2024年02月29日

親族から理解されず、非難された私の家庭・・・現在の姿は 《旧統一教会*私たちの声》



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2022年7月8日以来、国家的迫害ともいえるような
バッシングを受けている、家庭連合の信徒の
「心の叫び」をまとめた
『私たちの声を聞いてください』より
「激しい反対や葛藤の向こうに神様の祝福」です。

激しい反対や葛藤の向こうに神様の祝福
(65歳男性)

1996年10月、私の妻は生後まだ8ヶ月だった娘を
私に預けてグアテマラへ
海外ボランティアの活動に出かけました。

妻は、幼い娘を残して旅立つことに
相当、葛藤していましたが、世界平和のために
尽くそうと決意して出発しました。

このことは、世間の人たちからは
理解できないことかもしれません。

残された私は妻の故郷に戻っていたため、
妻の親、妹、親戚から
あらゆる悪口を言われました。

正月に実家に行こうとすると、
妻の父親から「もう、おまえは
二度とここに来なくていい、
おまえの故郷の九州へでも行け」
とまで言われました。

義父に殴られることを覚悟して、
実家に娘を連れて行くと、ありがたいことに
孫のかわいさに家に入れてくれました。

親戚宅へ行くと、「乳飲み児をおいて
海外ボランティアの活動に行くなんて、
あんたたちがやっていることは人間のやることではない、
二度とウチには来ないでほしい」と言われました。


その後、24時間、子供を預かってくれる
乳児院を見つけました。

そこは1歳以上なら預かるということでしたが、
特別に預かってくれることになりました。

そのとき、他の子供たちは走り回ったり、
歩いたりしているのですが、
私の娘はまだハイハイしかできませんでした。

私はそれまで苦労して苦しいと感じたことは
ありましたが、このときは心が痛いと感じたのです。
苦労する本人より、子供の苦労する姿を見つめる親は
もっと苦しいんだということを悟りました。

そのときイエス様の十字架の場面が思い浮んで、
イエス様の十字架を見つめながら、わが子を
助けられなかった神様がどれほど苦しかったのか、
本当に“血の涙を流された”ということが分かりました。

そして、苦労していかれる真の父母様
(文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻)を見つめる
神様の心情も感じました。

それからはイエス様に思いがいき、
イエス様の映画を見ては泣き、
殉教者の物語を読んでは泣きました。


そして1年後、妻は元気で日本に戻ってきました。
そしてすぐに身籠(みごも)り、
元気な男の子を生みました。

この子は「為(ため)に生きる」心が強く、
小学3年の頃、昼ご飯を一緒に食べていると、
「お父さん、足りなかったら、俺のあげるよ」
と言うではありませんか。

私は驚いて、これは親が子供に
言う言葉ではないかと思いました。

その子も、今は就職して毎月献金をし、
時々妹たちや親を食事に連れて行ってくれます。

あのとき乳飲み児だった娘は二世祝福を受けて
結婚し、高校時代からの親友にも
夫婦で会うほどに仲が良く、夫婦とも
「祝福を受けられてとても幸せだ」といいます。

そして実家の妻の父にも会ってもらい、
父も喜んでいました。

天の願いに従う道は、時に理解されずに
反対やバッシングに遭い、苦しむこともありますが、
それを越えた後には大きな福を
神様が下さることを感じています。

https://www.kogensha.jp/news_app/detail.php?id=23292
私たちの声を聞いてください 25
激しい反対や葛藤の向こうに神様の祝福
再編集 文責:ten1ko2


今回証しをされた方と同じく、
私の妻も海外派遣員として、ヨーロッパに旅立ちました。

ちょうどその時に、私は二度目の拉致監禁に遭ったのです。

命からがら逃げだした時、
妻は海外で活動していました。

私を助け出すために、「日本に帰ろう」
そのように思う時もあった、といいますが、
お父様からは「何があっても3年は日本に帰らないように」
と言われたこともあり、現地に残って活動したのでした。

振り返ってみれば、妻が海外で活動したことも
私が戻ってくる条件になったのだ、そんな風に思います。

私はまだ家庭出発前でしたが、
証しの方のように、乳飲み子を置いて、
海外に派遣された人もいました。

地の事情を超えて、
そういう活動をしたメンバーがいたのだということも
世間の人達に知っていただきたいと思うのです。


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2024年02月28日

神様が寂しくないように、毎日○○してくださいね! 《真の母が霊性40修生を激励》



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韓国、清平の天寶修錬苑では、
参加者の年齢が逆転して、若い人たちが参加した
修練会が活発に行われています。

その中では特に、未来人材を養成する
「霊性40日修錬会」があります。

真のお母様(韓鶴子総裁)が、前回の修錬生たちに
メッセージを語られました。

み言と、修練生の感想、
「霊性40日修錬会」のプログラム
内容なども紹介します。


真のお母様が
霊性40日修錬生を激励

「天の父母様が寂しくないように
伝道してください」

 1月31日、韓国・天正宮博物館のホールで、この日、第6次「孝情天心天寶霊性40日修錬会」を修了する修錬生64人が集まる中、天地人真の父母様招請特別集会が開催されました。



真のお母様のみ言(要旨)

神霊と真理によって
世界80億人類を救いましょう

今、天一国時代は、真の父母論です。
真の父母を知らなければなりません。

天は6000年間、待ってこられました。
救援摂理歴史を経ながら中心人物を
立ててこられましたが、天は孤独であられました。

昼も夜も「私と一緒にいてくれる子女たちは
どこにいるのか」と思いながら待ちわび、
6000年の長い歳月の間、天は
独りぼっちで寂しく過ごしてこられたのです。

真の父母の勝利によって、真の父母を通して
祝福家庭が生まれることによって、
天の父母様が地上で真の父母と共に、
本来、夢に見られた地上天国の生活を
することのできる環境圏を、
真の父母は築きましたか、築きませんでしたか?
(「築かれました」)。

ですが、世の中には真の父母を知らず、
天の摂理を知らない人がほとんどです。
どのようにすべきでしょうか?
(「教えなければなりません」)。

教えなければなりませんね?(「はい」)。
伝道しなければなりませんね?(「はい」)。

国家を復帰しなければなりませんね?(「はい」)。
世界を復帰しなければなりませんね?(「はい」)。
ありがとう。

皆さんがりりしく、先頭に立って国家を復帰し、
世界を復帰するに当たり、
神霊と真理によって世界80億人類を救いましょう。
(「はい」)。

そうして毎日毎日、天の父母様が寂しくないように、
皆さんは伝道の実績を
真の父母様の前に報告しなければなりません。
(「はい!」)。

そのようにするでしょう?(「はい!」)。

ありがとう。



この日の夜の天心苑特別徹夜精誠で、修錬生の一人、
チェ・ウヒャンさん(36万双韓日家庭子女)は、
このときのお母様との出会いを以下のように証ししました。

「お母様は私たちと同じ色の紫の服をお召しになり、
お母様も私たちと一つになるために
あまりにも多くの精誠を捧げられたことを感じました。
お母様にお会いするときは緊張するだろうと
思っていましたが、ただ、お母さんと会うような
安らかな気持ちだったのが不思議でした。

実は私はこの修錬期間、あまり涙が出なかったのですが、
お母様にお会いした瞬間には、
慕わしい心情があふれて、涙が自然に流れました。

そのときの私たちの姿は、あたかも大変な試練に打ち勝って、
お母さんのもとに涙を流しながら走っていって
抱かれた子女たちのようでした。

私たちはお母様のみ言に大きく返事をして、
『ありがとうございます! 愛しています!』と叫びました。

お母様が『ありがとう』と言ってくださったときは、
本当に言葉で表せない気分であり、
感謝で悲しく幸せな、複雑な思いがしました。

『お母様をお助けできる私にならなければならない』
という思いしかありませんでした」


■未来人材を養成する霊性開発修錬

 「孝情天心天寶霊性40日修錬会」は、天心苑の主催で、HJ天宙天寶修錬苑で行われている霊性開発修錬です。真の父母様の心情と一つとなって、天の父母様(神様)との一問一答ができる、純粋、純白、純潔、純金の未来人材を養成するための教育として行われてきました。第6次となる今回は、昨年12月23日から始まりました。

 教育内容は以下のとおりです。

・精誠プログラム 特別訓読精誠、天心共鳴祈祷、天心苑特別徹夜精誠、特別祈祷室祈祷会、集中祈祷会、敬礼精誠など
・講義プログラム 原理講義、真の父母様の生涯路程、孝情特講、独り娘論、聖地特講、按手特講など
・証しプログラム 孝情の証し、元老食口の証しなど
・巡礼プログラム 天寶苑巡礼、天正宮博物館巡礼など
・実践プログラム 伝道実習、伝統と礼節実習、孝情讃揚練習など
・レクリエーション 天心ユンノリ大会、天心共鳴プログラム、額入りみ言作りなど
・修錬生総会

真のお母様が霊性40日修錬生を激励
天一国11年天暦12月21日(2024年陽暦1月31日)
韓国・天正宮博物館
https://www.kogensha.jp/news/detail.php?id=10001
光言社・中和新聞より
順番を入れ替え、一部割愛しました。
再編集 文責:ten1ko2


神霊と真理に満ちた草創期の教会を
願われてきた真のお母様。

霊性40日修練会は最近開設され、
すでに第6期のメンバーが
精誠を捧げている時だと思います。

1時の徹夜精誠が終わった後、
さらに3時半まで祈祷を捧げているということですし、
ミミズク(フクロウ)チームは、24時間交替で
天心苑祈祷を絶やさないようにしているとも聞きました。

一体、いつ休んでいるんだろう、
と思ってしまいますが。。。

やはり、霊界からの応援を受けるためには、
精誠が必要なんだと思います。

二世、三世たちは若く、心も体も柔軟なので、
天のメッセージを受け取る感性も高いのだと思います

今はさらにその人数が増えて
霊性40修を卒業した人たちで
『アカデミーチーム』のようなグループも
立ち上がったそうです。

私たちも天心苑祈祷会を重要視しながら、
霊肉合同作戦で、今の時を過ごしていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 13:08 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年02月27日

神様がたった一度だけ、この腕を動かして下さるとしたら・・ 《橘・エッセー》



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神様がたった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう


星野富弘


橘幸世さんによるエッセー
「続・夫婦愛を育む」をお届けします。

 
図書館で星野富弘さん(詩人、画家)の
『愛、深き淵より』の本が目に留まりました。

昔、星野さんの作品に感銘を受け、
家族で富弘美術館を訪れたこともありましたが、
作品集以外に著作があることは知りませんでした。

普段読むジャンルではありませんが、
心惹(ひ)かれ借りて帰りました。

 
それは自伝でした。

中学校の体育教師だった彼が、
運動中の事故で首から下が不随になり、
口に絵筆を加えて詩画を創作したことは知っていましたが、
そこに至るまでの壮絶な闘いに
思いをはせたことはありませんでした。

自分が陥った状況を知った時の感情や
体の感覚、家族・友人など周りの人たちの反応や
行動が微細に描かれていて、実況中継のようです。

一時は声も奪われて、ただ天井を見るだけの
気の遠くなるような時間が続きました。

当然ながら、死にたいと思ったことは
幾度となくありました。
何もかも人の手に頼らなければ
存在できないのですから。

危篤状態から脱して意識を取り戻したある時、
目を開けると複数の医師、看護師、家族が
自分をのぞき込んでいます。

皆、「よかった」と安堵(あんど)の笑顔です。

その時星野さんが思ったのは、
「がんばらなければ!」。

自分を生かすためにこれだけ多くの人が
必死になってくれている。
その人たちに対して自分には責任がある。
生きることを投げ出しちゃいけないんだ。

感嘆しました。

 
星野さんが口にペンをくわえて
文字を書くきっかけも描かれていました。

病院で同室だった男子中学生が、深刻な病状で
東京の病院に移されることになります。
彼を励まそうと皆が彼の帽子に寄せ書きをします。

星野さんも彼のために何か書きたいと強く願い、
付き添いの母に、ペンをくわえさせてくれ、と頼みます。

彼女が帽子をペンが届く位置に持ちますが、
彼にはペンを動かす力がありません。
結局、母親が帽子の方を動かし、
なんとか文字を書き上げました。

星野さんのもとにはたくさんの励ましの手紙が届き続けます。

彼は、返事を書いたら皆が喜んでくれるだろうと、
口にくわえたペンで字を書く練習を始めたのでした。

  
他者のために何かしたい、その衝動が
新たな一歩、次への一歩をもたらしたのでした。

やがて、自分を慰め励ましてくれる
花々の絵を添えるようになります。

「何か人の役に立てた時、
いのちがいちばん躍動している」

星野さんの言葉です。

  
星野さんの母は、彼が入院していた9年間、
病院に泊まり込んでつきっきりの看病をしました。

食事や下の世話はもとより、痰(たん)の吸引、
寝返りの補助、筆に墨や絵の具を付けてくわえさせ、
スケッチブックを筆の届くところに持ち続ける。

絵の具を息子の指示どおりに混ぜて
筆につけるなど。
どれほどの重労働だったでしょうか。

それだけではありません。
負の感情をぶつけられる相手は
母親しかいなかったので、
彼はしばしば母にきつく当たりました。

母はいくら怒られ、ののしられ、陰で涙を流しても、
息子の介護を投げ出すことはありませんでした。

そんな母の献身に星野さんは、
もしけがをしなければ、高慢にも
母を「うす汚れたひとりの百姓女」
としか見られなかっただろう、
愛にあふれた母の真価に気付かなかっただろう、
と告白しています。

 神様がたった一度だけ
 この腕を動かして下さるとしたら
 母の肩をたたかせてもらおう


続・夫婦愛を育む 16
命が一番躍動する時
ナビゲーター:橘 幸世
(Blessed Lifeより)
再編集 文責:ten1ko2


星野さんのことは
以前にも何度か書いたと思います。

しかし、橘先生を通して、
再度心を打たれました。。。

お母さんに宛てて送られた詩・・・
本当に感動します。

愛する息子の為に
どんなに否定されても
投げ出すことがなかったお母さん。。。

そんなお母さんの真実なる愛が
星野さんの心を動かしたのだと思います。

なお、星野さんはクリスチャンとなり、
同門の方と結婚もされ、
お母さんに代わり、奥さんが
ずっとお世話をするようになります。

愛は繋がっていくのですね。




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