これまで不定期に紹介してきました
神明(しんみょう)先生の信仰エッセイ、
UTS時代の神体験。
「今まで神学を学んで得たもの」です。
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私は、お父様からUTSの第1期生の一人として選ばれて以来、
長年、神学を勉強し、また神学的教育に従事してきました。
それを通して学んだいちばん貴重なものを、
ここに記してみたいと思います。
「神学」という単語そのものは聖書にはなくて、
3世紀頃にオリゲネスというギリシャ語圏の
キリスト教の学者が使い始めた術語です。
ギリシャ語では theologia (英語では theology) といいますが、
これは、theos(神)とlogos(言葉)の
二つを合成してできたものです。
つまり、神学とは、神(theos)について
人間の言葉(logos)で表現したものなのです。
ですから、これはある意味では、
神様と人間が一つになったものとも言えます。
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ただ、ここで注意しなければならないのは、
神様は無限で永遠なる絶対者であられても、
それを表現する人間の言葉はあくまでも有限であり、
時間的であり、相対的であるにすぎないということです。
なので、神学というのは大したことないものなのです。
神学で説明する内容は神様なのですが、
その表現は人間の言葉にすぎないのですから。
だから、自分の神学を誇ってはなりません。
例えば、神学者がどんなにすばらしい神学書を書いたとしても、
それは人間の言葉で書いた表現であって
神様そのものではないので、誇ることはできません。
また、説教者が皆を感動させるような
すばらしい説教をしたとしても、
あくまでも説教の言葉は人間の言葉ですから、
決して自分が神様そのもになったかのように
誇ったりしてはならないのです。
同じように、聖書も一つの神学書ですが、
それは無限・永遠・絶対の神様の真理そのものではなく、
それを表現する一つの教科書にすぎない、
ということは、『原理講論』にも述べられてています。
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ところが、神学者は自分の神学をとても誇る傾向にあるのです。
無限・永遠・絶対の神様について語るとき、
自分の使う言葉までも無限・永遠・絶対で
あるかのごとき錯覚に陥るのです。
それで、神学者同士は、けんかをするのです。
キリスト教史を見ると、そのようなけんかが非常に多くありました。
私たち統一食口も神様について語るとき、
皆、神学者≠ナすから、この問題に
気をつけなければならないと思います。
今の統一運動の問題も、これで説明がつきます。
そして、問題解決もここにあります。
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しかし、神学って大したことないからといって、
がっかりする必要はありません。
自分は人間なので限界があるのだ≠ニ認識して、
神様の前に頭を下げて謙遜になって精誠を尽くすと、
逆説的に、そこには神様の霊的な恵みの力が
無限に顕現するようになるのです。
そして、頭を下げたという条件で、
神様は人間の有限なレベルを神様のレベルに近くなるように
引き上げてくださるのです。
そのようにして、健全で素晴らしい神学ができてくるのです。
そして、神学者同士も神様を中心にして一つになれて、
果てしない醜い論争もなくなるのです。
☆
私は立場上、真のお父様と
神学的問答をさせていただいたことがあります。
私は、「人間自身が作り上げる言葉やロジックが
どんなに素晴らしく見えるものであったとしても、
それによってかえって神様の無限・永遠・絶対の真理を
踏みにじるようなことがあってはならない」という
基本的なアプローチを持っていたせいか、
お父様との話がスムーズに進みました。
そして、当時、私が研究していた内容について、
いささか霊的熱気を帯びて
報告させていただくことになってしまいました。
そのとき、お父様はとても喜んでくださいました。
その喜び方が尋常ではなく、
顔をクシャクシャにしながら笑われ、
おなかを抱えて転げ回られ、
座布団からはみ出られるほどでした。
そしてそのとき、神様の愛の全能性などについての
お父様の深い洞察に富むお話をお聞きすることもできました。
☆
そのときお父様はあまりにも喜ばれたせいか、
それから間もなく訪米された、当時の日本会長であられた
久保木修己先生に対して、
「神明は、既成教会の神学者が200人ぐらい、束になって
かかってきても、全部やっつける力を持っているんだ」
と言われたそうなのです。
久保木会長が私に対して「神明、おまえ、すごいんだってな。
そんなことができるってお父様が言っておられたぞ」と、
会長独特のユーモアを交えて教えてくださいました。
☆
でも、断っておきますが、言葉が下手な私に
そんな力があるはずはありません。
しかし、人間の言葉の限界性を認め、それを条件にして
神様の無限の愛の力が働くようになる道が可能である
というならば、分からないことはありません。
そして、それは誰にでもできるものだと思います。
神学というものに直接携わってきて、
だいぶん長い年月がたちましたが、
以上が自分で悟ったことです。
すなわちち、神学の定義からして、
人間が謙遜になれば神様が大いに働き、
神様のレベルに肉薄するということです。
真の父母様が紹介された統一原理という神学も、
このようにしてできたものだと思います。
現在、私は統一神学に関する本を執筆中なのですが、
このような悟りのもとに書くようにしています。
UTS時代の神体験
:ドクター神明の信仰エッセー
㉑今まで神学を学んで得たもの
神明忠昭
(世界家庭にて連載されました)
:ドクター神明の信仰エッセー
㉑今まで神学を学んで得たもの
神明忠昭
(世界家庭にて連載されました)
☆
再編集 文責:ten1ko2
今まで語ってくださったエッセイ、
そして、最終回のコメントも含めて、
神明先生は、とても素直な方であり、
とても謙虚な方であることを感じます。
神学は、すなわち神様を研究することですから、
神様は人類の親であるとはいえ、それ自体が
恐れ多いと感じられているのかもしれません。
「私たちみんなが神学者」であり、
誰でもできると言っておられますが、
なかなか私たちは神明先生には及びません。
お父様が神明先生の研究されていることを聞いて、
小躍りされて喜ばれたそうなので、
とても素晴らしい研究なのでしょう。
そういう意味で、統一神学に関する書籍を
執筆しておられる、ということですので、
楽しみに待ちたいと思います。
また、信仰エッセイは終わりましたが、
神明先生の証しなどを紹介できればと考えています。
神明先生、貴重なお話、
本当にありがとうございました。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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