行くと、「乳飲み児をおいて
海外ボランティアの活動に行くなんて、
あんたたちがやっていることは人間のやることではない、
二度とウチには来ないでほしい」と言われました。
☆
その後、24時間、子供を預かってくれる
乳児院を見つけました。
そこは1歳以上なら預かるということでしたが、
特別に預かってくれることになりました。
そのとき、他の子供たちは走り回ったり、
歩いたりしているのですが、
私の娘はまだハイハイしかできませんでした。
私はそれまで苦労して苦しいと感じたことは
ありましたが、このときは心が痛いと感じたのです。
苦労する本人より、子供の苦労する姿を見つめる親は
もっと苦しいんだということを悟りました。
そのときイエス様の十字架の場面が思い浮んで、
イエス様の十字架を見つめながら、わが子を
助けられなかった神様がどれほど苦しかったのか、
本当に“血の涙を流された”ということが分かりました。
そして、苦労していかれる真の父母様
(文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻)を見つめる
神様の心情も感じました。
それからはイエス様に思いがいき、
イエス様の映画を見ては泣き、
殉教者の物語を読んでは泣きました。
☆
そして1年後、妻は元気で日本に戻ってきました。
そしてすぐに身籠(みごも)り、
元気な男の子を生みました。
この子は「為(ため)に生きる」心が強く、
小学3年の頃、昼ご飯を一緒に食べていると、
「お父さん、足りなかったら、俺のあげるよ」
と言うではありませんか。
私は驚いて、これは親が子供に
言う言葉ではないかと思いました。
その子も、今は就職して毎月献金をし、
時々妹たちや親を食事に連れて行ってくれます。
あのとき乳飲み児だった娘は二世祝福を受けて
結婚し、高校時代からの親友にも
夫婦で会うほどに仲が良く、夫婦とも
「祝福を受けられてとても幸せだ」といいます。
そして実家の妻の父にも会ってもらい、
父も喜んでいました。
天の願いに従う道は、時に理解されずに
反対やバッシングに遭い、苦しむこともありますが、
それを越えた後には大きな福を
神様が下さることを感じています。
☆
再編集 文責:ten1ko2
今回証しをされた方と同じく、
私の妻も海外派遣員として、ヨーロッパに旅立ちました。
ちょうどその時に、私は二度目の拉致監禁に遭ったのです。
命からがら逃げだした時、
妻は海外で活動していました。
私を助け出すために、「日本に帰ろう」
そのように思う時もあった、といいますが、
お父様からは「何があっても3年は日本に帰らないように」
と言われたこともあり、現地に残って活動したのでした。
振り返ってみれば、妻が海外で活動したことも
私が戻ってくる条件になったのだ、そんな風に思います。
私はまだ家庭出発前でしたが、
証しの方のように、乳飲み子を置いて、
海外に派遣された人もいました。
地の事情を超えて、
そういう活動をしたメンバーがいたのだということも
世間の人達に知っていただきたいと思うのです。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
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全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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