史吉子(サ キルジャ)先生
「原理に関するみ言の証」より、
『メシヤの能力と責任 』続編です。
☆
ある時、私たちが反対を受けたありのままをご報告をすると、
お父様も報告を聞きながら、
「私もマフィアのように、
怨讐を打ちのめしたい」と言われます。
皆さん、マフィアを知っていますか?
イタリアで始まった殺人、強盗、麻薬密売
などを専門とする恐ろしい暴力組職です。
彼らにかかれば、死体も捜せません。
そのように怨讐を殺したい状況ですが、
殺すことができません。
神様は怨讐を殺しません。
お父様は、「神様の作戦は
愛で怨讐を屈服させることなのに、
私がそうできるか?」と言われます。
そして、「私も初めから良い人ではない。
私も気が短くて、復讐心もあり、気難しい性格なのに、
メシヤの道を行くために仕方無く、
私が私自身をしきりに訓練させながら、
歯を食いしばって舌をかみながらも、
ここまで来たのだ!」とおっしゃいました。
み旨の道はそうです。
そのために、お父様は今も
イエス様の生涯を歩まれておられます。
イエス様が怨讐を憎まず愛したので、
サタンの讒訴を免れました。
サタンが自ら退きました。
サタンはイエス様の肉身は奪って行きましたが、
讒訴はできません。
それで神様が全能力を発 揮して、
イエス様を復活させたのです。
イエス様が十字架で恨んで亡くなられたら、
神様がイエス様を復活させることができません。
このように、 神様によって復活された
イエス様を信じることによって、
霊的救いだけでも受けることができます。
復活したイエス様を信じることに救いがあるのであって、
十字架に架けら れたイエス様
それ自体だけでは、救われたとは言えません。
お父様はこのようなイエスの生涯路程を、
ずっと歩んでおられるのです。
お父様はまた、十字架上で失われたイエス様の肉身を探して、
イエ ス様が肉身で成すべき旨と使命を、
イエス様の代わりに成しておられるのです。
史吉子/ 著「原理に関するみ言の証」
☆
再編集 文責:ten1ko2
文先生も最初から恩讐を愛する心情を
もたれていたのではなかったのだ、と思いました。
幼少のころから、直情型であり、
とても短気な部分もあったと聞いています。
やはり真なる神様との出会い、
そしてイエス様との出会いを通して、
深い愛の世界を持たれて行かれたのだ、と感じます。
私たちもそのような心情を共有しなければ、
神様の子女である、
と誇ることができないのではないでしょうか。
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