2024年02月17日

メシヤと熱い神学的問答、大喜びしてくださったこと 《神明先生の信仰エッセイ》最終回



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これまで不定期に紹介してきました
神明(しんみょう)先生の信仰エッセイ、
UTS時代の神体験。
「今まで神学を学んで得たもの」です。


私は、お父様からUTSの第1期生の一人として選ばれて以来、
長年、神学を勉強し、また神学的教育に従事してきました。
それを通して学んだいちばん貴重なものを、
ここに記してみたいと思います。

「神学」という単語そのものは聖書にはなくて、
3世紀頃にオリゲネスというギリシャ語圏の
キリスト教の学者が使い始めた術語です。

ギリシャ語では theologia (英語では theology) といいますが、
これは、theos(神)とlogos(言葉)の
二つを合成してできたものです。

つまり、神学とは、神(theos)について
人間の言葉(logos)で表現したものなのです。

ですから、これはある意味では、
神様と人間が一つになったものとも言えます。


ただ、ここで注意しなければならないのは、
神様は無限で永遠なる絶対者であられても、
それを表現する人間の言葉はあくまでも有限であり、
時間的であり、相対的であるにすぎないということです。

なので、神学というのは大したことないものなのです。
神学で説明する内容は神様なのですが、
その表現は人間の言葉にすぎないのですから。

だから、自分の神学を誇ってはなりません。

例えば、神学者がどんなにすばらしい神学書を書いたとしても、
それは人間の言葉で書いた表現であって
神様そのものではないので、誇ることはできません。

また、説教者が皆を感動させるような
すばらしい説教をしたとしても、
あくまでも説教の言葉は人間の言葉ですから、
決して自分が神様そのもになったかのように
誇ったりしてはならないのです。

同じように、聖書も一つの神学書ですが、
それは無限・永遠・絶対の神様の真理そのものではなく、
それを表現する一つの教科書にすぎない、
ということは、『原理講論』にも述べられてています。


ところが、神学者は自分の神学をとても誇る傾向にあるのです。

無限・永遠・絶対の神様について語るとき、
自分の使う言葉までも無限・永遠・絶対で
あるかのごとき錯覚に陥るのです。

それで、神学者同士は、けんかをするのです。
キリスト教史を見ると、そのようなけんかが非常に多くありました。

私たち統一食口も神様について語るとき、
皆、神学者≠ナすから、この問題に
気をつけなければならないと思います。

今の統一運動の問題も、これで説明がつきます。
そして、問題解決もここにあります。


しかし、神学って大したことないからといって、
がっかりする必要はありません。

自分は人間なので限界があるのだ≠ニ認識して、
神様の前に頭を下げて謙遜になって精誠を尽くすと、
逆説的に、そこには神様の霊的な恵みの力が
無限に顕現するようになるのです。

そして、頭を下げたという条件で、
神様は人間の有限なレベルを神様のレベルに近くなるように
引き上げてくださるのです。

そのようにして、健全で素晴らしい神学ができてくるのです。
そして、神学者同士も神様を中心にして一つになれて、
果てしない醜い論争もなくなるのです。


私は立場上、真のお父様と
神学的問答をさせていただいたことがあります。

私は、「人間自身が作り上げる言葉やロジックが
どんなに素晴らしく見えるものであったとしても、
それによってかえって神様の無限・永遠・絶対の真理を
踏みにじるようなことがあってはならない」という
基本的なアプローチを持っていたせいか、
お父様との話がスムーズに進みました。

そして、当時、私が研究していた内容について、
いささか霊的熱気を帯びて
報告させていただくことになってしまいました。

そのとき、お父様はとても喜んでくださいました。
その喜び方が尋常ではなく、
顔をクシャクシャにしながら笑われ、
おなかを抱えて転げ回られ、
座布団からはみ出られるほどでした。

そしてそのとき、神様の愛の全能性などについての
お父様の深い洞察に富むお話をお聞きすることもできました。


そのときお父様はあまりにも喜ばれたせいか、
それから間もなく訪米された、当時の日本会長であられた
久保木修己先生に対して、
「神明は、既成教会の神学者が200人ぐらい、束になって
かかってきても、全部やっつける力を持っているんだ」
と言われたそうなのです。

久保木会長が私に対して「神明、おまえ、すごいんだってな。
そんなことができるってお父様が言っておられたぞ」と、
会長独特のユーモアを交えて教えてくださいました。


でも、断っておきますが、言葉が下手な私に
そんな力があるはずはありません。

しかし、人間の言葉の限界性を認め、それを条件にして
神様の無限の愛の力が働くようになる道が可能である
というならば、分からないことはありません。
そして、それは誰にでもできるものだと思います。

神学というものに直接携わってきて、
だいぶん長い年月がたちましたが、
以上が自分で悟ったことです。

すなわちち、神学の定義からして、
人間が謙遜になれば神様が大いに働き、
神様のレベルに肉薄するということです。

真の父母様が紹介された統一原理という神学も、
このようにしてできたものだと思います。

現在、私は統一神学に関する本を執筆中なのですが、
このような悟りのもとに書くようにしています。

UTS時代の神体験
:ドクター神明の信仰エッセー
㉑今まで神学を学んで得たもの
神明忠昭
(世界家庭にて連載されました)
再編集 文責:ten1ko2


今まで語ってくださったエッセイ、
そして、最終回のコメントも含めて、
神明先生は、とても素直な方であり、
とても謙虚な方であることを感じます。

神学は、すなわち神様を研究することですから、
神様は人類の親であるとはいえ、それ自体が
恐れ多いと感じられているのかもしれません。

「私たちみんなが神学者」であり、
誰でもできると言っておられますが、
なかなか私たちは神明先生には及びません。

お父様が神明先生の研究されていることを聞いて、
小躍りされて喜ばれたそうなので、
とても素晴らしい研究なのでしょう。

そういう意味で、統一神学に関する書籍を
執筆しておられる、ということですので、
楽しみに待ちたいと思います。

また、信仰エッセイは終わりましたが、
神明先生の証しなどを紹介できればと考えています。

神明先生、貴重なお話、
本当にありがとうございました。



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