蝶野部長の「カップルセミナー」
続編です。
☆
夫婦のいろんな講話という形でやっていく時にですね、
「わかりました、じゃ夫婦がひとつになります。
じゃあ私が我慢すればいいんですね」
という霊界に入る方もおられるんですね。
けなげでいいんだけど、
ただ、我慢ってよくないですね。
(かといえば、それを聞いて)羨ましいっていう人もいますね。
「うちもそれくらい我慢してくれたら、俺もがんばるのにな」
県民性もあるからね。データはありませんが、
県によって違います。
ここ(千葉について)は知らないですが。
(たとえば)妻が「あんた!」なんて言って、
ここはとても男性が信仰的だなぁと(という県があります)。
そしてある県に行くと、男が仁義なき戦いのようで、
妻の方がぐっとこらえるんだけど、
時々我慢できなくなってドッカ―ンみたいな。。。
男性が強くて、女性は「私さえ我慢すれば」と、
自分のセンチメンタルな世界に入っていって、
「これが信仰よ、お父様〜」みたいなね。
☆
でも親、神が見たいのは、
夫婦が一つになっているのを見たいんですよ。
という話をしたら私が我慢して一つになろう
という話になる(のですが、そうではありません)。
だいたいどっちかの意見が強くて、最後どっちかが折れて一つになる、
というのは一つになっていないからです。
「いやーご夫婦で話されないんですか」と聞くと、
「いつも主人が切れる寸前で、私が折れるようにしています」
喧嘩にならないのはどっちかが折れているから。
それは子供は感動しませんよ、ということです。
それは結局一つになっていないのです。
どっちかが我慢して一つになるというのは、
一つになっていないということです。
なんでそうなる?
私さえ我慢すればというのは情が離れているのです。
つまり二つになる取り組みなんです。
どちらかに合わせるということが一つになることではありません。
☆
意見が合わないからこっちかが我慢する、これは愛でも何でもない。
でも喧嘩はない。。。
喧嘩がないからよいわけではないです。
お互い冷めきったら喧嘩もしないからね。
だから冷め切ってる場合には喧嘩をした方がいいですね。
冷め切っている場合はですよ。
理想は喧嘩がない方がいいでしょうけどね、もちろん。
喧嘩さえできないんだったら、それはした方がいいんですよ。
問題発言か。
(そういう夫婦は)情を出し合っていないのです。
授受作用にはならないんだけどね、喧嘩は。
でも、その手前で自分の言いたいことを出していれば、
自分が言えた、聞いてもらえたのがあれば、だんだん本音が出てくるし、
「ちょっと言いすぎたけど本当はこういう気持ちだったんだ」
と話すようになるんであれば、喧嘩したほうがいい。。。
どちらかに合わせるんじゃないと言うことです。
私たちは、一つになりなさいといったら、
配偶者に対して自分を否定しようとするんです。
うーん。相手は神様の半分だから自分も譲歩しなければならないか、
(というように)我慢する世界。。。
相手もそれがよいと思っている、かというと、これはそうではないのです。
☆
(私たちは)相手を中心ではなく、神様を中心に結婚したんです。
配偶者を下さったのは天の父母様ですから。
だから配偶者から感じることは、天の意図があるんですよね。
もうわかっている、話すまでもなく知っていることですよね。
だけどここを毎日確認した方がいい。
皆さん、偶然ではないですよ、配偶者のクセ、性格、こだわり。
「内の主人潔癖症なくせにトイレ後に手を洗わない」とか…。
そこに引っかかるあなたの癖がある、
見つけるためにそのこだわりがある、
心理学ではない、偶然はないんです。
ですから、なぜこの相対者を与えたか、
「天の配剤(はいざい) 」を配偶者から感じることは、
天の意図があるんですね。
「天の配剤」を相対者から感じなければならない、悟る、
これが神様を中心に相手を見るということなんですよ。
☆
祝福に幻想を抱いて、ある2世は
「神様が与えた祝福だったらどんな王子様がくるんだろう」
そして受けてみたら「普通の人じゃん」って
後光でも差していると思ったか、
「なんか普通」と言っているんですよ。
(祝福の相手・相対者は、普通の人ですが、
私にとって、ただの)普通の人ではありません。
私にとっては神様が与えた、「お前の相手はこの人だ」と。。。
めちゃくちゃ神秘的な人です。
人から見たら普通の人かもしれないが、
奥さんから見たら旦那さんは、神秘の、神秘の、神秘の人ですよ。
なんで神秘的?
神様がお前用だと言われた、「お前が完成するための
お前とこの妻で私になるんだよ、その相手だよ」と。
(だから)めちゃくちゃ神秘的なんですよ。
2019年5月北千葉「夫婦講座」より
☆
再編集 文責:ten1ko2
先日、あることで(内容は忘れてしまいました)
私と妻が、それぞれの意見を話していました。
会話を聞いていた娘が一言、
「こりゃあ、お父さん、お母さん、合わないわ」
でした。
このように物事の捉え方は、
夫婦で見解が合わない時があると思います。
一般的にも、「男性と女性は、人間だけれど、
別の生き物であり、お互いが宇宙人だと思う」
そんな解釈をしている人も、たくさんおられます。
でも、だからこそ、配偶者を愛することが、
面白みがあるというか、私の成長に繋がるでしょう。
神様もそうやって夫婦が一つになることを
願っておられるにちがいありません。
神様を中心として見つめていくことが、
何よりも重要であると思うのです。
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※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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