本日は旧暦の1月2日です。
1月2日と言えば、愛勝日ですね。。。
在米の日本人教会員の方の
文興進(ムン フンジン)様に関する
感動的な証し(体験談)を紹介します。
☆
私は死にたくない…しかし、
他に方法がなければ、私はその道を行きます
他に方法がなければ、私はその道を行きます
私は文興進様の事故の前に、親しい関係を持たせて頂き、
そして、興進様が昏睡状態にある間に
とても貴重な忘れられない体験をさせて頂きました。
文興進様について、いつも私が驚かされたのは、
私たち全員に非常にきめ細かく、
とても優しい心で接してくださったことです。
☆
興進様が、若い兄弟たちと一緒に数日間
べリータウンの統一神学大学院に行かれた際、
私は一緒に行くように呼ばれました。
すべてを覚えてはいませんが、
忘れることのできない一つの出来事があります。
ある日、ラインクリフ橋の近くでキャンプをするために
みんなで馬に乗って行きました。
橋の近くに着くと、興進様は
「今夜ここでキャンプして魚を釣ろう」と言われました。
それで釣りをしたのですが、何も釣れませんでした。
興進様は、「何か釣ろう。
あきらめないで。」と私たちを励まされました。
ようやく、暗くなる直前に、私たちは
小さな魚を一匹釣ることができました。
それからすぐにテントを張って、
その小さな魚を焼き、みんなで一緒に食べました。
とても温かくて親密な気持ちでした。
☆
そして、とても悲しい日がやってきました。
それは1983年月12月22日でした。
興進様は、2人の2世の友人と一緒にべリータウンに行かれました。
帰り道、興進様がラインベックのフォーブラザーズピザに
立ち寄られたところで電源(?)が切れました。
もし電源が切れていなかったら、
事故を避けることができたかもしれません。
私は、興進様が事故に巻き込まれ、少年二人と一緒に
聖フランシス病院に運ばれたという電話を受けました。
初め、聞いていたことが信じられませんでした。
私は子女様を乗せて病院に運転して行きました。
真の父母様は、韓国で勝共決起大会(8ヶ都市)の最中でした。
後に、興進様が非常に困難な状況下で、
一瞬の判断で犠牲的な決定を下すことによって、
2人の少年の命を救ったと聞きました。
滑りやすい坂道の路面で、18輪トラックが
制御を失い、道路全体を塞いでいました。
興進様はハンドルを右に切ることで、
自らが最も大きな外傷を受け、同乗の少年たちが
深刻な被害を受けるのを防ぎました。
その結果、二人の少年は生き残りましたが、
興進様は昏睡状態で長い戦いの末に亡くなられました。
亡くなられたのは、1984年1月2日でした。
☆
事故の後、興進様が昏睡状態にあるときに体験したことは、
永遠に私の人生観を変えました。
それは、驚くべき霊的体験でした。
霊界が存在することを知的には理解していましたが、
その経験を通して、私は霊界が
本当に存在することを知るようになりました。
その夕方、私はベルベディアのアゴラハウスで
統一武道を一人で練習していました。
一人でいたのですが、突然、誰かが私の名前を呼ぶのが聞こえました。
最初は聞き間違えたと思い、何の注意も払わないでいると、
また私を呼ぶ声が聞こえました。
周りを見回しましたが、誰もいませんでした。
何が起こっているのか不思議に思い、少し怖くなりました。
すると、また私の名前を呼ぶ声が聞こえ、
そこで、初めて、興進様の声だと気づきました。
涙が湧いてきて、私がマットの上にひざまずくと、
その声がまた、私に呼びかけました。
「死にたくないです。
.....なぜなら、私は、まだ祝福も受けていないのです。
真の父母様に抱きしめてもらいたかったのに......」
と言われました。
長い間静かなときがあった後、
「しかし、他に方法がなければ、
私はこのまま逝きます。
頑張ってください.......」
私は、何が起こっているのか
よくわからなかったのですが、
その言葉が心にささやいていたことは、
とても鮮明に覚えています。
どれくらいそこに座っていたのかわかりません。
私はただ泣いて泣き崩れていました。
☆
私はしばらくの間、この体験を誰とも共有しませんでした。
しばらくはその経験が私にとって何を
意味するのかわかりませんでしたが、
後になって、興進様が私と共有されようと
したことがはっきりとしてきました。
私には真の父母様との大切な体験もあるのですが、
この文興進様との親密な体験は、
その後の私にとても深い影響を与えることになりました。
☆
非公開サイトで紹介された証しを
抜粋し、再編集しました。
原文をもとに
分かりやすい表現に編集しています。
ご了承ください。 文責:ten1ko2
抜粋し、再編集しました。
原文をもとに
分かりやすい表現に編集しています。
ご了承ください。 文責:ten1ko2
貴重な証し、ありがとうございます。
生死をさまよっておられるときですから、
生霊(いきりょう)の興進様が
来られたのでしょう。
誰でもが体験できるわけではありませんが、
本物の興進様であったのは、
間違いないことでしょう。
興進様は、その当時、
真の父母様を支える一番の孝子(孝行息子)でした。
「私がお父様を守る」と
いつも言っておられたといいます。
おそらく、興進様も事故で
突然、瀕死の状態となって、
「死にたくない」というのは、
ただ単に自分が死ぬのが嫌だから
という以上の心情だったことでしょう。
御父母様に対するあふれるような思い、
その本音の思いを打ち明けたのだと思います。
それに対し、真の父母様は、愛のお方なので、
興進様を先駆けて霊界に送ると祝祷され、
霊界の救いの門を開いてくださいました。
興進様と父母様の愛が、死を超えたことにより
愛勝日の宣布が成されました。
心から感謝いたします。
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その際は、リンクを貼っていただくか
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なお、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、無断転載
に関しては、固くお断りいたします。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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